千手寺(せんじゅじ)(SenjyuJi)

所在地:亀岡市稗田野町鹿谷大タワ   ちず丸地図情報

臨済宗妙心寺派の寺院

山号:独鈷抛山(とこなげさん)

本尊:千手観音菩薩

開山:空海

中興の祖:止菴和尚

通称:目の観音さん

ご利益:眼病平癒

 千手寺(せんじゅじ)は、亀岡市の西部、稗田野町の鹿谷(ろくや)、独鈷抛山(とこなげさん)にある臨済宗 妙心寺の末寺

 目の観音さんとして信仰されており、
 境内より湧き出る清水で目を洗ったり飲むことによって眼病が治るといわれている

【千手寺の歴史・経緯】

【千手寺の伽藍】

 <仁王門>
 鐘楼門、入母屋造、桟瓦葺、一間一戸
 下層は、両脇塀の屋根を流して間を造り、阿吽二躰の仁王像(金剛力士像)が安置されている
 上層は、正面三間・側面二間で梵鐘が吊るされ、鐘楼堂を兼ねている

 かつて、愛宕大権現 白雲寺(現在の愛宕神社)の山門であった
 江戸時代後期の棟札によると
 1839年(皇紀2499)天保10年6月に、江州八幡の町衆の尽力で、愛宕山において建立されたと記載されている
 明治時代の棟札によると
 1870年(皇紀2530)明治3年、神仏分離政策により愛宕大権現は愛宕神社となり、鐘楼門も千手寺へ移されることになり
 1872年(皇紀2532)明治5年3月に移築落慶法要が行われた


 <開基堂(弘法堂)(京都府指定文化財)>
 本堂の奥側左手にある、千手寺で最も古いお堂
 開山の弘法大師像が祀られている
 旧観音堂で、現在の観音堂が建立されるまで、千手観音菩薩が祀られていた
 1403年(皇紀2063)応永10年頃
 中興の祖 止菴和尚の建立
 1638年(皇紀2298)寛永15年戌寅年11月18日、1665年(皇紀2325)寛文5年乙巳3月吉日に修復がされている


 <観音堂>
 本尊の十一面千手観音菩薩坐像が祀られている
 1921年(皇紀2581)大正10年の建立


 <薬師堂>

 <虚空蔵堂>
 かつての鐘楼
 1403年(皇紀2063)応永10年頃の創建時の建立といわれる

 <稲荷社>

 <お香水>
 千手観音菩薩のご利益で、境内より湧き出る清水で目を洗ったり飲むことによって眼病が治るといわれている

【千手寺の寺宝】

 <十一面千手観音菩薩坐像(亀岡市指定文化財)>
 本尊
 千手寺の名前の由来になっている十一面千手観音菩薩

 目の観音さんとして信仰されており、
 境内より湧き出る清水で目を洗ったり飲むことによって眼病が治るといわれている

 かつて、地元の猟師が、毎夜、怪しい光が現れるのを見て、弧狸の仕業と思い、それを居るって手ごたえを感じた
 翌朝、血の跡をたどると、矢は千手観音菩薩の左目に立っていた
 猟師は、罪を懺悔して、末代まで弓矢を捨てることを誓ったといわれる
 以後、その千手観音菩薩は、眼病にご利益があるとされ、縁日の4月17日と7月17日には参拝で賑わったといわれる

【千手寺の祭事】

 <千日まいり>
 4月17日と7月17日
 本尊の千手観音菩薩の縁日

【その他】

 <鹿谷(ろくや)>
 <獨鈷抛山(とこなげさん)>

 地名や山の名前の由来は、
 空海が、遣唐使として、唐で恵果和尚から密教法儀の伝授を受けて日本に帰るときに、日本に向かって、
「密教流布相応の勝地にとどまるべし」と言って独鈷杵(とっこきね)を投げると、白雲を引いて飛び去った
 帰国後に、奈良春日大社に参拝して、独鈷の行方を尋ねたところ、春日大神が現れて、
丹波国佐伯の庄山内村の北峰、娑婆山の松の枝にある。道を教えるからその地に千手観音菩薩を造立せよ」と告げられた
 このお告げに従い、空海が、山の麓まで来ると、春日大神の使いである白鹿が現れて、
松の枝にかかっている独鈷のところまで導き、白鹿は谷に消えていったことが由来

 ハイキングコースが設定されている


 <楊谷寺の独鈷水(おこうずい)>
 空海ゆかりの、現在も、多くの水量が湧き出している霊水
 眼の悪かった霊元天皇が、独鈷水で眼病を治癒されたといわれる

【千手寺へのアクセス】

 JR山陰本線(嵯峨野線) 亀岡駅から京阪京都交通バスで 国道佐伯 徒約70分

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