宝積寺(ほうしゃくじ)(HousyakuJi)

所在地:乙訓郡大山崎町大山崎銭原   地図情報

真言宗智山派の寺院

山号:天王山(てんのうざん)(銭原山)

本尊:十一面観音菩薩

開基:行基

中興の祖:寂昭(じゃくしょう)

通称:宝寺(たからでら)、大黒天宝寺

 宝積寺(ほうしゃくじ)は、山城国京都府)と河内国(大阪府)の府境にある天王山の中腹に建つ寺院

 天王山は、交通や軍事的な要所であり、羽柴秀吉(豊臣秀吉)明智光秀が戦った「山崎の合戦」の舞台となったところ

 聖武天皇が夢で龍神から授けられたという「打出」と「小槌」が祀られており「宝寺(たからでら)」とも称される

【宝積寺の歴史・経緯】


【宝積寺の伽藍】

 <本堂>
 入母屋造、本瓦葺
 1606年(皇紀2266)慶長11年の改築

 <仁王門>
 三問一戸、層、切妻造

 <三重塔(重要文化財)>
 本瓦葺、総円柱
 相輪頂(そうりんちょう)までの総高は約20m
 桃山時代の創建
 大日如来坐像が安置されている
 羽柴秀吉が、山崎の合戦に勝ったことの御礼のため、一夜にして建てたといわれている「一夜の塔」

 <閻魔堂>
 <不動堂>

 <小槌宮>
 大黒天が祀られている
 聖武天皇が、夢枕に龍神より授かったものといわれている木製の打出と小槌が、金襴の袋に入って安置されている

【宝積寺の寺宝】

 <木造十一面観世音菩薩立像(重要文化財)>
 本尊、「橋架観音」と称される
 像高181.8cm
 1233年(皇紀1893)貞永2年
 仏師法印院範、法橋院雲作
 以下の2体の脇侍を従う

 <毘沙門天立像
 <千手観音菩薩立像>

 <木造閻魔王坐像(重要文化財)>
 像高160.8cm
 閻魔堂に安置される閻魔王と、眷属四体の5体の像は、天王山西麓の大阪府島本町にあった西観音寺のものだった
 西観音寺が、明治維新の廃仏毀釈で廃寺になったため宝積寺に移された
 いづれも鎌倉時代の作
 閻魔王は、冥界において死者の生前の善悪業を裁き、地蔵菩薩の化身といわれ、人間を救ってくれる
 無病息災、延命長寿、子宝祈願にもご利益がある
 以下の眷属四体を従える

 <木造司命坐像(重要文化財)>
 <木造司録坐像(重要文化財)>
 <木造倶生神半跏像(重要文化財)>
 <木造闇黒童子半跏像(重要文化財)>

 <木造金剛力士(重要文化財)>
 寄木造、彩色
 阿形の密迹金剛力士と、吽形の那羅延金剛力士

 <板絵着色神像(重要文化財)>

 <不動明王立像>
 鎌倉時代の作

 <行基菩薩坐像>

 <弘法大師坐像>
 室町時代の作

 <聖徳太子立像>
 江戸時代に作られた聖徳太子の像

 <千手観音立像>
 江戸時代の作

 <梵鐘>
 室町時代の作
 「待宵の鐘」と称される

 <大黒天
 京都六大黒の一つ

 <木製の打出と小槌>
 小槌宮に、金襴の袋に入れられて祀られている
 聖武天皇が、夢枕に龍神より授かったものといわれている御神器
 打出は、棒状で長さ約30cm、小槌は、タイコ形で直径約15cm
 723年(皇紀1383)養老7年
 文武天皇の第1皇子の夢枕に龍神が現れ、
 小槌を出して「これで、左の掌(たなごころ)を打てば、はかりしれない果報を授かる」と言い、龍神が天へ舞い昇って行った
 皇子が目をさますと、夢のお告げのとおり、枕元に小槌が置かれていた
 その後、皇子は、即位することができ、故事にのっとり、恵方 乾(いぬい)(北西)の方向にあった山崎の里に奉納されたといわれる

【その他】

 <藤原定家の日記「明月記」>
 1202年(皇紀1862)建仁2年
 藤原定家が、宝積寺を訪れたことが記されている

 <夏目漱石の「漱石日記」>
 宝積寺について記されている

 <御伽草子(おとぎぞうし)>
 室町時代から江戸時代にかけて成立した物語
 一寸法師が、宝積寺で修行し、鬼を退治して、打出と小槌を振ってもらい、立派な青年になったというお話

【宝積寺へのアクセス】

 JR京都線 山崎駅 徒歩約10分
 阪急京都線 大山崎駅 徒歩約15分


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