役行者山(えんのぎょうじゃやま)(EnnogyoujyaYama)

所在地:京都市中京区室町通三条上ル役行者町   地図情報

山鉾:舁山(かきやま)

特徴:役行者・一言主神・葛城神の3体の人形が乗っている

重量:0.84トン(12位)(2008年(皇紀2668)平成20年7月17日巡行時に測定)

重要無形民俗文化財

 役行者山(えんのぎょうじゃやま)は、祇園祭における山鉾の一つの山

 修験道(しゅげんどう)の開祖 役行者 小角(おづぬ)が、鬼使いの秘術で、
 一言主神(ひとことぬしのかみ)を使って、葛城山と金峰山の間に石橋をかけたという故事を表している

【役行者山の歴史・経緯】


【役行者山の故事】

 <役行者(えんのぎょうじゃ)>
 修験道の開祖 役行者(えんのぎょうじゃ)は、大和国葛上郡(かずらきかみごおり)茅原(ちはら)生まれ
 幼名は、小角(おづぬ)
 7才で、全ての天災・人災・死病を除き長寿を得るといわれる孔雀明王呪を伝授され、
 10才で高麗の僧に学ぶ
 17才で、葛城山に入り、生駒・熊野・箕面で苦行を続け、藤皮をまとい松葉や樹果を食し、
 32才で葛城山に孔雀明王像を安置して、霊験を得る
 34才のとき、吉野の金峰山(きんぶせん)に千日こもって祈誓する
 さらに、羽黒山、鷲峰山などを開いて祈誓した

 役行者は、鬼使いの秘術を使い、葛城山と金峰山との間に石橋を懸けることを鬼達に命じた
 しかし、現場の指導をしていた一言主神(ひとことぬしのかみ)が、姿が醜いので夜だけしか出てこないため、
昼間の工事がはかどらず、役行者は怒って一言主神を葛城の谷へ呪縛したといわれる

 一言主神は、宮中の女房に乗り憑って天皇に讒言し、天皇は、役行者に討手を送るが、役行者は、呪術で飛行して逃げ通すが、
役行者の母親が捕らえられたため、役行者は名乗り出て伊豆へ流された

 その後、役行者は、飛行の術を使って、富士や関東の山を開いたといわれる

 1799年(皇紀2459)寛政11年
 役行者の没後千百年、光格天皇より神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の諡号が贈られた

 <一言主神(ひとことぬしのかみ)>
 古事記によると、
 雄略天皇が、葛城山に行幸されたとき、前方から全く同じような行列がやってきたので、天皇側が矢を構えると、
相手方も同じように矢を構えてきた
 雄略天皇は、名前を問いただすと、「悪口(まがごと)も一言、吉言(よごと)一言、言離(ことさか)の神葛城の
一言主(ひとことぬし)の大神なり」と答えたといわれる
 その後、雄略天皇は、一言主神を深く尊敬し崇敬されたといわれる

 <葛城神>
 謡曲「葛城」によると
 「恥ずかしながら古の、法の岩橋架けざりし、その咎めとて明王の、策に身を縛めて、今に苦しみ絶えぬ身なり」
 「見苦しき顔ばせの神姿は恥ずかしや、恥ずかしやあさましや、あさまにもなりぬべし、明けぬ前にと
葛城の夜の磐戸にぞ入り給う」とある
 葛城神も、顔の醜い女神さんとされている




【役行者山の装飾品】

 <御神体(人形)>
 役行者(えんのぎょうじゃ)・一言主神(ひとことぬしのかみ)・葛城神(かつらぎのかみ)の3体を安置している

 正面中央の山洞(やまほこら)に入った神変大菩薩(役行者)が、金襴の角帽子(もうす)と掛絡姿(からくすがた)で、
経巻(きょうかん)・錫杖(しゃくじょう)を持って結伽趺座(けっかふざ)している

 一言主神は、向かって左の2本角の鬼の姿で、赤熊(しゃぐま)をかぶり、唐織小袖に金襴半切袴、
白地錦の傍続(そばつぎ)を羽織っている
 腰に飾太刀を帯び、3本指の手で金の斧を振り上げている

 葛城神は、向かって右の小柄の女体で、髪を後ろでまとめ、橙色小袖に朱地大口袴、紺地紗長絹を羽織っている
 両手で諸禍摧破(しょかさいは)円満無彊(むきょう)の輪宝を乗せた輪台を持っている

 2体の神さんの上に朱傘があり、傘2本があるのは、唯一、役行者山だけ

 1996年(皇紀2656)平成8年
 一言主神の衣裳が新調される

 1998年(皇紀2658)平成10年
 葛城神の袴が新調される

 <真松>
 鈴が付けられている

 <水引>
 綴織(つづれおり)の名手 西山勘七の作の「唐子遊戯図(からこゆうぎず)」綴錦
 江戸時代中期のもの

 <前懸>
 「牡丹胡蝶図(ぼたんこちょうず)」と雲龍文様との3枚継ぎの綴錦
 岩に牡丹・蝶、左右に波濤飛龍が描かれている
 1997(平成9)年に復元新調される

 <胴懸>
 雲龍波涛文様(うんりゅうはとうもんよう)の綴錦
 真向龍と、左右から向き合う龍が描かれている

 <見送>
 2種類が、隔年交替で用いられている
 袋中上人が請来したといわれる朝鮮軍旗竜文のものを2枚合わせて、縁を赤地古金襴(安楽庵裂(あんらくあんぎれ))で
縁取った昇り龍刺繍と、金地唐美人園遊図の綴錦

 1982年(皇紀2642)昭和57年
 金地唐美人図錦綴(きんじとうびじんゆうず)が、新調復元され用いられている
 元の古見送は、中国明朝の官工場で織られたもの

 <隅房金物>
 漆塗板に木彫雲、黄道二十八宿の星座の金具を打った十二支の計12個が飾金具が用いられている

 <欄縁>
 雲龍文の透高浮彫の細工が前面にびっしり施された緻密なもの





祭事

 <護摩焚き
 7月16日
 聖護院門跡の山伏約30人が、六角堂を出発し、法螺貝を吹き鳴らし、錫杖(しゃくじょう)を響かせながら、
修験道に縁のある7つの山を巡拝し、御神体の前で般若心経を唱え、巡行の無事や町内の発展を祈願する
 最後に、役行者山において護摩焚きが行われる





【その他】

 <重要無形民俗文化財>
 1979年(皇紀2639)昭和54年2月3日指定
 橋弁慶山霰天神山山伏山北観音山南観音山放下鉾・役行者山の7山鉾町内

 <行者餅
 江戸時代後期、1806年(皇紀2466)文化3年の夏
 京都の町は、疫病が流行していた頃
 柏屋四世 利兵衛が、聖護院門跡の山伏として奈良大峰山での修行中に、夢に役行者(えんのぎょうしゃ)が現れて、
「行者の衣をかたどった菓子を作って、祇園祭山鉾の役行者山に供えて配れば疫病から免れる」と、お告げを受ける

 以降、行者餅が柏屋光貞により作られ、役行者山で販売されている

 <担ぎ手の法被>
 2001年(皇紀2661)平成13年
 復元新調される

 <お守り>
 宵山では、疫病除け・交通安全のお守りが授与される



【役行者山へのアクセス】

 市バス 四条烏丸
 地下鉄 四条駅
 阪急電車 烏丸駅

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