法成寺(ほうじょうじ)(HoujyouJi)

旧所在地:京都市上京区荒神口通寺町東入北側   ちず丸地図情報

本尊:阿弥陀如来

創建:藤原道長

開山:院源

通称:東北院

 法成寺(ほうじょうじ)は、藤原道長が自邸の土御門殿の東に建立した藤原氏の氏寺だった寺院

 創建当時、大内裏の北東側一帯に位置したことから、「東北院」と称された

 藤原氏の財力がつぎ込まれて、極楽往生を祈るために浄土庭園や大伽藍が造営される

 藤原道長が「御堂関白」と称されるようになった「御堂」とは、法成寺のことを示す

【経緯】

 平安時代後期
 1020年(皇紀1680)寛仁4年
 藤原道長が、死への不安が高まり、自分の祈願寺として建立する
 自分の所領のみならず、息子の摂政 藤原頼通の受領にまでもその費用の捻出を求めたといわれる

 阿弥陀信仰による極楽往生を祈願するため、69体の阿弥陀如来を祀る九体阿弥陀堂(無量寿院)から建立されていく
 開眼供養は、延暦寺の院源が行った

 1022年(皇紀1682)治安2年
 金堂、五大堂、法華三昧堂、僧房の東塔が完成する

 1024年(皇紀1684)万寿元年
 丈六の7体の薬師如来を祀る薬師堂が完成する

 1027年(皇紀1687)万寿4年
 藤原道長が、娘の上東門院 藤原彰子に請われて、上東門院に仕えていた和泉式部のために、
法成寺内の東北院の中に、後の誠心院となる庵を建てて与える

 同年12月4日
 藤原道長は、阿弥陀堂で、釈迦の入滅と同じように、頭を北にして西向きに寝て、九体の阿弥陀の手から九本の糸を引き、
それを握りしめ、西方浄土を願いつつ往生する
 宇治木幡の藤原氏の墓所に埋葬される

 1028年(皇紀1688)長元元年
 釈迦堂、十斎堂などが完成し、極楽の様相を呈する

 1041年(皇紀1701)長久2年
 地震で鐘楼が転倒する

 1058年(皇紀1718)天喜6年
 金堂、講堂、阿弥陀堂などが全焼する

 息子の摂政 藤原頼通により再建され、孫にあたる藤原師実に引き継がれる

 1185年(皇紀1845)元暦2年
 大地震により大伽藍が崩壊する

 鎌倉時代末期
 たびたび災難にあい、廃絶する

 現在は、石標が残る

【伽藍】

 釈尊の死去2,000年以降に仏法がすたれ天災人災が続き世の中は乱れるという「末法思想」から
 藤原道長が、死への不安が高まり極楽往生を祈る場として大規模に作られた

 境内は、東西2町、南北3町におよんだといわれる

 九体阿弥陀堂(無量寿院)から建立され、
 阿弥陀堂、金堂、五大堂、薬師堂、釈迦堂、十齋堂、東北院、西北院などがあったとされる

 <浄土庭園
 末法思想から現世極楽浄土の庭園が造られる
 自邸の中に、大きな池が造られ、中島が築かれ、種々の樹木や花が植えられた
 浄土庭園の初期段階で、周辺環境の影響に左右されない庭園空間が造られ、仏堂群が囲むことで成立した
 その後の平等院では、阿弥陀堂やお堂からの鑑賞を主体として、庭園が造られる

【その他】

 「栄花物語」や「源氏物語」で、当時の華やかさが伝えられる

 <御堂関白記
 藤原道長の自筆の日記本14巻
 「法成寺摂政記」とも称される

 <「大鏡」>
 「極楽浄土のこのよにあらはれける」と、法成寺の壮麗さを謳われた

 <石標>
 法成寺跡を示す石標が、荒神口通寺町東入の路傍、鴨沂高等学校校庭の塀際に残る

【法成寺跡へのアクセス】

 市バス 荒神口 徒歩約2分
 京都バス 荒神口 徒歩約2分
 京阪電車 鴨東線 丸太町駅 徒歩約10分


【京都検定 第13回3級】

65.藤原道長が建立した法成寺に造られた、末法思想から極楽に見立てた庭園は何か?

66.藤原道長の日記は、「法成寺摂政記」や、何と称されるか?

【京都検定 第2回2級】

6.藤原道長が自邸である土御門殿の東に建立した寺院で道長の通称「御堂関白」の由来ともなった寺院はどこか?

【京都検定 第4回2級】

3.「極楽浄土のこのよにあらはれける」(大鏡)と、その壮麗さを謳われた法成寺を建立し、「御堂関白」と称されたのは誰か?

 京都検定2級の道  前の問題に戻る  ・ 次の問題に進む


[インデックス]


京都通メンバページ


[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク