橋弁慶山(はしべんけいやま)(HashibenkeiYama)

所在地:京都市中京区蛸薬師通烏丸西入ル橋弁慶町   地図情報

山鉾:屋台(やたい)

特徴:弁慶と牛若丸が舞台の五条大橋の上に乗る

重量:0.80トン(14位)(2008年(皇紀2668)平成20年7月17日巡行時に測定)

くじ取らず:後祭の先頭

重要有形民俗文化財
重要無形民俗文化財

 橋弁慶山(はしべんけいやま)は、祇園祭における山鉾の一つの山

 謡曲「橋弁慶」にちなみ、牛若丸と弁慶五条大橋で戦う姿を表している
 他の山にはある山籠や真松がなく、山の上が舞台となっている

 牛若丸の人形が足駄の前歯だけで支えられている人形組は、浄妙山とともに精緻な匠の技術で製作されている

 舁山(かきやま)で唯一のくじ取らずの山

【橋弁慶山の歴史・経緯】


【橋弁慶山の由来】

 <謡曲「橋弁慶」>
 五条大橋の上で、牛若丸(源義経)と武蔵坊弁慶が闘う様子

 延暦寺西塔の武蔵坊弁慶は、西洞院松原の五条天神に丑の刻詣りをしていた
 ある日、太刀持ちが「五条大橋で、少年が蝶や鳥のように斬りかかるので、今夜は止めましょう」というと、
「聞き捨てならない」と、敢えて出かけていく

 弁慶は、鎧姿で長刀を持ってゆうゆうと五条大橋を進むと、少年が近づいてくるが、弁慶は素知らぬ顔で通り過ぎようとすると、
少年は長刀の柄元を蹴上げ、弁慶が斬りかかると、牛若丸も太刀を抜き、打ち合いになる
 弁慶が振り下ろせば、牛若丸は右へ左へ、上を払えば下に、下を払えば跳び上がり、牛若丸は橋の欄干を自在に移り、
弁慶は唖然とさせられたといわれる

 当時の五条通は、現在の松原通とされる




【橋弁慶山の装飾品】

 橋弁慶山には、他の山にはある山籠や真松、朱傘がなく、山の上を舞台として風流の趣向を見せていた古式の山

 五条大橋の上に、牛若丸は、左足の下駄の前歯一枚で欄干の擬宝珠(ぎぼし)の上に飛び上がり、右手に太刀を持っており、
弁慶は鎧姿で長刀を斜めに構えている

 四方全てが正面に見える八方正面の特異な造りになっている
 前懸に合わせてた後懸があって、金幣も前後二対同じようについている

 <弁慶>
 褐色の顔に鉢巻をしめ、眉を吊り上げ目を開いている僧兵姿
 黒皮縅(おどし)の鎧を着て、皮付鎖籠手に朱色袴、立挙(たてあげ)脛当をつけ、手首と足首に太い縄を巻き結んで、
茶色足袋に草履を履き、白縮緬の腹帯を巻いている
 刃渡二尺三寸五分の黒漆塗長刀を持ち、朱塗蛭巻脇差と1.8mの大太刀を持っている
 1563年(皇紀2223)永禄6年の平安大仏師 康運(こううん)の銘がある

 <弁慶の力縄(ちからなわ)>
 弁慶の手首と足首に太い綱を一巻きされ大きく結びしめている
 毎年、新しく縄が綯かれ、巻きつけられる
 「力縄」には、弁慶の勇敢な姿にあやかり、心身ともに丈夫であることが祈願されている

 <牛若丸(源義経)>
 右手に太刀を持ち、橋の欄干の擬宝珠(ぎぼし)の上に、左足の足駄(あしだ)前歯だけで立ち、右足を後に曲げ跳ね上げている
 髪を巻き上げ、薄茶地の長袖、紫地の半切袴、萌黄地紗神紋笹龍胆文様(りんどうもんよう)の長絹を重ね、脛当を着け、
緋房付の太刀を右手に抜き放ち、左手は5指を開いて前方へ突き出している
 牛若丸の人形は、足駄の一本の金具だけで支えられている
 1563年(皇紀2223)永禄6年の平安大仏師 康運(こううん)の銘がある
 足駄金具には、1537年(皇紀2197)天文6年の美濃国住人右近信国の銘がある

 <牛若丸の太刀>
 牛若丸が、右手に持つ太刀は、盛光 伊賀守金道または近江守久道の作といわれる
 刀のサイズは、刀長74.8cm、反り2.8cm
 現在のものは、誹房附模品であり、京都国立博物館に収蔵されている

 <鎧(重要文化財)>
 黒韋威肩白胴丸大袖付(くろかわおどしかたじろどうまるおおそでつき)
 室町時代のもの

 収蔵品: 胴丸(大袖付)・杏葉(ぎょうよう)・喉輪・草摺(くさずり)・脇曳(わきびき)・
    籠手(こて)・臑宛(すねあて)・宝幡佩楯(ほうどうはいだて)

 かつて、実際に弁慶人形に使用していたといわれる
 現在は、京都国立博物館に収蔵されている

 胴丸は、胴回りが一連となって引き合わせを右脇に設け、草摺(くさずり)が細かく分かれ、動きやすくした甲冑(かっちゅう)
 黒漆を塗って盛り上げた革と鉄の小札(こざね)を交互に重ね合わせ、胴・袖の上方は白糸で、下方は黒韋で縅(おど)している
 広い胸板や、盛り上がった小札、幅の狭い縅毛、獅子牡丹文の絵韋(えがわ)などが特徴

 韋小札(かわこざね)は、撓め革(いためかわ)で作った鎧(よろい)の小札
 大袖(おおそで)は、鎧の綿上(わたがみ)に結び付け、上腕部に垂らして盾のかわりとされる
 縅し(おどし)は、鎧の札(さね)を革や糸でつづり合わせたもの
 草摺(くさずり)は、鎧の衡胴(かぶきどう)から垂らし、下腹部・大腿部を保護するもの
 獅子牡丹は、獅子の勇姿に花の王である牡丹を配した図柄
 絵韋(えがわ)は、文様を染めつけた革
 杏葉(ぎょうよう)は、鎧の付属具の一つで、染め革などで包んだり漆をかけたりした鉄板

 <五条大橋
 黒漆塗反り橋
 左右4本ずつ親柱があり、金鍍金の擬宝珠がついている
 右側3番目に、牛若丸の左足の高下駄の前歯の鉄串が挿入され固定される

 <前懸>
 椿石霊鳥図綴錦(ちんせきれいちょうずつづれにしき)
 原画は、富岡鉄斎の作の清荒神所蔵の衝立で、原画と同寸法織成されている
 1983年(皇紀2643)昭和58年に新調されたもの

 <旧前懸・後懸>
 中国明時代の雲龍波涛文様(うんりゅうはとうもんよう)の綴錦(つづれにしき)

 <胴懸>
 賀茂葵祭礼行列図(かもあおいさいれいぎょうれつず)の綴錦
 円山応挙の下絵
 葵祭を絵巻風に、牛車・近衛使・検非遣使などが描かれている

 <水引>
 百児喜遊図(ひゃっこきゆうず)の綴錦
 下部に、緋地に花鳥の円形刺繍が並んでいる

 <欄縁>
 波と千鳥と芦の高浮彫で、前後を凹形にして橋の端を表している

 <隅房金物>
 上段は雲形、下段は龍・虎・雀・亀の方位四神の肉彫




【その他】

 <狂言「鬮罪人(くじざいにん)」>
 室町時代の山鉾町の人々が、その年の祇園祭の趣向を相談する話
 当時は、山鉾の趣向が固定していなく、毎年、新しく創作されていたといわれる
 橋弁慶山と鯉山が登場し、当時すでに両山が存在していたと思われる

 <くじ取らず
 1500年(皇紀2160)明応9年
 くじ取りの最初から、くじ取らずの山として、後祭の先頭を巡行していた

 1872年(皇紀2532)明治5年以降
 囃子のある曳き山の北観音山が復帰したとき先頭を譲り、次の二番目に巡行することになる
 舁山(かきやま)では唯一のくじ取らず
 巡行時のくじ改めのとき、奉行の前で山をまわさない特別扱いになる

 <重要有形民俗文化財>
 1962年(皇紀2622)昭和37年5月23日指定
 鉾7基・曳山3基・舁山19基の一つ

 <重要無形民俗文化財>
 1979年(皇紀2639)昭和54年2月3日指定
 橋弁慶山・霰天神山山伏山北観音山南観音山放下鉾役行者山の7山鉾町内

 <舁き初め(かきぞめ)>
 7月14日午前11時ごろ
 山建てが終了した後、橋弁慶山が町内を1周する

 <町名>
 戦国時代の天文年間(1532年〜1555年)
 町内に刀鍛冶 右近信国が住んでいたので「信国町」と称されていた
 江戸時代初期の天和年間(1681年〜1684年)頃から
 「橋弁慶町」と改められたといわれる


【橋弁慶山へのアクセス】

 市バス 四条烏丸 徒歩数分
 阪急電車 烏丸駅 徒歩数分
 地下鉄 四条駅 徒歩数分


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