大井神社(おおいじんじゃ)(Ooi Jinjya)

所在地:亀岡市大井町並河   ちず丸地図情報

祭神:月読命市杵嶋姫命・木俣命(キノマタノミコト)

式内社丹波国桑田郡 大井神社

社格:郷社

通称:鯉明神

 大井神社(おおいじんじゃ)は、亀岡市市街地北西部の大井町にある神社

 並河駅から東へ200mほど、保津川桂川)の西岸との間、大井小学校の東隣に東向きの境内がある

 保津川の鎮護の神さんとされ、
 この地域には、祭神にちなむ伝承から、鯉を神さんの使いとされ、鯉を食べたり触れたり、鯉のぼりもあげない風習がある

【大井神社の歴史・経緯】

 飛鳥時代
 702年(皇紀1362)大宝2年
 保津川桂川)下流の松尾大社から月読命市杵嶋姫命が、松尾大社の神さんの使いの亀の背に乗って桂川を遡上したが、
八畳岩の辺りから保津の急流で進めなくなり、そこに現れた鯉に乗り換えて、
東岸の亀岡市河原林町勝林島の在元淵に上陸したといわれる
 それを見た工匠が、社を建立して祀ったといわれる(現在の河原林町の大井神社)

 その後、西岸の現在の地に遷ったといわれる


 奈良時代
 710年(皇紀1370)和銅3年9月
 元明天皇の勅命により創建されたといわれる
 創建当初の祭神は、月読命市杵嶋姫命

 その後、境内にある亀岡盆地が造営される以前の丹の湖の乾き残りの神泉「丹の池」に万一のことがあれば、
亀岡盆地が湖に戻るか、旱魃地帯になるといわれ、井戸の神さんである木俣神が勧請された

 平安時代初期
 866年(皇紀1526)貞観8年
 馬駆神事が始められたといわれ、現在も神事が続けられている

 延喜式神名帳には、「丹波国桑田郡 大井神社」と記載され、式内社に列する

 安土桃山時代
 1576年(皇紀2236)天正4年
 織田信長の命による明智光秀丹波平定の兵火により全焼する

 1584年(皇紀2244)天正12年
 現在の社殿が、豊臣秀吉の命により、片桐且元を造営奉行として再建された
 片桐且元により、自署された扁額「正一位大井大明神」が奉納されている

 その後、高槻城主の遠山長貞により鰐口が寄進された

 1873年(皇紀2533)明治6年
 近代社格制度において郷社に列する

 1877年(皇紀2537)明治10年6月
 式内社と公認される

 1907年(皇紀2567)明治40年3月
 神饌幣帛料供進神社に指定される

 1991年(皇紀2651)平成3年4月19日
 立花行事が、京都府無形民俗文化財に指定される

 2009年(皇紀2669)平成21年10月
 鎮座1300年記念事業として、築400年以上の本殿の全面修復が行われた

【祭神】

 保津川の鎮護の神さんとして3柱が祀られている

 <月読命
 保津川桂川)下流の松尾大社の境外摂社月読神社の祭神
 農耕守護の神さん

 <市杵嶋姫命
 保津川桂川)下流の松尾大社の祭神

 <木俣命(キノマタノミコト)>
 大国主命と、最初の奥さんである因幡国の八上比売(ヤガミノヒメ)との御子
 別名:御井神(ミイノカミ)
 木の神、水神、安産の神さん

【大井神社の境内】

 かつては、下拝殿や能舞台、楽屋もある大きな敷地であったとされる

 <石製 大鳥居>
 1670年(皇紀2330)寛文10年の建立
 「延喜式内 大井神社」の額が掲げられている

 <鯉の石碑>
 鳥居右手に安置されている

 <本殿>
 流造、銅板葺、向拝
 1584年(皇紀2244)天正12年、豊臣秀吉の命により、片桐且元を作事奉行として再建された
 2009年(皇紀2669)平成21年10月、全面修復が行われた

 <拝殿(舞殿)>
 鯉の額が掲げられている

 <絵馬舎>
 昭和御大礼で用いられた春興殿正門左右回廊の一部を下賜されたもの

 <伊勢神宮遙拝所>
 この鳥居の先、約120qのところに伊勢神宮がある
 2013年(皇紀2673)平成25年10月、第62回神宮式年遷宮の奉祝記念事業として新設された

 <石線刻 阿弥陀如来像
 境内に別当寺としてあった東光寺で祀られていた、大井大明神の本地仏とされる

 <神泉「丹の池」>
 亀岡盆地が「丹の湖」と称される湖だった後、湖の水が引いた後に残った池といわれる
 干ばつでも枯れなかったことから「大いなる井戸」と称されて、大井神社の名前の由来となったといわれる
 現在は、宅地開発などの影響で枯渇してしまい、地下から水をくみ上げられている
 鉄分を多く含んで赤みがある池になっている

 <太鼓橋>
 神池に架かる橋
 境内にあった東光寺のもの

 <下拝殿跡>
 明治時代初期に、台風により倒壊した
 現在は、記念碑が建立されている

 <天満宮>
 境内左手にある
 祭神:菅原道真
 2006年(皇紀2666)平成18年の再建

 <稲荷神社>
 境内南西、天満宮からさらに、鳥居がずらりと並ぶ奥にある
 祭神:松山稲荷大明神


 <末社>
 本殿の裏に7社の末社が祀られている
 2009年(皇紀2669)平成21年の建立

 大原社 祭神:伊弉諾尊
 愛宕社 祭神:火具槌命
 蛭子社 祭神:事代主命
 春日社 祭神:建御賀豆智命
 出雲社 祭神:大己貴命
 厳島社 祭神:田心姫命
 松尾社 祭神:大山咋命


 <忠魂碑>
 大井町出身の戦死者が供養されている
 1926年(皇紀2586)大正15年5月に、大井小学校校庭に建立された
 2013年(皇紀2673)平成25年2月、グラウンド拡張整備に伴い、現在の地に移設された


 <境外社 大井神社>
 亀岡市河原林町勝林島、保津川の対岸にある
 大井神社の移転前の旧地に祀られている

【大井神社の祭事】

 <初詣・歳旦祭>
 1月元旦朝1時

 <交通安全祈願祭>
 1月3日
 車両の交通安全を祈願して、1台ずつ車両の清祓が行われる

 <とんど祭>
 1月15日
 歳神様をお送りする行事
 朝から、持参された注連飾りや門松などを境内で焚き上げられ、灰を持ち帰り、家の周囲に巻く風習がある

 <節分祭>
 2月節分
 拝殿には、紙垂(しで)を付けた柊(ひいらぎ)の枝が飾られる

 <祈年祭>
 3月春分の日

 <水無月夏越大祓式>
 6月30日 夕方
 約3mの茅の輪を参拝者全員でくぐり、半年間の罪穢を祓い清め、残りの半年間を無事息災を祈願される

 <七夕祭>
 7月7日

 <花祭(はなまつり)>
 8月19日
 立花行事(京都府指定無形民俗文化財)は、生け花の原形ともいわれる
 松の古木を役枝(やくえだ)として、細枝に松葉を一本一本差して、1から2mの「立花(りっか)」が作り上げられ神前に奉納する
 夜には、大井町盆踊り大会や、露天商が出店する

 <例祭・神幸祭>
 10月16日
 本殿祭の後、お神輿に祭神の神霊が遷され、神輿馬場行列と伴に、氏子地内を巡幸する
 4人の巫女による「浦安の舞」や「大井太鼓」が奉納される

 神輿馬場行列は、馬場から、12基の馬に、宮司・稚児・烏帽子武者・武者姿の具足・陣羽織姿の飛馬が騎乗して行例が行われる

 866年(皇紀1526)貞観8年から行われている馬駆け神事は、競争(くらべうま)はされなくなり、
古式に則り、隣接する馬場で、東端に神輿を安置し、祭典行列者がお神輿の周囲を3周回る神事が行われる

 明治時代初期に、下拝殿が台風により倒壊するまでは、
 宵宮(前夜)に、お神輿が下拝殿まで神幸し、巫女により甘酒が振舞われるなど宵宮行事が行われていた


 <七五三詣>
 11月15日をメインに、10月下旬〜12月初旬まで行われている
 7歳の女児、5歳の男児、3歳の男女児が、成長に感謝する

 <新嘗祭>
 11月23日

 <師走大祓式>
 12月31日
 人形(ひとがた)が焚き上げられる

【その他】

 <大いなる井戸>
 神泉「丹の池」は、かつて亀岡盆地が造営される以前の湖だったときの乾き残り
 干ばつのときにも涸れず「大いなる井戸」と称され、大井神社の名前の由来となったといわれる


 <鯉伝説>
 祭神が鯉に助けられたことから、鯉が祭神の使いとされ、鯉を食べたり、飼ったり、触れたりすることも慎んできたといわれる
 絵や人形の鯉も触れることを避け、鯉のぼりをあげない風習が残り継がれているといわれる


 <鯉明神>
 大井神社の鯉伝説と別の伝承
 松尾大社の祭神のうち、木股命が、他の神々に疎まれ、神輿に乗せられて山城久世の森に連れられ桂川に流された
 木股命は、下流に流れるのを嫌がり、松尾社の神使である亀の背に乗り、桂川保津川)を遡っていく
 保津川の急流のために、亀から鯉に乗り換えて、この地に上陸され、「鯉明神」と称されて、大井神社に祀られたともいわれる

 久世では、空の神輿が拾われ、以来、空の神輿を担ぐといわれる

 <丹波湖開拓伝説
 亀岡盆地は、太古は湖であったといわれ、湖が開拓された伝承が各地に残っている
 大井神社には、丹波湖の水が引いた後に残った池といわれる神泉「丹の池」がある

【大井神社へのアクセス】

 JR山陰本線(嵯峨野線) 並河駅から東へ徒歩約5分

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