安祥院(あんしょういん)(AnsyouIn)

所在地:京都市東山区五条通東大路東入ル北側遊行前町   地図情報

浄土宗鎮西派の寺院

山号:東山
寺号:木食寺

本尊:阿弥陀如来

開基:朱雀天皇

開山:天台座主 尊意僧正

中興の祖:法然上人

中興開山:木食僧 養阿

通称:日限地蔵(ひぎりじぞう)、日限さん(ひぎりさん)

洛陽六阿弥陀めぐり第4番札所
京の通称寺霊場第28番

ご利益:所願成就、病気平癒、安産

 安祥院(あんしょういん)は、東山の五条坂の途中にある正式には東山木食寺と号される寺院

 平安時代中期に、朱雀天皇の勅願により乙訓郡大藪郷(現在の南区久世大藪町)に創建され、
 江戸時代中期に、社会事業を行った木食養阿により、現在の地に中興され、遺構などが残されている

 地蔵堂に安置する地蔵尊を「日限さん」と称し、日を限って祈願すれば諸願成就するという信仰がある

 幕末維新時代の尊攘派志士 梅田雲浜などのお墓もある

【安祥院の歴史・経緯】

【安祥院の伽藍】

 <山門>

 <石標「日限地蔵尊」>
 <石標「梅田雲濱先生墓 當院内」>

 <本堂>
 <地蔵堂>
 <庫裏>

 <石像 毘沙門天
 <豊川だ枳尼天社>
 <大弁財天社>

 <ヤマザクラ>
 山門を入ったところにある巨木
 樹齢100年以上といわれる
 日本の野生代表種のヤマザクラと、伊豆大島にあったオオシマザクラの自然交配種による貴重のもの
 枝や幹から出た根の不定根により再生したといわれる
 2004年(皇紀2664)平成16年、京都市の保存樹木に指定された

 <木食養阿のお墓>
 江戸時代中期の丹波国保津村(現在の亀岡市保津町)出身の木食僧で、安祥院で即身成仏して、中興開山とされる
 宝篋印塔が立ち、方形の敷石があり、真言宗系のお墓の様式といわれる
 即身成仏した木食養阿は、自然石の下に葬られたといわれる

 <梅田雲浜のお墓>
 幕末維新の尊攘派の若狭小浜藩藩士で、元服のときに剃り落した前髪が埋葬されているといわれる

 <大高忠兵衛(おおたかちゅうべえ)のお墓>
 江戸時代後期の播磨国出身の尊攘派の甲冑商
 1848年(皇紀2508)嘉永元年
 梅田雲浜の招きで、京都で甲冑商を開き、尊攘派の諸藩の連絡役をしていた

 <赤沢一堂のお墓>
 江戸時代後期の詩人・儒者であり種痘医


 <車石>
 日ノ岡峠道に敷設されていた車石が、境内に置かれている
 養阿が、勧進により道路の修築工事や石橋の架設などの社会事業を行ったもの
 車石は二列に並べられ、その上を馬や荷車が通り、午前と午後に分けて一方通行で往来していたといわれる

 <橋桁石>
 養阿が、架橋した西京極の旧天神川に架けられていた佃橋のものといわれる

【安祥院の寺宝】

 <阿弥陀如来像
 本堂の本尊
 像高2m
 木食養阿の作といわれる
 京都六阿弥陀の一つで、洛陽六阿弥陀めぐり第4番札所


 <石造 木食不動明王像>
 墓塔の近くに安置されている
 養阿が幕府の圧力により安祥院に移ったときに、霊夢のお告げにより安祥院に遷されたものといわれる


 <日限地蔵(ひぎりじぞう)>
 地蔵堂に祀られている
 像高2.6m、金銅製の丈六の地蔵菩薩像
 1728年(皇紀2388)享保13年、霊元法皇に仕える女官が病により亡くなり、養阿が供養し、地蔵堂建立を願いでる
 1730年(皇紀2390)享保15年に、養阿により造仏されたといわれる
 霊元法皇が、鏡や白銀などを下賜され、これらを鋳入して造仏される
 日を限って祈願すると、所願成就するといわれ、名前の由来となっている
 無病息災、開運、厄除け、安産などのご利益があるといわれる


 <養阿自筆「大日三尊光明真言碑」>

【安祥院の祭事】

 <洛陽六阿弥陀めぐり第4番札所>
 木食養阿が、阿弥陀如来の霊感を受けて発願したといわれる
 功徳日に、真如堂から順番に参拝していく

【安祥院へのアクセス】

 市バス 五条坂 徒歩約5分

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