古事記(こじき)大国主神(オホクニヌシノカミ)

古事記の神話

掲載:上巻(こじきかみつまき)

著者:太朝臣安万侶(おおのあそみやすまろ)(太安萬侶)(おほのやすまろ)

 「大国主神(オホクニヌシノカミ)」のことは、「古事記」の上巻に記されている

 大国主神は、須佐之男命と櫛名田比売との間の子孫の6代目とされ、多くの女神との間に180柱の子供を残し、
葦原中国の国土・国造りをし、後に、天孫邇邇芸命に国譲を行い、出雲大社の祭神となる

【古事記の原文】


【稲羽の素菟】

 さて、この大国主神の兄弟に、八十神(やそがみ)が坐(まします)(います)
 然れども、皆んな国を大国主神に避(さ)りる(譲った)
 避りし(譲った)所以(ゆえん)(理由)は、
 その八十神は、各(それぞれ)稲羽(いなば)の八上比売(ヤガミヒメ)を婚(よばはむ)(妻にしたい)との心が有って、
共に稲羽に行ったとき、大穴牟遅神(オホナムヂ)に袋を負わせ、従者と為て(して)率て(連れて)往った
 このようにして気多(けた)の前(さき)(岬)に到ったとき、裸の菟(うさぎ)が伏せていた
 そこで八十神は、その菟に、「汝(おまえが)為せむは(すべきことは)、この海塩(うしほ)を浴びて、
吹いている風に当って、高山の尾の上に伏せっていることだ」と言った
 それで、その菟は、八十神の教えに従って伏せていた
 すると、その塩が乾くに随(まにまに)(つれて)、その身の皮が悉(ことごとく)風に吹かれて拆(さけ)(裂け)てしまった
 それで、痛み苦しんで泣き伏せっていると、最後にやって来た大穴牟遅神が、その菟を見て、
「何由(なにゆえ)汝(あなた)は泣き伏っているのか」と言う
 菟は、「僕(われ)は、淤岐島(おきのしま)に在りて(いたときに)、この地に度(渡)ろうとしたのですが、
度る(渡る)因(よし)(方法)が無かった
 そこで、海の和邇(ワニ)を欺いて「吾(あ)(私)と汝とを競べて、族(仲間)の多い少ないを計え(数え)ようと欲う(思う)
 それなので、汝(あなた)は、その族(仲間)を在りの随に悉(ことごとく)率いて(連れて)来て、
自(おのずから)この島より気多の前(岬)まで、皆で列になって伏せって度れ(並びなさい)
 そこで、吾(私)が、その上を蹈(踏)んで、走りながら読んで(数えて)度(渡)ります
 そのようにして、吾(私)の族(仲間)と熟(いづれか)が多いか知ろう」と言った
 そのように言うと、欺かれて列になって伏せたので、吾(私)は、その上を蹈(踏)んで、読みながら(数えながら)
度(渡)って来て、今(いざ)地面に下りようとしたとき、吾(私)が、「汝は我に欺かれたんだ」と言うと、
言い竟(をはる)(終わると)すぐに、最端(先頭)に伏せていた和邇(ワニ)が、我を捕えて悉(ことごとく)私の衣服を
剥いでしまいました
 このような因りで泣き患(うれひ)(悲しんで)いると、先に行きし(やってきた)八十神が命じるように
海塩を浴びて風に当って伏せていろ」と誨(をしへ)(教え)告げました
 そこで、教えられた如く為せば、我が身は悉(ことごとく)傷ついてしまいました」と答えた
 そこで、大穴牟遅神は、その菟に教えるように「今急ぐに、この水門(河口)に往って(行って)、水を以ちいて(用いて)
あなたの身を洗って、そして、その水門(河口)の蒲黄(かまのはな)(黄粉が止血治療薬として用いられていた)を取って、
敷き散らして、その上に輾転(こいまろ)(転がれば)、汝の身は本(元)の膚(肌)の如く(ように)必ず差(いえむ)
(癒えるだろう)」と告げた
 そこで、教えられた如く為すと、その身は本(元)の如くなった
 これが、稲羽の素菟(しろうさぎ)であり、今は、菟神(うさぎがみ)と言われている
 そして、その菟は、大穴牟遅神に、「この八十神は、必ず八上比賣を得ることはできないでしょう
袋を負っていても、汝命(いましみこと)(あなた)が獲(得)ることでしょう」と白しめた(申し上げた)

【八十神の迫害】

 そのようなことで、八上比売(やがみひめ)は、八十神に答へて「吾(私)は汝等(あなたたち)の言うことは聞きません
將に(まさに)、大穴牟遅神(オホナムヂ)に婚(あはむ)(嫁ぎます)」と言った
 それにより、八十神は怒って、大穴牟遅神を殺そうと欲し(思って)、共に議(はかって)(相談して)、
伯伎国(ははきのくに)(鳥取県西耆郡天津村)の手間山(てまのやま)の本(麓)に至りて(訪れて)、
 「赤い猪がこの山に在り(いる)
 それで、和礼(われ)(我々)が共に追い下すので、汝は待っていて取れ
 若(もし)待って取らなければ、必ず汝を殺將さむ(殺すことになる)」と言って、
火を以ちて猪に似た大石を焼きいて転がし落した
 そして、追い下されたのを取ったとき、それで、その石に焼き著(つ)かれて死んでしまう
 そこでその御祖命(みおやのみこと)が、哭き(泣き)患(うれひて)(悲しんで)、
天(あめ)に参い上って、神産巣日之命(カムムスヒノミコト)に請しし(頼んだ)とき、
乃ちに(のちに)刮貝比売(キサガヒヒメ)と蛤貝比売(ウムギヒメ)とを遣はして、作らせて活かせた(生き返らせた)
 さらに、刮貝比賣が、岐佐宜(きさげ)(削ったもの)を集めて、蛤貝比売が持ち受けて、
母乳汁(おものちしる)(貝殻の粉を蛤の汁でといた古代火傷治療薬)を塗ると、麗しき壮夫(をとこ)に成って、
出かけ遊びに行けるようになった


 八十神がこれらのことを見て、且(また)欺こうとして山に率て(連れて)入り、大樹を切り伏せて、
茹矢(ひめや)(楔)(くさび)をその木に打ち立て、その中に入るよう令し(命じて)、
そうして、その氷目矢(ひめや)(楔)を打ち離ちて(引き抜いて)、拷(うち)(挟み)殺した
 そこでまた、その御祖命(みおやのみこと)が、哭き(泣き)乍(ながら)求めれば(探すと)、見得て(見つけることができて)、
そこで、その木を折って取り出して活かして(生き返らせて)、その子に、「汝(あなた)は、この間に(ここに)有らば(いたら)、
遂には八十神の為に滅ぼされてしまう」と告げて、
乃ちに(のちに)木国(きのくに)(紀伊の国)の大屋毘古神(オホヤビコ)の御所(みもと)へ違え遣りき(送り逃がした)
 すると、八十神が、覓(まぎ)(求めて)追ひ臻(いたりて)(追いかけてきて)、矢刺(やざし)(矢をつがえて)乞ふ
(引き渡しを求めた)とき、自(おのずから)木の俣(股)を漏(くき)(くぐらせて)逃がして「須佐之男命
坐します(おられる)根堅州国(ねのかたすくに)に参い向いなさい
 必ず、その大神(おほかみ)が、議り(はからって)くれるでしょう」と言った

【根の国訪問】

 それで、詔(のり)(言われた)命(みこと)の隨(まにま)に、須佐之男命の御所(みもと)に参り到ると、
その女(娘)の須勢理毘売(スセリビメ)が見に出てきて、目合(まぐはひ)為て(見つめ合って)、相婚ひ(結婚)して、
還り(戻り)入りて、その父に「甚(いと)(とても)麗しき(立派な)神が来られました」と白しめた(申し上げた)
 そこで、その大神が見に出てきて、「これを葦原色許男(アシハラシコヲ)と言うのだ」と告げると、
すぐに喚び(呼び)入れて、その蛇の室(むろや)で寝させた
 そこで、その妻の須勢理毘売命は、蛇の比礼(ひれ)(女性が肩にかけた布)を、その夫に授けて
「その蛇が咋(くはみ)(噛み)つこうとしたら、この比礼を三度挙(ふって)(振って)打ち撥(はら)(払)いなさい」と言った
 それで、教えられた如(ごとく)すれば、蛇は自(おのづ)と静まった
 それで、平(やす)(安)らかに寝て出ることができた
 また、来る(次の)日の夜は、呉公(むかで)(百足)と蜂との室に入れられ、且(また)呉公蜂の比礼を授けて、先の如く教えた
 それで、平く(安らかに)出ることができた
 また、鳴鏑(なりかぶら)を大野(広野)の中に射入れて、その矢を採るよう(拾ってくるよう)命令した
 そして、その野に入ったとき、すぐに火を以ってその野を焼き廻(もとほし)(焼き囲んだ)
 そこで、出ていく所を知らざる間に(分からないでいると)、鼠が来て「内は富良富良(ほらほら)外は須夫須夫(すぶすぶ)
(内は洞穴、外はすぼんでいる)」と言った
 この如く言うので、その処(その場)を蹈(踏)むと、落ちて隠れるように入り、その間に、火は焼け過ぎていった
 そして、その鼠が、その鳴鏑を咋えて(くわえて)持って出て来て奉(たてまつった)(差し上げた)
 その矢の羽は、その鼠の子らが皆んな(すべて)喫ひつ(かじっていた)


 それで、その妻の須勢理毘売(スセリビメ)は、哭き(泣き)ながら喪具(はふりつもの)(葬式の道具)を持って来て、
その父の大神は、已に(すでに)死んだと思って、その野に出で(いで)立った
 すると、その矢を持って奉ってきたとき、家に率て(連れて)入りて、八田間(やたま)の大室(おほむろや)(大広間)に
喚び(呼び)入れて、その頭の虱(しらみ)を取るように言った
 それで、その頭を見ると、呉公(むかで)(百足)が多くさんいた
 そこで、その妻は、牟久(むく)(椋)の木の実と赤土(はに)とを取って、その夫に授けた
 それで、その木の実を咋ひ破り(噛み砕いて)、赤土を含んで唾を出すと、
その大神は、呉公(百足)を咋ひ破り(噛み砕いて)唾を出したと以為(おもほし)思って、心に愛しく思って寝てしまった
 そこで、その神の髪を握ぎって、その室(部屋)の椽(たりき)(垂木)毎に結ひ著(つ)(付)けて、
五百引石(いほびきのいは)(大岩)をその室の戸に取り塞いで、その妻の須勢理毘売を負ひて(背負って)、
すぐに、その大神の生大刀(いくたち)と生弓矢(いくゆみや)と、また、その天詔琴(あめののりごと)を取って持って、
逃げ出そうとしたとき、その天詔琴が、樹に払(ふれて)(触れて)地(つち)動(とよ)み鳴った(大地が鳴り轟いた)
 それで、その寝ていた大神は、聞いて驚いて、その室(部屋)を引き仆(たふし)(倒し)てしまった
 然れども、椽(たりき)(垂木)に結ばれていた髪を解いている間に、遠くへ逃げた
 そして、黄泉比良坂(よもつひらさか)に至るまで追いかけてきて、遥(はるばる)望(みさけ)(眺め)て、
大穴牟遅神(オホナムヂ)を呼んで、「その汝(おまえ)が持っている生大刀と生弓矢を以(もって)、
汝の庶兄弟(ままあにおと)(異母兄弟)たちを、坂の御尾(みを)(裾)に追ひ伏せ、
また河の瀬に追い払って、意礼(おれ)(おまえ)が大国主神と為(なって)、
また、宇都志国玉神(ウツシクニタマ)と為って、その我が女(娘)の須勢理毘売を鏑妻(むかひめ)(正妻)に為(し)て、
宇迦能山(うかのやま)(出雲郡宇迦郷)の山本(麓)に、底津石根(そこついはね)に宮柱(みやばしら)布刀斯理(ふとしり)、
高天原(たかあまはら)に氷椽多迦斯理(ひぎたかしり)て居れ(住め)
 この奴(やっこ)め」と言った
 それで、その大刀と弓を持って、その八十神(やそがみ)を追ひ避くる(退けた)ときに、
坂の御尾(みを)(裾)ごとに追ひ伏せ、河の瀬ごとに追ひ払って、国を作り始めた


 それで、その八上比売(やがみひめ)は、先の期(ちぎり)(約束)の如く美刀(みと)(御所)阿多波志都(あたはしつ)
(与えられる)(結婚した)
 それで、その八上比売は、率て(連れて)来られた雖(いえども)(けれども)、その鏑妻(むかひめ)(正妻)の
須勢理毘売(スセリビメ)を畏(かしこみて)(恐れて)、その生んだ子を、木の俣に刺し挟んで返って(帰って)しまった
 それで、その子を名づけて「木俣神(キマタ)」と言う、またの名を「御井神(ミヰ)」と言う

【八千矛神の妻問】

 この八千矛神(ヤチホコ)(大国主神)が、高志国(こしのくに)(北陸越の国)の沼河比売(ヌナカハヒメ)と婚(よばはむ)
(結婚)將(しようと)して、幸行(訪問)したとき、その沼河比売の家に到りて(着いて)、歌を曰(ひけらく)(詠んだ)

   夜知富許能(やちほこの)迦微能美許登波(かみのみことは)夜斯麻久爾(やしまくに)
   都麻麻岐迦泥弖(つままきかねて)登富登富斯(とほとほし)故志能久邇邇(こしのくにに)
   佐加志賣遠(さかしめを)阿理登岐加志弖(ありときかして)久波志賣遠(くはしめを)
   阿理登伎許志弖(ありときこして)佐用婆比爾(さよばひに)阿理多多斯(ありたたし)用婆比邇(よばひに)
   阿理加用婆勢(ありかよばせ)多知賀遠母(たちがをも)伊麻陀登加受弖(いまだとかずて)淤須比遠母(おすひをも)
   伊麻陀登加泥婆(いまだとかねば)遠登賣能(をとめの)那須夜伊多斗遠(なやすやいたとを)淤曾夫良比(おそぶらひ)
   和何多多勢禮婆(わがたたせれば)比許豆良比(ひこづらひ)和何多多勢禮婆(わがたたせれば)
   阿遠夜麻邇(あをやまに)奴延波那伎奴(ぬえはなきぬ)佐怒都登理(さのつとり)岐藝斯波登與牟(きざしはとよむ)
   爾波都登理(にはつとり)迦祁波那久(かけはなく)宇禮多久母(うれたくも)那久那留登理加(なくなるとりか)
   許能登理母(このとりも)宇知夜米許世泥(うちやめこせね)
   伊斯多布夜(いしたふや)阿麻波勢豆加比(あまはせづかひ)許登能(ことの)加多理其登母(かたりごとも)許遠婆(こをば)

   八千矛の 神の命は 八島国 妻枕きかねて 遠遠し 高志の国に 賢し女を 有りと聞かして 麗し女を
   有りと聞こして さ婚ひに あり立たし 婚ひに あり通ばせ 大刀が緒も いまだ解かずて 襲をも
   いまだ解かねば 嬢子の 寝すや板戸を 押そぶらひ 我が立たせれば 引こづらひ 我が立たせれば 青山に
   鵺は鳴きぬ さ野つ鳥 雉はとよむ 庭つ鳥 鶏は鳴く 心痛くも 鳴くなる鳥か この鳥も 打ち止めこせね
   いしたふや 天馳使 事の 語言も 是をば

   八千矛の神様(大国主神)は、八島国中を探しても妻をもらうことができず、遠い遠い、高志の国(北陸の越の国)に、
  賢しこい女性がいると聞いて、麗しい女性がいると聞いて、求婚しに出かけ、求婚しに通い、大刀の下げ緒を
  解かないうちに、着衣の上着も脱がないうちに、女性の寝ている家の戸板戸を激しく押し揺すぶり、立っていると、
  何度も引いて、立っていると、青山で、鵺(ぬえ)が鳴いて、野鳥の雉(きぎし)が鳴き叫び、庭の鳥の鶏が鳴き、
  嘆かわしくも鳴いている鳥よ、鳴くのをやめてくれ、天駆ける使いよ、この事を語ってお伝えしよう


 そこで、その沼河比売(ヌナカハヒメ)は、未だ戸を開けずに、内から歌を曰(ひけらく)(詠んだ)

   夜知富許能(やちほこの)迦微能美許等(かみのみこと)奴延久佐能(ぬえくさの)賣邇志阿禮婆(めにしあれば)
   和何許許呂(わがこころ)宇良須能登理叙(うらすのとりぞ)伊麻許曾婆(いまこそば)和杼理邇阿良米(わどりにあらめ)
   能知波(のちは)那杼理爾阿良牟遠(などりにあらむを)伊能知波(いのちは)那志勢多麻比曾(なしせたまひそ)
   伊斯多布夜(いしたふや)阿麻波世豆迦比(あまはせづかひ)許登能(ことの)加多理碁登母(かたりごとも)許遠婆(こをば)

   八千矛の 神の命 ぬえ草の 女にしあれば 我が心 浦渚の鳥ぞ 今こそは 我鳥にあらめ
   後は 汝鳥にあらむを 命は な死せたまひそ いしたふや 天馳使 事の 語言も 是をば

   八千矛の神様へ、なよなよとした女であるので、私の心は浦の洲にいる鳥のようにです、今は、私の鳥ですが、
  やがては、あなたの鳥になるでしょうから、命だけは、殺さないでください、天駆けるお使いよ、この事を語ってお伝えします

   阿遠夜麻邇(あをやまに)比賀迦久良婆(ひがかくらば)奴婆多麻能(ぬばたまの)用波伊傳那牟(よはいでなむ)
   阿佐比能(あさひの)惠美佐加延岐弖(えみさかえきて)多久豆怒能(たくづのの)斯路岐多陀牟岐(しろきただむき)
   阿和由岐能(あわゆきの)和加夜流牟泥遠(わかやるむねを)曾陀多岐(そだたき)多多岐麻那賀理(たたきまながり)
   麻多麻傳(またまで)多麻傳佐斯麻岐(たまでさしまき)毛毛那賀爾(ももながに)伊波那佐牟遠(いはなさむを)
   阿夜爾(あやに)那古斐支許志(なこひきこし)夜知富許能(やちほこの)迦微能美許登(かみのここと)
   許登能(ことの)迦多理碁登母(かたりごとも)許遠婆(こをば)

   青山に 日が隠らば ぬばたまの 夜は出でなむ 朝日の 笑み栄え来て 栲綱の 白き腕
   沫雪の 若やる胸を そだたき たたきまながり 真玉手 玉手さし枕き 股長に 寝は寝さむを
   あやに な恋ひ聞こし 八千矛の 神の命 事の 語言も 是をば

   青山に日が隠れたら、夜にはおいでなさってください、朝日のように、晴れやかな笑みをたたえて来て、
  かじの木でつくった縄のように白い腕で、沫雪のように若い胸を、抱いて、抱き合い、本当に美しい手を、
  美しい手を抱いて、いつまでも寝ていましょう、一途に恋します、八千矛の神様へ、この事を語ってお伝えします


 それで、その夜は、合(会)わずに、明日(くるひ)(翌日)の夜に、御合(みあひ)為(した)

【須勢理毘売の嫉妬】

 また、その神の嫡后(おほきさき)の須勢理毘売命(スセリビメ)が、甚(いたく)嫉妬(うはなりねたみ)為たまひき
 そこで、その日子遅神(ひこぢのかみ)(夫)は和備弖(わびて)(困って)、出雲より倭国(やまとのくに)に上り坐そうとして、
束装(よそひ)(身支度)して立うとしたとき、片御手を、御馬の鞍に繁(か)け、片御足を、その御鐙(みあぶみ)に蹈み入れて、
歌を曰(ひけらく)(詠んだ)

   奴婆多麻能(ぬばたまの)久路岐美祁斯遠(くろきみけしを)麻都夫佐爾(まつぶさに)登理與曾比(とりよそひ)
   淤岐都登理(おきつとり)牟那美流登岐(むなみるとき)波多多藝母(はたたぎも)許禮婆布佐波受(これはふさわず)
   幣都那美(へつなみ)曾邇奴岐宇弖(そにぬきうて)蘇邇杼理能(そにとりの)阿遠岐美祁斯遠(あをきみけしを)
   麻都夫佐邇(まつぶさに)登理與曾比(とりよそひ)於岐都登理(おきつとり)牟那美流登岐(むなみるとき)
   波多多藝母(はたたぎも)許母布佐波受(こもふさはず)幣都那美(へつなみ)
   曾邇奴棄宇弖(そにぬきうて)夜麻賀多爾(やまがたに)麻岐斯(まきし)阿多泥都岐(あたねつき)
   曾米紀賀斯流邇(そめきがしるに)斯米許呂母遠(しめころもを)麻都夫佐邇(まつぶさに)登理與曾比(とりよそひ)
   淤岐都登理(おきつとり)牟那美流登岐(むなみるとき)波多多藝母(はたたぎも)許斯與呂志(こしよろし)
   伊刀古夜能(いとこやの)伊毛能美許等(いものみこと)牟良登理能(むらとりの)和賀牟禮伊那婆(わがむれいなば)
   比氣登理能(ひけとりの)和賀比氣伊那婆(わがひけいなば)那迦士登波(なかじとは)那波伊布登母(なはいふとも)
   夜麻登能(やもとの)比登母登須須岐(ひともとすすき)宇那加夫斯(うなかぶし)那賀那加佐麻久(ながなかさまく)
   阿佐阿米能(あさあめの)疑理邇多多牟叙(ぎりにたたむぞ)和加久佐能(わかくさの)都麻能美許登(つまのみこと)
   許登能(ことの)加多理碁登母(かたりごとも)許遠婆(こをば)

   ぬば玉の 黒き御衣を ま悉さに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも これば適はず
   辺つ波 そに脱き棄て そに鳥の 青き御衣を ま悉さに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも こも適はず
   辺つ波 そに脱き棄て 山県に 蒔きし あたね舂き 染木が汁に 染め衣を ま悉さに 取り装ひ
   沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも 此し宜し いとこやの 妹の命 群鳥の 我が群れ往なば 引け鳥の 我が引け往なば
   泣かじとは 汝は言ふとも 山処の 一本薄 項傾し 汝が泣かさまく 朝雨の 霧に立たむぞ 若草の 妻の命
   事の 語言も 是をば

   ぬば玉のような黒い御衣をすっかり着飾り、沖の水鳥のように胸元を見ると、袖の端をたぐり広げてみても、
  これは似合わない
   浜辺に寄せる波のように、さっと脱ぎ捨てて、かわせみのように青い御衣をすっかり着飾り、沖の水鳥のように
  胸元を見ると、袖の端をたぐり広げてみても、これも似合わない、浜辺に寄せる波のように、さっと脱ぎ捨てて、
  山の畑に蒔いた、茜を突いた染め草の汁で染めた衣を、すっかり着飾り、沖の水鳥のように胸元を見ると、
  袖の端をたぐり広げてみると、これは良く似合っている
   愛しい妻よ、私が群鳥のように行ったなら、私が皆に引かれて行ったなら、泣かないと、あなたは言うが、
  山の一本のススキのように、うなだれて、あなたは泣き嘆くき、朝の雨で、霧が立ちこめるようになるだろう
   若草のような妻よ、このことを語って伝えよう


 そこで、その后(きさき)は、大御酒坏(おおみさかづき)を取って、立ち依り(寄って)指挙(ささげて)(奉げて)
歌を曰(ひけらく)(詠んだ)

   夜知富許能(やちほこの)加微能美許登夜(かみのみことや)阿賀淤富久邇奴斯(あがおほくにぬし)那許曾波(なこそは)
   遠邇伊麻世婆(をにいませば)宇知微流(うちみる)斯麻能佐岐耶岐(しまのさきざき)加岐微流(かきみる)
   伊蘇能佐岐淤知受(いそのさきおちず)和加久佐能(わかくさの)都麻母多勢良米(つまもたせらめ)阿波母與(はもよ)
   賣邇斯阿禮婆(めにしあれば)那遠岐弖(なをきて)遠波那志(をはなし)那遠岐弖(なをきて)都麻波那斯(つまはなし)
   阿夜加岐能(あやかきの)布波夜賀斯多爾(ふはやがしたに)牟斯夫須麻(むしぶすま)爾古夜賀斯多爾(にこやがしたに)
   多久夫須麻(たくぶすま)佐夜具賀斯多爾(さやぐがしたに)阿和由岐能(あわゆきの)和加夜流牟泥遠(わかやるむねを)
   多久豆怒能(たくづのの)斯路岐多陀牟岐(しろきただむき)曾陀多岐(そだたき)多多岐麻那賀理(たたきまながり)
   麻多麻傳(またまで)多麻傳佐斯麻岐(たまでさしまき)毛毛那賀邇(ももながに)伊遠斯那世(いをしなせ)
   登與美岐(とよみき)多弖麻都良世(たてますらせ)

   八千矛の 神の命や 吾が大国主 汝こそは 男に坐せば 打ち廻る 島の埼埼 かき廻る 磯の埼落ちず
   若草の 妻持たせらめ 吾はもよ 女にしあれば 汝を除て 男は無し 汝を除て 夫は無し 綾垣の ふはやが下に
   苧衾 柔やが下に 栲衾 さやぐが下に 沫雪の 若やる胸を 栲綱の 白き腕 そだたき たたきまながり
   真玉手 玉手さし枕き 股長に 寝をし寝せ 豊御酒奉らせ

   八千矛の神様、私の大国主神へ、あなたは男であるので、いろいろ巡り、島の先々を巡り、磯の岬も漏れることなく
  若草のような、妻を持たれることでしょう
   私は女であるので、あなたを除いて、男はいません、あなたを除いて、夫はいません
   綾絹の帳の、ふわふわとしている下で、苧の布団の柔らかな下で、かじの木の布団のさやめく下で、
  沫雪のように若い胸や白い腕をそっと撫でたり絡めたりして、玉のような綺麗な手を手枕にして、いつまでも寝ていましょう
   御酒をお召し上がり下さい


 このように歌ひて、すぐに宇伎由比(うきゆひ)為て(酒坏を交わして)、宇那賀気理弖(うながけりて)(首に手をかけ合って)
今に至るまで鎮座して坐す(います)
 此れを神語(かむがたり)と言う

【大国主神の神裔】

 さて、この大国主神が、胸形奥津宮(むなかたのおきつみや)に坐す神、多紀理毘売命(タキリビメ)を娶って生んだ子は、
阿遅鋤高日子根神(アヂスキタカヒコネ)
 次に、妹(女性)の高比売命(タカヒメ)、またの名は、下光比売命(シタテルヒメ)
 この阿遅スキ高日子根神は、今、迦毛大御神(カモノオオミカミ)と言う
 大国主神が、また神屋楯比売命(カムヤタテヒメ)を娶って生んだ子は、事代主神
 また、八島牟遅能神(ヤシマムヂノ)の女(娘)、鳥耳神(トリミミ)を娶って生んだ子は、鳥鳴海神(トリナルミ)

 この神が、日名照額田毘道男伊許知邇神(ヒナテルヌカタビチヲイコチニ)を娶って生んだ子は、国忍富神(クニオシトミ)
 この神が、葦那陀迦神(アシナダカ)、またの名の八河江比売(ヤガハエヒメ)を娶って生んだ子は、
速甕之多気佐波夜遅奴美神(ハヤミカノタケサハヤヂヌミ)
 この神が、天之甕主神(アメノミカヌシ)の女(娘)、前玉比売(サキタマヒメ)を娶って生んだ子は、甕主日子神(ミカヌシヒコ)
 この神が、淤迦美神(オカミ)の女(娘)、比那良志毘売(ヒナラシビメ)を娶って生んだ子は、
多比理岐志麻流美神(タヒリキシマルミ)
 この神が、比々羅木之其花麻豆美神(ヒヒラギノソノハナマヅミ)の女(娘)、活玉前玉比売神(イクタマサキタマヒメ)を
娶って生んだ子は、美呂浪神(ミロナミ)
 この神が、敷山主神(シキヤマヌシ)の女(娘)、青沼馬沼押比売(アヲヌウマヌオシヒメ)を娶って生んだ子は、
布忍富鳥鳴海神(ヌノオシトミトリナルミ)
 この神が、若尽女神(ワカツクシメ)を娶って生んだ子は、天日腹大科度美神(アメノヒバラオホシナドミ)
 この神が、天狭霧神(アメノサギリ)の女(娘)、遠津待根神(トホツマチネ)を娶って生んだ子は、
遠津山岬多良斯神(トホツヤマサキタラシ)
 以上の八嶋士奴美神より、遠津山岬帯神までを、十七世神(とをまりななよのかみ)と称す

【大国主神の国作り】

 さて、大国主神、出雲の御大之御前(みほのみさき)(島根県の美保崎)に坐す(いた)とき、
波の穂(彼方)から天之羅摩船(あめのかがみぶね)に乗って、鵝皮(ひむしのかは)を内剥(うつはぎ)(まるはぎ)に剥いで、
衣服に為て、帰り来る(寄ってくる)神が有りき(いた)
 そこで、その名を問いたけれど答へず
 また、所従(みともの)(従っている)諸神に問いたけれど、みんな「知らない」と言って白しめた(申し上げた)
 すると、多邇具久(たにぐく)(ヒキガエル)が、「これは久延毘古(くえびこ)(案山子)なら必ず知っているでしょう」と
白しめた(申し上げた)ので、すぐに久延毘古を召して(呼んで)問うと、「これは神産巣日神(カムムスヒ)の御子(みこ)の
少名毘古那神でしょう」と答へ白しめた(申し上げた)
 そこで、神産巣日御祖命(カムムスヒノミオヤノミコト)に白し上げると(申し上げると)、「これは実(確かに)に我が子である
 子の中で、我が手俣(たなまた)(指の間)から久岐斯(くきし)(漏れた)子だ
 それで、汝(おまえ)と葦原色許男命(アシハラシコヲ)とが兄弟(あにおと)と為って、その国(葦原中国)を作り堅めよ」と
答え告げた
 それゆえ、それから、大穴牟遅(オホナムヂ)と少名毘古那神の二柱(ふたはしら)の神は相並んで、
この国を作り堅めた
 然(そうした)後に、その小名毘古那神は、于(そこで)常世国(とこよのくに)に度(渡)った
 さて、その少名毘古那神を顕はし(明らかにした)と白せし(いう)、所謂(ゆわゆる)久延毘古(クエビコ)は、
今者に(いまでいう)山田曽富騰(やまだのそほど)のことである
 この神は、足で行けない(歩けない)雖(いえども)(けれど)、尽(ことごとく)天下の事を知っている神である


 このようなことで、大国主神は、愁ひて(悲しんで)、「吾(私)独(ひとり)(一人)で何に(いかにして)
能(よく)(良く)この国を作く得む(作ることができるか)
 孰(いづれ)の神と吾(私)とで、能くこの国を相作ろうか(共に作ろうか)」と告げた
 この時に海を光して(照らして)依って(寄って)来る神が有る(いた)
 その神は、「我前(私を)能く(良く)治めば(祀れば)、吾(私)が能く(良く)共に興し相作り成そう
 若(もし)然らず(そうしなければ)国は成り難けむ(できないだろう)」と言った
 そこで、大国主神は、「然らば(それならば)治め(祀り)奉る状(さま)は奈何(いか)(どのようにすればいいのか)」と申す
 「吾(私)を、倭之青垣(やまとのあをがき)の東の山の上に伊都岐(いつき)(祭祀)して奉れ(祀れ)」と答えて言った
 この坐すのが御諸山上神(みもろやまのへのかみ)である

【大年神の神裔】

 さて、その大年神(オホトシ)が、神活須毘神(カムイクスビ)の女(娘)、伊怒比売(イノヒメ)を娶って生んだ子は、
大国御魂神(オホクニミタマ)
 次に、韓神(カラ)
 次に、曽富理神(ソホリ)
 次に、白日神(シラヒ)
 次に、聖神(ヒジリ)、この五神
 また、香用比売(カヨヒメ)を娶って生んだ子は、大香山戸臣神(オホカグヤマトミ)
 次に、御年神(ミトシ)、この二柱
 また、天知迦流美豆比売(アメチカルミヅヒメ)を娶って生んだ子は、奥津日子神(オキツヒコ)
 次に、奥津比売命(オキツヒメ)、またの名は大戸比売神(オホヘヒメ)、
これは諸人(もろひと)の(人々が)以拝(もちいつく)(信仰している)竃神(かまどのかみ)である
 次に、大山咋神、またの名は山末之大主神(ヤマスヱノオホヌシ)、
この神は、近淡海国(ちかつあふみのくに)(近江国)の日枝山(ひえのやま)(比叡山)に坐し(まし)、
また、葛野(かづの)(山城国葛野郡)の松尾(まつのお)に坐して、鳴鏑(なりかぶら)を用つ(持つ)神である
 次に、庭津日神(ニハツヒ)
 次に、阿須波神(アスハ)
 次に、波比岐神(ハヒキ)
 次に、香山戸臣神(カグヤマトミ)
 次に、羽山戸神(ハヤマト)
 次に、庭高津日神(ニハタカツヒ)
 次に、大土神(オホツチ)、またの名は土之御祖神(ツチノミオヤ)、この九神
 上の件(くだり)の大年神の子、大国御魂神、以下、大土神、以前を、併せて十六神(とをまりむはしら)


 羽山戸神(ハヤマト)、大気都比売神(オホゲツヒメ)を娶って生んだ子は、若山咋神(ワカヤマクヒ)
 次に、若年神(ワカトシ)
 次に、妹(女性)の若沙那売神(ワカサナメ)
 次に、彌豆麻岐神(ミヅマキ)
 次に、夏高津日神(ナツタカツヒ)、またの名は夏之売神(ナツノメ)
 次に、秋毘売神(アキビメ)
 次に、久々年神(ククトシ)
 次に、久々紀若室葛根神(ククキワカムロツナネ)
 上の件の羽山の子、以下、若室葛根、以前を、併せて八神(やはしら)

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