樫船神社(かしふねじんじゃ)(Kashifune Jinjya)

所在地:大阪府高槻市大字田能小字コブケ(旧丹波国)   地図情報

祭神:大国主命・樫船明神(大山喰命)

社格:村社

創建:1222年(皇紀1882)貞応元年

 樫船神社(かしふねじんじゃ)は、亀岡市との府堺の大阪府高槻市樫田地区の田能にある神社

 かつては、丹波国桑田郡田能村であり、亀山藩の領土であった
 1958年(皇紀2618)昭和33年に、全国初の府県越境合併により大阪府高槻市に編入された

 丹波湖開拓伝説における、大己貴命大国主命の別名)が、保津峡を切開き開拓したときに、
湖に浮かべた樫の舟が作られたところといわれる

 高槻市の最北端にあり、明神ヶ岳に至る尾根の山麓の標高約360mのところに樹木に囲まれている

 神職は不在で、丹波湖開拓伝説がある鍬山神社亀岡市)により管理されている

【樫船神社の歴史・経緯】

 鎌倉時代初期
 1222年(皇紀1882)貞応元年
 僧侶 定勢の指導を受けた丹波国桑田郡田能庄の住民が、社殿造営、神像・仏像の製作を企画して願主を公募したことが由来

 同年9月
 社殿造営事業が完了する

 翌年3月
 神像と仏像、合わせて5体ができあがり、
 そのうち大明神男神像と女体御前神像の2体の神像と、阿弥陀如来の仏像1体の合計3体を樫船神社へ、
 樫船神社に納められた神像2体のそれぞれの本地仏である観音菩薩像大日如来像の2体の仏像を神宮寺へ安置された

 1889年(皇紀2549)明治22年
 樫船神社がある田能村は、近隣の中畑村・出灰村・杉生村・二料村と合併して京都府南桑田郡樫田村となる

 1958年(皇紀2618)昭和33年
 樫田村は、全国初の府県越境合併により大阪府高槻市に編入された




【樫船神社の祭神】

 丹波湖開拓伝説に由来する2柱が祀られている

 <大国主命(別称:大己貴命
 亀岡盆地が大きな湖であったとされるとき、保津峡を切り拓き湖水を京都市側へ流すことを提案したといわれる

 <樫船明神(別称:大山喰命)>
 丹波湖開拓で用いる樫船を建造した地元の神さん

【樫船神社の境内】

 高槻市の最北端にあり、明神ヶ岳に至る尾根の山麓の標高約360mのところに樹木に囲まれてある

 <鳥居>

 参道の尾根を登っていった奥まったところに社殿がある

 <手水>
 <舞殿>

 <本殿>
 神像と船の模型が安置されている

 <末社 本殿右>
 右側:豊受大神宮、左側:天照大神宮

 <末社 本殿左>
 八幡宮社

 <末社 境内右>

 <末社 境内左>
 右側から、白山神社・立山神社・火焼神社・松尾神社・山神社・天満宮社




【樫船神社の文化財】

 1223年(皇紀1883)貞応3年
 田能庄の村人により願主を募り、5体の神像と仏像が造られる

 樫船神社へ奉納されたもの
  木造 大明神男神像
  木造 女体御前神像
  黒迦羅御前と称される女神の本地仏である阿弥陀如来

 神宮寺へ奉納されたもの
  男神像の本地仏である大日如来坐像
  女神像の本地仏である観音菩薩像


 <阿弥陀如来
 樫船神社へ奉納された、黒迦羅御前と称される女神の本地仏
 この像だけ、田能庄全体の村落構成員とその縁者で費用負担がされたと明記されている

 <胎蔵界 大日如来坐像(高槻市有形文化財)>
 神宮寺へ奉納された、男神像の本地仏
 像高95.5cm、寄木造、内刳(うちぐり)、目は彫眼、金箔が施されている
 昭和35年に全面的に補修され
 昭和51年6月に高槻市有形文化財に指定される



【その他】

 <鍬山神社亀岡市)>
 樫船神社に神職は不在で、鍬山神社により管理されている
 丹波湖開拓伝説がある神社の一つ
 境内社に樫船神社があり、同じ祭神が勧請され祀られているといわれる


 <地名「樫田村」>
 1889年(皇紀2549)明治22年
 樫船神社がある田能村は、近隣の中畑村・出灰村・杉生村・二料村と合併して京都府南桑田郡樫田村となる
 「樫田」は、樫船神社の「樫」と、田能村の「田」を合わせて付けられた


 <神宮寺>
 田能村の中央を流れる田能川の東側の山すそにある
 樫船神社が勧請されたのと同じ頃に開基された


【樫船神社へのアクセス】

 JR山陰本線(嵯峨野線) 亀岡駅から約5.5km 徒歩1時間半

 JR高槻駅北から市営バス 中畑回転場行きで約50分 中畑口バス停から徒歩約10分

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