三宅神社(みやけじんじゃ)(Miyake Jinjya)

所在地:亀岡市三宅町   ちず丸地図情報

祭神:倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)・稚産霊命(ワクムズビノミコト)・豊保食命(トヨウケモチノミコト)

式内社丹波国桑田郡 三宅神社

社格:村社

通称:三宅稲荷、叢稲荷、草分稲荷

 三宅神社(みやけじんじゃ)は、亀岡市市街地、亀岡駅の南東約1kmの三宅町にある神社

 クニッテル通りの年谷川の北側、府道402号線から少し南から東へ入ったところにある

 古墳時代に、大和朝廷の直轄地として経済的基盤となった屯倉(みやけ)に併設して、穀物に関する3柱の神さんが祀られた式内社

 三宅稲荷、叢稲荷、草分稲荷とも称されていた

 亀山藩の代々の藩主の祈願所とされていた

【三宅神社の歴史・経緯】

 創建は不詳

 古墳時代
 大和朝廷の直轄地として経済的基盤となった屯倉(みやけ)に由来する神社
 穀物に関する3柱の神さんが祀らてた

 「 日本書紀」 535年(皇紀1195)安閑天皇2年5月の条に、
 丹波国に蘇斯岐(そしき)の屯倉が置かれたことが記されており、三宅神社が併設されたといわれる

 平安時代中期
 927年(皇紀1587)延長5年
 延喜式神名帳には、丹波国桑田郡十九社内の三番社の三宅神社として記載されている

 「叢稲荷」「草分稲荷」「三宅稲荷」とも称されていた

 当初は、一町四方の広大な社地があったといわれる

 安土桃山時代
 1575年(皇紀2235)天正3年
 織田信長の命による明智光秀丹波平定の兵火により焼失させられる

 江戸時代初期
 1663年(皇紀2323)寛文3年
 火災により衰退し、古文書も焼失してしまう

 1673年(皇紀2333)延宝元年
 亀山藩藩主の松平忠明により、社殿が再建される
 その後、代々藩主の祈願所となる

 1698年(皇紀2358)元禄11年
 本殿の上屋が設けられた

 1873年(皇紀2533)明治6年
 近代社格制度において村社とされる

 1907年(皇紀2567)明治40年
 指定村社となる

【三宅神社の祭神】

 穀物に関する3柱の神さんが祀られている

 <倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)>
 <稚産霊命(ワクムズビノミコト)>
 <豊保食命(トヨウケモチノミコト)>


【三宅神社の境内】

 <鳥居>

 <舞殿>
 境内左端に建っている

 <本殿>
 1673年(皇紀2333)延宝元年、亀山藩藩主の松平忠明により再建される
 1698年(皇紀2358)元禄11年、上屋(覆い屋根)が建てられる

 拝殿はない

 <豊受社>
 本殿の右手にある
 祭神:豊受大神

 <稲荷社>
 境内の右手にある
 祭神:稚産霊命

 <灯篭>
 1838年(皇紀2498)天保9年のもの

【三宅神社の祭事】

 <例祭>
 7月15日

 <亀岡祭
 10月1日から30日
 山鉾翁山の会所となる


【その他】

 <地名>
 「三宅町」の由来となっている
 かつての社域の一部は「稲荷垣内」との地名も残されている


 <郡家>
 三宅神社周辺に、桑田郡の郡家があり中心地であったといわれる
 郡家は、郡の役所で、「こおりのみやけ」と読まれた
 古墳時代、三宅神社の一帯は広い平坦面で、屯倉(みやけ)が置かれていたといわれる


 <窯跡>
 付近からは、祭祀に用いるための土器を作ったといわれる多数の窯跡が見つかっている

【三宅神社へのアクセス】

 JR山陰本線(嵯峨野線) 亀岡駅 から約1km 徒歩約15分  馬堀駅 から約1.3km 徒歩約20歩

 バス 三宅橋、あるいは、ニチコン前から徒歩約3分

[インデックス]


京都通メンバページ

写真:表示/非表示

[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク