永谷宗円(ながたにそうえん)(Nagatani Souen)

永谷宗円(ながたにそうえん)

生年:1681年(皇紀2341)天和元年
没年:1778年(皇紀2438)安永7年

本名:永谷宗七郎義弘
称号:三之丞

出身:山城国宇治田原郷湯屋谷村(現在の綴喜郡宇治田原町湯屋谷)

 永谷宗円(ながたにそうえん)は、江戸時代中期に、日本煎茶の主流となる「青製煎茶製法」を考案した

 当時、高級な碾茶栽培は、特定の御茶師しか許可されておらず、富裕層が飲んでいた抹茶と異なり、
庶民が飲んでいたのは、色が赤黒く味も粗末な煎茶だったといわれる
 永谷宗円は、15年かけて製茶法を研究し、露天栽培による茶葉で緑の新しい煎茶を作り上げた

 永谷宗円はその製茶法を広く伝え、「永谷式煎茶」「宇治製煎茶」として全国に広まった

【永谷宗円の歴史・経緯】


【煎茶】

 江戸時代中期
 宇治は、茶栽培・製茶の名産地となっていた
 湯屋谷は、宇治市街より約10kmの山あいの小さな集落だった

 当時、高級な碾茶栽培(覆い下栽培)は、宇治の特定の御茶師にしか許可されていなく、
永谷宗円は、許可なく、露天栽培で美味しいお茶を作れないか、15年間、試行錯誤を繰り返したといわれる

 当時、碾茶を製茶するときに、選び取り除いた葉柄や支脈を「折物」と称して、煎じて飲んでいた
 折物は、揉捻がされていなく、適当の濃度にするため煮沸され、黄色で甘味がある特有の香りがあった

 <青製煎茶製法
 1738年(皇紀2398)元文3年
 永谷宗円は、釜炒工程やムシロの上で行っていた粗雑な揉捻作業を、
露天栽培のやわらかい新芽だけを使って、蒸してから焙炉上の助炭の上で手で揉みながら乾燥させることで
新しい煎茶を作り出した

【その他】

 <売茶翁 高遊外
 黄檗宗の僧で、煎茶道の祖
 「古今嘉木歴覧」によると
 1742年(皇紀2402)寛保2年の初夏
 永谷宗円を訪ねていき、青製煎茶を飲んでとても気に入り、終日茶事を語り合ったといわれる

 <永谷宗円の生家>
 祖先の永谷家は山城国侍だったといわれる
 1593年(皇紀2253)文禄元年
 湯屋谷に移り住んできて山野を開拓し、茶園を開いて製茶業や湿田改良などの事業を行ってきた
 永谷宗円が、製茶に使用していた焙炉の跡も残されている

 <お茶の大木>
 永谷宗円の生家の前庭にある大きな茶の木
 幹の太さ3尺、高さ1丈3尺、枝梢の周囲3丈ほどあったといわれる
 1872年(皇紀2532)明治5年の冬
 樹齢600年ほどといわれていたが枯死する
 上部の幹が保存されている

 <茶宗明神社>
 1954年(皇紀2614)昭和29年
 永谷宗円生家に隣接する大神宮神社に、永谷宗円が「茶宗明神」として祀られる
 湯屋谷村やその近郷の湿田の暗渠排水工事を行ってきたことから、村民から「干田大明神」と称されていた
 4月に春の大祭、10月に秋の大祭が行われる


【京都検定 第5回2級】


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