頂妙寺(ちょうみょうじ)(CyoumyouJi)

所在地:京都市左京区仁王門通川端東入ル大菊町   地図情報

日蓮宗京都十六本山の一つ

山号:聞法山(もんほうざん)

本尊:十界大曼荼羅

開基:細川勝益

開山:日祝上人(にっしゅうしょうにん)

中興の祖:

上方三ヶ寺(本法寺・妙国寺(堺市))の一つ

 頂妙寺(ちょうみょうじ)は、左京区にある日蓮宗の本山

 戦国武将 細川勝益の寄進により、日祝上人によって開山された日蓮宗京都十六本山の一つ

 俵屋宗達ゆかりの寺で、「牛図(重要文化財)」を所蔵し、お墓がある

 伝運慶作の持国天像多聞天像が安置されている仁王門に由来して名づけられた「仁王門通」に面している

【頂妙寺の歴史・経緯】

【頂妙寺の伽藍】

 <本堂>
 1840年(皇紀2500)天保11年
 一塔両尊四士像、文殊菩薩像、普賢菩薩像、四天王像、日蓮聖人像らが安置されている

 <仁王門>
 伝運慶作の持国天像(向かって右)と多聞天像(向かって左)が安置されている
 かつて、和泉国にあったものを日bが移したものともいわれている
 豊臣秀吉による宗門布教の許状の扁額が掲げられている
 頂妙寺の前の仁王門通の名前の由来となったといわれる

 <表門>
 1836年(皇紀2496)天保7年の建立

 <祖師堂>
 1801年(皇紀2461)享和元年の建立

 <庫裏>

 <菊神稲荷大明神>

 <妙見宮>

 <威徳善神>

 <お墓
 山門をくぐって右側にある
 室町時代の壇越の武将 細川勝益
 連歌師 里村昌休、里村昌叱、里村昌琢
 絵師 俵屋宗達のお墓と伝えられるもの
 茶人 鷹司有隣軒
 武将 足利直義の妻 本光院殿
 など

 <構え跡>
 1536年(皇紀2196)天文5年
 延暦寺衆徒、南近江の守護六角氏らによる法華宗洛内二十一本山を焼き討ちした天文法華の乱に備えた構え跡

【頂妙寺の塔頭】

 山内に8院ある

 真如院、法輪院、大乗院、善性院、妙雲院、本立院、善立院、真浄院

【頂妙寺の寺宝】

 <紙本墨画 牛図 双幅(重要文化財)
 俵屋宗達の筆
 牛が立っているものと、牛が座っているものの二幅
 下地が乾かないうちに次の色を落とす「たらしこみ技法」や、彫り塗り、白で描く線などの筆法が用いられている
 墨の濃淡により、牛のたくましい筋肉が表現されている
 公卿・歌人の烏丸光広により、右幅に和歌、左幅に漢詩の賛が入れられている

 <京都十六本山会合文書(京都府指定有形文化財)>
 室町時代から近代までのもの
 「京都十六本山会合文書箱」は、複雑な構造になっていて、落し蓋の底に文書を隠せるようになっている

 <版木 頂妙寺版法華経>
 江戸時代後期のもの

 <蓮紙織画(はすししょくが)>
 朝鮮のもの
 縦横で織られて蓮の絵になっている
 絵を縦に一定の幅で裁断したものを縦紙にして、同じ幅で裁断した白紙を横に織り込んでいる
 縦横に織ることで、モザイク状になっている
 伊藤若冲の升目描きのもとになったともいわれる

 <三十番神像>

 <豊臣秀吉の許状の扁額>
 仁王門に掲げられている
 織田信長の命により行われた安土宗論後に、豊臣秀吉が布教再開を許した書状が掲げられている

【その他】

 <安土宗論>
 1579年(皇紀2239)天正7年  織田信長の命により、安土城下浄厳院で、浄土宗日蓮宗との間で宗論が行われた
 頂妙寺三世 日b(にちこう)が臨んで敗れる
 日蓮宗は、詫状二通を書かされ、以後の布教を禁じられる
 織田信長による日蓮宗弾圧のため策謀だったといわれる

【頂妙寺へのアクセス】

 市バス 東山二条・岡崎公園口 徒歩5分
 地下鉄 東西線 三条京阪駅 徒歩10分
 京阪電車 三条駅 徒歩10分


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