西行(さいぎょう)(Saigyou)

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士、僧侶、歌人、歌僧

生年:1118年(皇紀1778)元永元年
没年:1190年(皇紀1850)文治6年2月16日
享年:73

父親:検非違使左衛門尉 佐藤康清
母親:監物 源清経の娘

同母兄弟:仲清
小子供:隆聖

俗名:佐藤義清(さとうのりきよ)、憲清、則清、範清
通称:西行法師

法号:円位、後に西行、大本房、大宝房、大法房

 西行(さいぎょう)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人で、歌僧と称される

 約2,300首の和歌が残る
 「新古今和歌集」に入撰数最多の94首など、二十一代集に計265首が入撰している
 花と月の歌人、旅と草庵の歌人とされる

【西行の歴史・経緯】

【西行】

 和歌だけでなく、武芸・流鏑馬・蹴鞠も得意としていた

 <親交>
 後鳥羽上皇平清盛・平時忠、崇徳上皇、待賢門院、徳大寺実能など


【西行の和歌】

 諸国を遍歴し、仏教観を基として独自の歌風を確立した

 花と月の歌人、旅と草庵の歌人とされる

 日本全国に、約150基の歌碑が建立されている

 後鳥羽上皇は、「後鳥羽院御口伝」で、
 「西行はおもしろくてしかも心ことに深く、ありがたく出できがたきかたもともにあひかねて見ゆ。
 生得の歌人と覚ゆ。おぼろげの人、まねびなどすべき歌にあらず。不可説の上手なり」と評されている

 約2,300首の和歌が残る
 二十一代集には265首が入撰している
 恋の歌は約300首、桜の歌が約230首ある


 <詞花和歌集>
 八代集の6番目にあたる勅撰和歌集
 最初に入撰された勅撰集で、1首が収められた

 <千載和歌集>
 八代集の7番目にあたる勅撰和歌集
 18首が収められた

 「嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな」(恋926番)(小倉百人一首86番)

 <新古今和歌集
 八代集の最後の勅撰和歌集
 94首収められ、入撰数第1位

 <新勅撰和歌集>  9番目の勅撰和歌集
 14首が収められている


 <家集 山家集>
 <家集 聞書集>
 <家集 残集>
 <家集 山家心中集>
 <家集 西行上人集>

 <西行上人談抄>
 歌談を弟子 蓮阿が筆録したもので、歌論を伝える

 <撰集抄>
 西行の逸話や伝説を集めた説話集

 <西行物語>
 伝説的西行像の逸話や伝説を集めた説話集

【西行ゆかりの地】

 <円山公園
 西行庵(さいぎょうあん)
 西行が「祭華園院」を営んだ真葛ヶ原の旧蹟で、西行堂、母屋、離れ「皆如庵」などが現存している

 <西行井戸
 嵯峨野落柿舎の北側、天龍寺塔頭弘源寺の境外墓地の東側にある
 小倉山山麓に住んでいた西行法師が、この井戸の水を用いていたといわれる

 <西行井戸百人一首歌碑>
 去来墓の周りに立てられている歌碑句碑

 <小倉百人一首文芸苑 嵐山東地区
 小倉百人一首歌碑巡りの一つ

 <弘源寺
 西行法師ゆかりの井戸がある

 <鳥羽離宮西行寺跡(さいぎょうじあと)>
 西行法師が、出家前に北面武士として鳥羽法皇に仕えていた頃の邸宅跡といわれる
 江戸時代に庵室(西行寺)が建てられ、境内には月見池や剃髪堂があった

 <二尊院
 西行法師庵の跡
 西行が、出家後、仏道修行と和歌三昧の生活を送り、二尊院門前近くにも庵を結んだとされる
 門前に、庵跡を示す石標が立てられている
 「我がものと 秋の梢を思うかな 小倉の里に家居せしよ里」

 <勝持寺
 西行法師が、出家して庵を結んだといわれる
 西行姿見ノ池がある
 鐘楼の傍に、西行が植えたゆかりの八重桜「西行桜(さいぎょうさくら)」がある
 不動堂の前に、西行が剃髪に用いたものといわれる光沢がある鏡石(かがみいし)がある

 <青蓮院
 西行ゆかりの宮城野の萩がある

 <鹿ヶ谷
 後白河法皇の側近で法勝寺執行の地位にあった俊寛僧都の山荘があったところで、
藤原成親・西行らにより平家打倒の密議が行われたところ


 <西行桜
 西行法師が隠棲した西山の西行庵を舞台に、老桜「西行桜」の精を主人公(シテ)とする


【京都検定 第1回3級】

14.歌僧 西行にゆかりが深く、西行桜で知られる寺院はどこか?

【京都検定 第5回3級】

【京都検定 第10回3級】

【京都検定 第12回3級】

【京都検定 第7回2級】

【京都検定 第9回2級】

【京都検定 第15回2級】

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