稱名寺(しょうみょうじ)(SyoumyouJi)

所在地:亀岡市西竪町   ちず丸地図情報

浄土宗知恩院派の寺院

山号:最勝山
院号:圓鏡院

本尊:阿弥陀如来

開山:袋中上人(たいちゅうしょうにん)

中興開山:團忠上人(だんちゅうしょうにん)

 稱名寺(しょうみょうじ)は、亀岡市市街地南部の城下町の西竪町にある知恩院に属する寺院

 平安時代の歌人 和泉式部のお墓といわれる五重寶篋印塔がある

 稱名寺の歴代住職は紫衣(しえ)を被着できる勅許を得ていたといわれる

【稱名寺の歴史・経緯】

 江戸時代初期
 1611年(皇紀2271)慶長16年
 江戸の芝増上寺で浄土宗の教学を学び、琉球に渡っていた、名越派の袋中上人(たいちゅうしょうにん)が帰国

 その後、檀王法林寺を再興し、さらに、篠町山本にある天台宗の廃寺に草庵を建て浄土宗の布教をしたのが由来

 1643年(皇紀2303)寛永20年  團忠上人(だんちゅうしょうにん)が、知恩院の末寺として、篠山本村から、現在の地に移転する

 1686年(皇紀2346)貞享3年12月4日
 大火により焼失する

 1714年(皇紀2374)正徳4年
 現在の本堂が再建される

 明治時代
 廃仏毀釈などによって、6ヶ寺あった末寺が常福寺の1ヶ寺のみとなる



【稱名寺の伽藍】

 <山門>
 薬医門(やくいもん)
 屋根が、鏡柱から控え柱まで全部を覆っている
 1698年(皇紀2358)元禄11年の建立、亀岡市市内の最古の山門といわれる

 <鐘楼>
 山門をくぐった右手にある
 切妻造、柱には礎盤があり、型通りに腰貫・飛貫・頭貫を通して、柱上に三斗が組まれている
 中備として、飛貫上に2つ、頭貫上に1つの蟇股で飾られている
 梵鐘は、高さ145cm、直径85.5cm、重さ800kg
 第2次世界大戦中に金属資源が不足から政府により徴収され軍事工場で検査された時に付いた4つの穴が開いている
 1747年(皇紀2407)延享4年
 梵鐘に、鋳造延享4年の銘があり、稱名寺第6世のときの創建
 梵鐘には、井尻家祖先の追善供養、家内安全の願が刻まれており、井尻家により寄進されたといわれる
 2013年(皇紀2673)平成25年には、創建以来始めての解体修理が行われた

 <本堂>
 山門から正面にある
 本尊の阿弥陀如来が祀られている
 錣屋根(しころやね)、寄棟造
 1714年(皇紀2374)正徳4年、現在の本堂が再建される


 <庫裏>

 <伝 和泉式部之墓>
 平安時代の歌人 和泉式部のお墓といわれる五重寶篋印塔(ほうきょういんとう)が、庭園の北側に立っている
 全長150cm、塔身一辺約27cm
 塔身には金剛界四仏の種子が刻まれている
 笠の部分は、室町様式の寶篋印塔5基分を重ねたものといわれる
 相輪は、以前にはもっと大形で擬寶珠のようなものが載せられていたといわれる
 珍しい形の細身の塔
 制作年代は不明
 「丹波誌 4巻」などによると、
 亀岡市東別院町小泉の清泉寺(せいせんじ)から移されたものともいわれる
 現在、清泉寺には、和泉式部の娘 小式部内侍のお墓がある

 恋愛成就・芸道上達のご利益があるといわれる


 <石碑「浄土宗最勝山圓鏡院稱名寺」>



【稱名寺の寺宝】

 <左甚五郎の彫刻>
 境内の外の鬼門の方角の堀にあったものといわれる
 左甚五郎(ひだりじんごろう)の作といわれる
 鬼門の厄除けとされる

【稱名寺の祭事】

 <修正会(しゅしょうえ)> 1月1〜3日
 <彼岸会(ひがんえ)> 3月彼岸中日(春分の日)前の土曜または日曜
 <施餓鬼会(せがきえ)> 8月22日
 <十夜会(じゅうやえ)> 11月15日
 <除夜会(じょやえ)> 12月31日

【稱名寺へのアクセス】

 JR山陰本線(嵯峨野線) 亀岡駅から徒歩約15分

 コミュニティバス 西竪町からすぐ

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