明恵上人(みょうえしょうにん)(MyoueSyounin)

鎌倉初期の華厳宗の高僧

生年:1173年(皇紀1833)承安3年1月8日
没年:1232年(皇紀1892)貞永元年1月19日
享年:60(満58歳)
出身:紀伊国有田郡(和歌山県有田川町)

お墓:高山寺

幼名:薬師丸
法諱:高弁(こうべん)
別称:栂尾上人

 明恵上人(みょうえしょうにん)は、鎌倉時代前期の華厳宗の高僧

 後鳥羽上皇から、華厳宗興隆のために栂尾を下賜されて、高山寺を開山する

 栄西禅師から譲り受けた茶の種子を高山寺に播き、日本で最初の茶畑が作られ、栂尾茶が誕生する

【明恵上人の歴史・経緯】


【明恵上人の著述】

 <夢之記(ゆめのき)>
 明恵上人は、よく夢を見たといわれ
 19歳から58歳で亡くなるまで、自分が見た夢を書き綴っている

 <摧邪輪(ざいじゃりん)>
 1212年(皇紀1872)建暦2年
 旧仏教の復興に尽力し、法然上人浄土宗など専修念仏を非難している

 <華厳修禅観照入解脱義>
 <華厳仏光三昧観秘宝蔵>
 <仏光観略次第>
 <三時三宝礼釈>
 <光明真言土沙勧信記>

 <却廃忘記>
 弟子の筆記による明恵の言行録

 <明恵上人和歌集>

【その他】

 <紙本著色 明恵上人樹上坐禅像(じゅじょうざぜんぞう)(国宝)>
 普通の祖師像と異なり、明恵上人の姿が山中の自然の中に小さく描かれている
 山中の樹上で一人静かに坐禅をして、釈迦に随順する明恵上人の姿、心情が描かれている
 明恵上人は高山寺の裏山を楞伽山(りょうがせん)と名づけ、木の下・石の上・木の洞・岩窟などで座禅をし、
「すべて此の山の中に、面(おもて)の一尺ともある石に我が坐せぬはよもあらじ」と明恵が語ったといわれる
 絵はこのときのもので、弟子 成忍(じょうにん)によって描かれたといわれる
 鎌倉時代の作品
 京都国立博物館寄託されており、複製画が石水院に掛け軸として架けられている

 <明恵上人の歌碑>
 「山のはにわれも入りなむ月も入れ 夜な夜なごとにまた友とせむ」 高山寺の明恵上人御廟前の苔庭

 「栂山の尾の上の茶の木分け植えて跡ぞ生うべし駒の足影」 萬福寺の総門前

 <帰依者>
 後鳥羽上皇・後深草院・修明門院・九条兼実・九条道家・藤原長房・西園寺公経・
富小路盛兼・北条泰時など


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