慈恵大師(じえだいし)良源(りょうげん)

平安時代天台宗の高僧

生年:912年(皇紀1572)延喜12年9月3日
没年:985年(皇紀1645)寛和元年1月3日
享年:74

第18代 天台座主
日本天台宗中興の祖

諡号:慈恵大師(じえだいし)

俗姓:木津
幼名:観音丸、日吉丸
通称:元三大師(がんざんだいし)

出身:近江国浅井郡虎姫(現在の滋賀県長浜市)
お墓:延暦寺

 慈恵大師(じえだいし)良源(りょうげん)は、平安時代中期の天台宗の高僧

 第18代 天台座主で、日本天台宗中興の祖とされる

 命日が1月3日(元三)であることから、「元三大師(がんざんだいし)」と通称される

 観音さんの化身とされ、「角大師」「豆大師」「厄除け大師」などとも尊称される

 「おみくじ」を考案されたとされる

【慈恵大師 良源の経緯】

【慈恵大師 良源の尊称】

 <元三大師(がんざんだいし)>
 亡くなった日が1月3日(元三)なので、「元三大師」と称されるようになった

 <両大師>
 元三大師を最も尊敬していた慈眼大師 天海とあわせて二人のことを「両大師」と称される

 <角大師(つのだいし)
 疫病が流行して元三大師も感染して高熱を経験したことで、疫病から人々を救うため祈願する
 そこに、疫鬼が現れるが、鬼のような姿の元三大師に恐れをなして疫鬼が退散したといわれる、その時の姿
 2本の角があり、目がグリグリと丸く、口が耳まで裂け、骨と皮とに痩せあばら骨が浮いて見える
 この姿を描いたお札は、門口に貼る「魔除のお札」として「鬼守り」とも称される

 <豆大師(まめだいし)>
 小さな元三大師のお姿が、豆粒のように9段33個並べられているお札
 元三大師は如意輪観音の化身ともいわれ、観音さんが33の童子に姿をかえて農民の田畑を守ったという法華経の話に基づく
 災難除のお札とされる

 <厄除け大師>
 疫病が流行したときに、鬼のような姿をした元三大師に恐れをなして疫鬼が退散したことから称される

 <降魔大師(ごうまだいし)>

 <木葉大師>
 比叡山東塔雑林堂で尊称される

 <御鈴大師>
 比叡山西塔本覚院で尊称される

 <鈴振大師(れいふりたいし)>
 比叡山横川戎心谷で尊称される

【慈恵大師 良源ゆかりの地】

 <元三大師良源御廟(みみょう)>
 比叡山香芳尾(かぼうお)という横川最北地にある

 <四季講堂>
 比叡山横川地区にある
 良源の住房「定心房」だったところで、四季に「法華経」を論議されていたため「四季講堂」と称される
 現在は、住房の跡に再建され、元三大師を本尊にしている

 <廬山寺
 2月3日の節分会で、鬼おどり「追儺式鬼法楽」が行われる
 慈恵大師 良源が、護摩供の修行中に邪魔してきた鬼を、豆を撒いて退散させたという故事に由来する

 <曼殊院
 元三大師木像(重要文化財)がある

 <真如堂
 元三大師堂(京都府指定文化財)の本尊として元三大師の画像が祀られている

 <来迎院
 慈恵大師像などが安置されている

 <上善寺
 大師堂に元三大師が祀られている

 <善願寺
 慈恵大師の坐像が祀られている

 <尊勝院(そんしょういん)>
 青蓮院の北東にあり、将軍塚へ向かう中腹にある
 元三大師を本尊とし、「元三大師堂」とも称される


 <慈恵大師像>
 良源の肖像彫刻や画像が、延暦寺の多くの堂や寺院に所在する
 これらの像は、礼拝像として定型化されており、やや吊り目で厳しい表情で、手には数珠と独鈷杵(とっこしょ)を持つ

【その他】

 <おみくじ>
 良源が、おみくじの原案を作ったといわれる
 「後世の複雑な社会に処して行く人々の困難を救うために、観音様から戴いた処方箋がある
 これを自分の像の前に置き信心をこめて吉凶を占えばその願いに応じて招福を知らしめるであろう」といわれた

 <著書「極楽浄土九品往生義」>


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