船鉾(ふねぼこ)(FuneBoko)

所在地:京都市下京区新町通綾小路下ル船鉾町   地図情報

山鉾:屋台(やたい)

特徴:鉾全体が船の形をしている
高さ1.3m・両翼端2.7m
重量:8.41トン(9位)(2008年(皇紀2668)平成20年7月17日巡行時に測定)

別名:出陣の船鉾

くじ取らず:23番目(先祭の最後)

 船鉾(ふねほこ)は、祇園祭における山鉾の一つの山

 神功皇后古事記の新羅出船の故事に由来して、鉾全体が船の形をしている

 皇后の御神体は安産の神とされ、岩田帯を巻いて巡行し、巡行の後で妊婦に授与される

 船鉾は、応仁の乱以前より2基あり、その一つ
 この船鉾は先祭(さきのまつり)の最後をつとめたくじ取らずで、「出陣の船鉾」と称され、
 現在、焼山になっている(1864年(皇紀2524)元治元年に焼失)後祭の「凱旋船鉾」と区別されている





【船鉾の歴史・経緯】


【船鉾の由来】

 「古事記」や「日本書紀」に記される神功皇后の新羅出船の神話が由来
 「出陣の船鉾」とも称される

 神功皇后が妊娠中にもかかわらず、皇子が凱旋まで産まれぬように祈願して、晒(さらし)を巻いて男装で新羅に出て勝利した後に、
応仁天皇をお産みになったという神話による






【船鉾の装飾】

 <御神体
 鉾の上には、神功皇后と、
 陪従する龍神 安曇磯良(あずみのいそら)・住吉明神(すみよしみょうじん)・鹿島明神(かしまみょうじん)の三神像が安置される
 1616年(皇紀2276)元和2年の銘がある

 神功皇后が付けている神面には、古来より安産に奇瑞(きずい)があるといわれ、宮中でも尊敬されており、
明治天皇の誕生のときには、宮中へ参内した
 神面は、文安年間(1444年〜1449年)の作で、能面以前の古様を残す貴重なもの

 神功皇后の神像は、頭には天冠、紺金襴の大袖、緋の大口、緋縅(ひおどし)の大鎧を付けている軍装で、
岩田帯を多くさん巻いて巡行し、祭の後に、妊婦に授与され安産のお守りとされている

 神功皇后の後ろに鹿島明神が長刀を持って立ち、
 舳先に、海神 安曇磯良が、龍宮の満干珠(みちひるたま)を住吉明神に捧げている
 長刀は、寛文年間(1661年〜1673年)の井上和泉守国貞の作

 <舳先(へさき)>  木彫総金箔置の鷁(げき)という瑞鳥が乗り、「鷁首(げきす)」とも称される
 1760年(皇紀2420)宝暦10年の長谷川若狭の作

 <艫(とも)>
 黒漆塗青貝螺鈿細工(らでんざいく)の飛龍文(ひりゅうもん)の舵(かじ)をつける
 狩野派の鶴澤探泉の下絵
 1792年(皇紀2452)寛政4年に造られる

 <屋根>
 唐破風・入母屋造
 2本の旗竿を立て、紅白の長旒(ちょうりゅう)と吹流しがつけられる

 <船端>
 朱漆塗の高欄がめぐらされている

 <天水引>
 唐草文様が鮮やかな色調の草花文刺繍
 1992年(皇紀2652)平成4年に新調される

 <下水引>
 金地雲龍文厚肉入刺繍
 刺繍雲龍図の下絵は、船鉾町出身で円山応挙の門下の西村楠亭の筆
 1836年(皇紀2496)天保7年の作

 <見送>
 「綴錦龍に青海波」が、舵の下にある








【船鉾へのアクセス】

 市バス 西洞院仏光寺 徒歩数分
 地下鉄 四条駅 徒歩約5分
 阪急電鉄 烏丸駅 徒歩約5分


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