守脩親王墓(もりおさしんのうのはか)・淑子内親王墓(すみこないしんのうのはか)・朝彦親王墓(あさひこしんのうのはか)

所在地:京都市東山区泉涌寺山内町   地図情報

管理:宮内庁

 守脩親王墓・淑子内親王墓・朝彦親王墓は、泉涌寺の南東にある宮墓地

 江戸時代末期から明治時代の皇族3人が葬られている

 賀陽宮墓地・久邇宮墓地と向かい合わせにある

【守脩親王墓・淑子内親王墓・朝彦親王墓】

 梨本宮初代の守脩親王、桂宮を継承された淑子内親王、久邇宮初代の朝彦親王が葬られている

 六角丘となっている

 向かって左から、朝彦親王墓・淑子内親王墓・梨本宮守脩親王墓

【皇族】

 <梨本宮守脩親王(なしもとのみやもりおさしんのう)>
 生没年:1819年(皇紀2479)文政2年10月29日 - 1881年(皇紀2541)明治14年9月1日
 伏見宮貞敬親王(さだよししんのう)の第10王子
 後伏見天皇18世皇孫
 光格天皇の養子となり、1833年(皇紀2493)天保4年に親王宣下、「守脩」と命名される
 同年9月、円満院に入り、出家し、覚諄入道親王と称する
 1859年(皇紀2519)安政6年6月、円融院に入り、梶井門跡となり、昌仁入道親王と改称する
 同年、第229世、第231世天台座主となる
 明治維新の後、還俗し、梶井宮守脩親王と称する
 1870年(皇紀2530)明治3年、梨本宮家を創立して改称する

 <桂宮淑子内親王(かつらのみやすみこないしんのう)>
 生没年:1829年(皇紀2489)文政12年1月19日 - 1881年(皇紀2541)明治14年10月3日
 仁孝天皇の第三皇女、幼名は「敏宮(ときのみや)」
 孝明天皇は異母弟、和宮親子内親王は異母妹
 1842年(皇紀2502)天保13年9月15日、内親王宣下される
 閑院宮愛仁親王と婚約するが、結婚前に愛仁親王が薨去される
 1862年(皇紀2522)文久2年12月23日、当主不在となっていた桂宮家を継承し、第12代桂宮となる(女性が当主として世襲親王家を継承した唯一の例)
 淑子内親王の薨去により、桂宮家は継嗣不在のため断絶する

 <久邇宮朝彦親王(くにのみやあさひこしんのう)>
 生没年:1824年(皇紀2484)文政7年2月27日 - 1891年(皇紀2551)明治24年10月25日
 伏見宮邦家親王の第四王子
 後伏見天皇19世皇孫
 通称、中川宮
 三条実美らによる長州藩の宮中支配に歯止めをかけるため、孝明天皇から「長州藩排除」の内意を引出した
 八月十八日の政変の立役者
 1875年(皇紀2535)明治8年、新たに久邇宮家を創設する

【アクセス】

 市バス 泉涌寺道 徒歩約15分
 JR 東福寺 徒歩約20分
 京阪電車 東福寺 徒歩約20分

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