古事記(こじき)天照大御神と須佐之男命(アマテラスオオカミとスサノヲノミコト)

古事記の神話

掲載:上巻(こじきかみつまき)

著者:太朝臣安万侶(おおのあそみやすまろ)(太安萬侶)(おほのやすまろ)

 「天照大御神と須佐之男命(アマテラスオオカミとスサノヲノミコト)」のことは、「古事記」の上巻に記されている

 天照大御神須佐之男命は、火の神を生んだことで死んでしまった伊邪那美命に会いに黄泉の国へ行った伊邪那岐命が、
逃げ帰ってきてから禊払いを行ったときに生まれた三貴子のうちの二柱

 須佐之男命は、天照大御神が治める高天原に上って大暴れをして、天照大御神が天岩戸に隠れる事態となり、追放になり
地上に降りて、八俣遠呂智を退治して救い出した櫛名田比売などと結婚して、子孫を残す

【古事記の原文】


【須佐之男命の神やらひ】

 そのようなわけで、速須佐之男命が、「しかるならば天照大御神に請して(申し上げて)から
罷らむ(行こう)」と言って、天に参り上ったとき、山や川が悉く(ことごとく)動き、国土が全て震動した
 すると、天照大御神が、これを聞いて驚き、「我が那勢(なせ)(男性)の命(みこと)の上り来る理由は、
きっと良い心からではないだろう。我が国を奪おうと欲しているに違いない」と言う
 すると、御髪を解いて御美豆羅(みみずら)(男性の髪型)に纏い(まい)て、
そして左右の御美豆羅にも、また御口(みかづら)(髪飾り)にも、また左右の御手にも、
それぞれ八尺勾瓊(やさかのまがたま)の五百津(いほつ)の美須麻流之珠(みすまるのたま)を纏いて(まいて)持って、
曽毘良(そびら)(背中)には、千入(ちのり)(多くさん)の靫(ゆき)(弓矢)を背負い、
比良邇(ひらに)(脇腹)は五百入(いほのり)(多くさん)の靫(ゆき)(弓矢)を附け、
また、伊都の(いつの)(威勢のいい)竹鞆(たかとも)(獣皮で作った防具)を取り佩(お)ばして、
弓の腹を振り立てて、堅い庭(地面)が両股につくほど蹈み那豆美(なづみ)(踏み込み)、
淡雪(あわゆき)のように蹶散(くゑはらら)(土を蹴散)らし、伊都の(いつの)(威勢のいい)男建(をたけび)が、
蹈み建びて(踏み立って)待ち構えて「何故、上って来た」と尋ねた
 すると速須佐之男命は、「私には邪心(反逆心)はありません、ただ、大御神の命令で、
私が哭き(泣き)伊佐知流(いさちる)(激しく涙を流す)事を問われて、なぜなら白し(とても)都良久(つらく)
「私は妣(はは)(母)の国に往くことを欲して哭いて(泣いて)いる」と答え白しめた(申し上げた)
 すると大御神は「あなたは、この国にいるべきではない」と言って、神夜良比夜良比(かむやらひやらひ)(追放)されました
 そこで、罷り往く(立ち去る)状(さま)(旨)を請(まを)(申)そうと以為って(おもって)(思って)
参り上りました、異心(ことごころ)(他意)はありません」と言った
 すると、天照大御神は、「それならば、あなたの心が清く明るいことを、どのようにして知らしめる(示す)のか」と言った
 すると、速須佐之男命は、「それぞれ宇気比(うけひ)をして子を生みましょう」と答え白しめた(申し上げた)

【天照大御神と須佐之男命の誓約】

 それで、それぞれ天安河(あめのやすのかは)を中に置いて(挟んで)、宇気布(うけふ)をしたとき、
天照大御神が、先づ、建速須佐之男命が佩ける(はける)(持っていた)十拳剣(とつかのつるぎ)を求め渡してもらい、
奴那登母母由良爾(ぬなとももゆらに)(身に着けていた玉を揺らしながら)、天の真名井(あめのまなゐ)に振り滌(すす)いで、
佐賀美邇迦美(さがみにかみ)(噛みに噛んで)、吹き棄てた(吹き出した)気吹(いぶき)の狭霧(さぎり)から
成りいでた神の御名は、多紀理毘売命(タキリビメ)、またの御名は、奥津嶋比売命(オキツシマヒメ)という
 次に、市寸島比売命、またの御名は、狭依毘売命(サヨリビメ)という
 次に、多岐都比売命(タキツヒメ)、三柱である


 速須佐之男命は、天照大御神の左の御美豆良(みみづら)に纏(ま)いていた八尺勾瓊(やさかのまがたま)
五百津(いほつ)の美須麻流(みすまる)の珠を求め渡してもらい、
奴那登母母由良爾(ぬなとももゆらに)(身に着けていた玉を揺らしながら)、天の真名井に振り滌(すす)いで、
佐賀美邇迦美(さがみにかみ)(噛みに噛んで)、吹き棄てた(吹き出した)気吹(いぶき)の狭霧(さぎり)から
成りいでた神の御名は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)
 また、右の御美豆良に纏いていた珠を求め渡してもらい、噛みに噛んで、吹き出した気吹の狭霧から
成りいでた神の御名は、天之菩卑能命
 また、御口(みかづら)(髪に巻き付ける頭飾り)に纏いていた珠を求め渡してもらい、噛みに噛んで、
吹き出した気吹の狭霧から成りいでた神の御名は、天津日子根命(アマツヒコネ)
 また、左の御手に纏かせる珠を纏いていた珠を求め渡してもらい、噛みに噛んで、吹き出した気吹の狭霧から
成りいでた神の御名は、活津日子根命(イクツヒコネ)
 また、右の御手に纏かせる珠を纏いていた珠を求め渡してもらい、噛みに噛んで、吹き出した気吹の狭霧から
成りいでた神の御名は、熊野久須毘命(クマノクスビ)
 併せて五柱
 そして、天照大御神は、速須佐之男命に、「この、後で生まれた五柱の男子は、物実(ものざね)(物事が起こる因果)として
私の物に因りて(私の物から)成りいでたので、自ずから、私の子である
 先に生まれた三柱の女子は、物実として、あなたの物から成りいでたので、自ずから、あなた子である」と告げて、
このように言い別けた


 そして、その、先に生まれた神の多紀理毘売命は、胸形之奥津宮(むなかたのおきつみや)に坐(ま)します
 次に、市寸島比売命は、胸形之中津宮(むなかたのなかつみや)に坐します
 次に、田岐都比売命は、胸形之邊津宮(むなかたのへつみや)に坐します
 この三柱の神は、胸形君(むなかたのきみ)らに以ち(よって)伊都久(いつく)(祭祀)されている三前大神(みまへ)である
 そして、この、後で生まれた五柱の子の中の天菩比命(天之菩卑能命)の子、建比良鳥命(タケヒラトリ)は、
これは出雲国造(いづものくにのみやつこ)、无邪志国造(むさしのくにのみやつこ)、
上菟上国造(かみつうなかみのくにのみやつこ)、下菟上国造(しもつうなかみのくにのみやつこ)、
伊自牟国造(いじむのくにのみやつこ)、津嶋縣直(つしまのあがたのあたひ)、遠江国造(とほつあふみのくにのみやつこ)
等の祖である
 次に天津日子根命(アマツヒコネ)は、これは凡川内国造(おふしかふちのくにのみやつこ)、
額田部湯坐連(ぬかたべのゆゑのむらじ)、木国造(きのくにのみやつこ)、倭田中直(やまとのたなかのあたひ)、
山代国造(やましろのくにのみやつこ)、馬来田国造(うまぐたのくにのみやつこ)、
道尻岐閇国造(みちのしりのきへのくにのみやつこ)、周芳国造(すはのくにのみやつこ)、
倭淹知造(やまとのあむちのみやつこ)、高市縣主(たけちのあがたぬし)、蒲生稲寸(かまふのいなき)、
三枝部造(さきくさべのみやつこ)等の祖である

【須佐之男命の天津罪】

 そして、速須佐之男命は、天照大御神に「我が心清く明るいので、私が生んだ子は手弱女(たわやめ)(か弱い女性)だった
これから言えば、自ら(おのづから)私の勝ちである」と白しめた(申し上げた)
 このように言って、勝佐備に(かちさびに)(勝ちにまかせて)、天照大御神の営田(つくだ)(作っている田)の阿(あ)(畔)を
離ち(壊し)、その溝を埋(うず)め、またその大嘗(おほにへ)を聞看(きこしめす)殿に(大嘗祭で新穀を召し上がりになる神殿)に、
屎麻理(くそまり)散らしき(糞尿を巻き散らかした)
 汝(かれ)然為(しかす)れども(しかしそのようなことがあっても)天照大御神は、登賀米受(とがめずて)(咎めず)、
「屎如(くそなす)は(糞にみえるのは)、酔ひて吐き散らす登許曾(とこそ)(ものであって)、我が那勢(なせ)(弟)の命は、
如此(かく)為(し)つらめ(そのようにしたのだろう)
 また田の阿を離ち(田の畔を壊し)、溝を埋めたのは、地を阿多良斯登許曽(あたらしとこそ)(土地を惜しんでのことであって)
我が那勢(弟)の命は、如此為つらめ(そのようにしたのだろう)」と言って、詔り直したけれども(言い直したけれど)、
猶(なお)その悪しき態は止まずて激しくなった
 天照大御神が、忌服屋(いみはたや)(神の衣を織る建物)に坐して、神御衣(かむみそ)(神の衣)を織らせていると、
その服屋(はたや)(機屋)の頂(むね)(屋根)を穿(うがち)(突き破り)、天の斑馬(ふちこま)(色のついた馬)を
逆剥ぎに剥ぎて(尾の方から皮を剥いで)堕し(落とし)入れると、天の服織女(はたおりめ)が見て驚いて、
梭(ひ)(織物の横糸を通す道具)に陰上(ほと)(陰部)を衝いて死んでしまう

【天の岩屋戸】

 このように、天照大御神は、見畏みて(見て恐れて)、天の岩屋戸(あめのいはやと)を開いて、
刺許母理(さしこもり)坐す(引き籠ってしまう)
 ここに、高天原(たかまのはら)は皆(すべて)暗くなり、葦原中国(あしはらのなかつくに)も悉(ことごとく)闇となった
 これに因りて、常夜(とこよ)往きき(いつまでも夜が続いた)
 これによって、万(よろず)の神の聲(声)が、狭蝿那須(さばえなす)満ち(夏の蝿のように満ち)、
万の妖(わざはひ)(あらゆる災い)が、悉(ことごとく)発った(起こった)


 このようなことで、八百万の神(やおよろずのかみ)が、天安之河原(あめのやすのかわら)に神集(かむつどひ)集ひて、
高御産巣日神(タカミムスヒ)の子、思金神(オモヒカネ)に思わせる(考えさせる)
 そして、常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)を集めて鳴かせて、天安河(あめのやすのかは)の河上の
天の堅石(あめのかたいし)を取り、天の金山(あめのかなやま)(鉱山)の鉄(まがね)を取って、鍛人(かぬち)(鍛冶)の
天津麻羅(あまつまら)を求める(さがす)
 伊斯許理度売命(イシコリドメ)に科(おほせて)(命じて)鏡を作らせる
 玉祖命(タマノオヤ)に科せて、八尺勾瓊(やさかのまがたま)の五百津之御須麻流之珠(いほつのみすまるのたま)を作らせる
 天児屋命(アメノコヤネ)、布刀玉命(フトタマ)が召されて(呼ばれて)、天香山(あめのかぐやま)の
真男鹿(まをしか)の肩(雄鹿の肩の骨)を内抜きに(うつぬきに)抜きて(丸抜きにして)、
天香山の天之波波迦(あめのははか)(朱桜(かにわさくら))を取って、占合(うらなひ)麻迦那波(まかなはす)
(占いで神意をはかる)
 天香山の五百津真賢木(まさかき)(枝葉の繁った木)を、根許士爾許士(ねこじにこじ)(根ごと掘り出して)、
上枝(ほつえ)に八尺勾瓊の五百津之御須麻流之玉(いほつのみすまるのたま)を取り著け(付け)、
中枝(なかつえ)に八尺鏡(やあたのかがみ)を取り繋(かけ)(飾り)、
下枝(しずえ)に白丹寸手(しらにきて)(楮の繊維で作られた木綿)、青丹寸手(あをにきて)(麻の布)を取り垂らす
 この種種(くさぐさ)の物は、布刀玉命(フトタマ)が、布刀御幣(ふとみてぐら)(素晴らしい供え物)として取り持ちて、
天児屋命(アメノコヤネ)が、布刀詔戸言(ふとのりとごと)(素晴らしい祝詞)を祷き白して(ほきまして)(唱えて)、
天手力男神(アメノタヂカラヲ)が、戸の掖(わき)(脇)に隠れて立ち、
天宇受賣命が、天香山の天之日影(あめのひかげ)を手次(たすき)(襷)に繋けて、
天之真拆(あめのまさき)を口(かづら)と為して、天香山の小竹葉(ささば)(笹の葉)を手草(たぐさ)に結びて(束ねて持って)、
天之石屋戸(あめのいはやと)にう気(うけ)(桶)を伏せて蹈(ふみ)(踏み)登抒呂許志(とどろこし)(轟かし)、
神懸(かむがか)に為って、胸乳(むなち)を掛き出し(さらけだし)、裳緒(もひも)(衣装の紐)を番登(ほと)(陰部)にまで
忍(おし)垂(たれき)(押し下げた)
 これに、高天原が動(とよみ)(どよめき)、八百万神(やほよろづのかみ)が共に咲(わらって)(大笑いした)


 このようなわけで、天照大御神は、怪しと以為(おもい)(不思議に思って)、之石屋戸(あめのいはやと)を細めに開いて、
内から「吾(私)が隠り坐すに因りて(籠っているので)、天原は、自(おのずか)ら闇になり、また葦原中国も皆闇であるはずが、
何由以(なにのゆえにか)、天宇受賣は楽(あそんで)(歌舞をして)、また、八百万の神も諸(もろもろ)(みんな)
咲ふぞ(笑っているのか)」と尋ねる
 すると、天宇受賣が、「汝命(いましみこと)(あなたさま)に益して(まさる)貴い神がおられて、
それで、歓喜(よろこび)咲ひ(わらって)楽んで(歌舞して)います」と言って白しめた(申し上げた)
 如此(このように)言す(申し上げる)間に、天児屋命と布刀玉命は、その鏡を指し出して、
天照大御神に示(みせ)(見せ)奉(まつる)と、天照大御神は、逾奇(いよよあや)しと思って、
稍(やや)(ゆっくりと)戸から出て臨み坐す(覗きこんだ)ときに、そこで隠れ立っていた天手力男神が、
その御手(みて)を取って引きずり出し、すぐに、布刀玉命が、尻久米縄(しりくめなは)(注連縄)を、
その御後方(みしりへ)に控き度して(引き渡して)、「これより内に(中に)還り入りそ(入って戻ってはなりません)」と
言って白しめた(申し上げた)
 それゆえ、天照大御神が出て坐したとき、高天原も葦原中国も自(おのづと)照って明るくなった


 このように、八百万の神(やほよろづのかみ)は相談して、速須佐之男命に千位の置戸(ちくらのおきど)を
(多くの罪を償う品物)を負わせ、また、鬚を切らせ、手足の爪を抜かせて、
神夜良比夜良比岐(かむやらひやらひき)(追放して追い払った)

【五穀の起源】

 (須佐之男命は、)また、食物を大気津比売神(オホゲツヒメ)に乞ひき(求めた)
 すると、大気津比売は、鼻口及尻(はなくちまたしり)から、種種(くさぐさの)(様々な)味物(ためつもの)を取り出して、
種種に作り具(そなへて)(調理して)進(たてまつる)(差し上げた)ときに、
速須佐之男命は、その態を立ち伺ひて(その行いを見ていて)、穢汚(けが)して奉進したものと為(おも)(思い)、
それで、その大宜都比売神を殺してしまう
 ゆえに、殺された神の身から生れる物は、頭には蚕(かいこ)が生れ、二つの目には稲の種が生れ、
二つの耳には粟(あわ)が生れ、鼻には小豆(あずき)が生れ、陰部には麦が生れ、尻には大豆(だいず)が生れた
 これゆえに、神産巣日御祖命(カムムスヒノミオヤ)が、これを取らせて、種と成した

【八岐大蛇退治】

 そこで(須佐之男命は、)避追(やらえて)(追い払われて)、出雲国の肥の河上(斐伊川の上流)の、
名は鳥髪(とりかみ)という地に降りた
 このとき、箸(はし)が、その河より流れ下ってきた
 そこで須佐之男命は、人がその河上に有り(いる)と以為(おもい)(思い)、尋ね覓(もとめて)(求めて)上り往き(進むと)、
老夫(おきな)と老女(おみな)の二人が在りて(いて)、童女(をとめ)を中に置いて泣いていた
 そこで、「汝等(なれども)(あなたたち)は誰か」と問う
 すると、その老夫は、「僕(あ)は、国つ神(くにつかみ)で、大山津見神の子です
 僕(あ)の名は、足名椎(アシナヅチ)と言い、妻(め)の名は、手名椎(テナヅチ)と言い、女(むすめ)の名は、
櫛名田比売(クシナダヒメ)と言います」と答えた
 また、「汝(な)が哭く(泣く)由(ゆえ)(理由)は何だ」と問うと、「我の女(娘)は、本より(元々)八椎女(やおとめ)(8人)
在り(いました)
 あの高志(こし)(出雲国神門郡古志郷)の八俣遠呂智(やまたのをろち)が、年毎(としごと)に来て喫(くらへる)
(喰べてしまった)
 今が、それが来るときで、それゆえに泣いています」と答え白しめた(申し上げた)
 また、「その形は如何(いかに)」と問うと、「彼(そ)の目は赤加賀智(あかかがち)(赤いホオズキ)の如く、
身一つに八頭八尾(やかしらやを)が有ります
 またその身に蘿(こけ)(苔)や檜椙(ひすぎ)(檜や杉)が生えており、その長さは、谿八谷岐八尾(たにやたにをやを)
(八つの谷と八つの丘)に度(わた)りて、その腹を見れば、悉(ことごとく)常に血が爛でいます」と答え白しめた(申し上げた)
 この赤加賀智(あかかがち)と言うのは今の酸醤(ホオズキ)である


 そこで、速須佐之男命が、その老夫に、「この汝の女をば吾(あれ)に奉らむや(もらえるか)」と尋ねると
「恐れいりますが、御名を覚らず(存じません)」と答え白しめた(申し上げた)
 そこで「吾は、天照大御神の伊呂勢(いろせ)(同母兄弟)で、それで今、天から降り坐したところです」と答える
 すると、足名椎と手名椎神は、「然(しかるに)坐さに恐れいります。立奉(たてまつ)らむ(差し上げましょう)」と
答え白しめた(申し上げた)
 すると、速須佐之男命は、その童女を湯津爪櫛(ゆつつまぐし)(歯の多い爪型の櫛)に取り成して(変身させ)、
御美豆良(みみづら)に刺して、その足名椎と手名椎神に「汝等は、八塩折(やしほをり)の酒(8回くり返して醸造した強い酒)を
醸み(作り)、また垣根を作り廻らし、その垣根に八門(やかど)を作り、門毎に八佐受岐(やさずき)(8つの桟敷)を結び(造り)、
その佐受岐(桟敷)毎に酒船を置いて、船毎にその八塩折の酒を盛って待ちなさい」と告げる
 そして、告げられた随(まにま)に、如此(かく)(そのように)設け備へて(設備して)待っていると、
その八俣遠呂智が、信(まこと)に言った如(ごとく)やって来る
 そして、船毎に己が頭を垂れ入れて、その酒を飲んだ
 このように、飲んで酔って留まり(その場で)伏せて寝てしまった
 そこで、速須佐之男命は、その御佩(みはかする)(帯びていた)十拳剣(とつかのつるぎ)を抜いて、
その蛇(おろち)を切り散ると、肥河(ひのかは)が血に変って流れた
 そして、その中の尾を切ったとき、御刀(みはかし)の刃が毀(かけた)(欠けた)
 そこで、怪しと思ほして、御刀の前(さき)(先)を以って、刺し割って見ると、都牟刈之大刀(つむがりのたち)が在った
 そこで、この大刀を取って、異しき(奇妙な)物と思って、天照大御神に白し上げた(申し上げた)
 これが草那藝之大刀(くさなぎのたち)である

【須佐之男命の神裔】

 このようなことにより、その速須佐之男命は、宮を造作るべき地を出雲国に求めた(探した)
 そして須賀(すが)(出雲国大原郡)の地に到着し坐して、「吾はこの地に来て、我が御心は須賀須賀斯(すがすがしい)」と
言って、その地に宮を作って坐した(鎮座した)
 それで、その地を今も、須賀(すが)と言う
 この大神が、初めて須賀宮(すがのみや)を作ったとき、その地から雲が立ち騰(のぼった)
 そこで御歌を作(よ)んだ
 その歌は、
  夜久毛多都(やくもたつ)伊豆毛夜幣賀岐(いづもやへがき)都麻碁微爾(つまごみに)
    夜幣賀岐都久流(やへがきつくる)曾能夜幣賀岐袁(そのやへがきを)
  (八雲立つ 出雲八重 垣妻籠みに 八重垣作る その八重垣を)


 そして、その足名椎神(アシナヅチ)を喚んで(呼んで)「汝は我が宮の首任(おびとた)に任じよう」と告げて
且(かつ)、名を負(おほせて)(与えて)、稲田宮主須賀之八耳神(イナダノミヤヌシスガノヤツミミ)と号した(名付けた)


 そのようになり、その櫛名田比売(クシナダヒメ)を以ちて、久美度邇(くみどに)(寝所)で起して(交わって)、
生んだ神の名は、八島士奴美神(ヤシマジヌミ)と言う
 また、大山津見神の女(娘)、名は神大市比売(カムオホイチヒメ)を娶(めと)って生んだ子は、
大年神(オホトシ)
 次に、宇迦之御魂神、この二柱である
 兄の八島士奴美神(ヤシマジヌミ)が、大山津見神の娘、名は木花知流比売を娶って生んだ子は、
布波能母遅久奴須奴神(フハノモヂクヌスヌ)
 この神が、淤迦美神(オカミ)の娘、名は日河比売(ヒカハヒメ)を娶って生んだ子は、
深淵之水夜礼花神(フカフチノミヅヤレハナ)
 この神が、天之都度閇知泥神(アメノツドヘチネ)を娶って生んだ子は、淤美豆奴神(オミヅヌ)
 この神が、布怒豆怒神(フノヅノ)の娘、名は布帝耳神(フテミミ)を娶って生んだ子は、天之冬衣神(アメノフユキヌ)
 この神が、刺国大神(サシクニオホ)の娘、名は刺国若比売(サシクニワカヒメ)を娶って生んだ子は、
大国主神
 またの名は、大穴牟遅神(オホナムヂ)と言い、またの名は葦原色許男神(アシハラシコヲ)と言い、
またの名は、八千矛神(ヤチホコ)と言い、またの名は、宇都志国玉神(ウツシクニタマ)と言い、併せて五つの名がある

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