承久の乱(じょうきゅうのらん)

時期:1221年(皇紀1881)承久3年

首謀者:後鳥羽上皇

別称:承久の変、承久合戦

 承久の乱(じょうきゅうのらん)は、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げて敗れた兵乱

 武家政権の鎌倉幕府と、公家政権の朝廷との二頭政治が続いていたが、
承久の乱の結果、鎌倉幕府が優勢となり、朝廷の権力は大幅に制限され、武家政権が皇位継承などにも影響力を持つようになった

【承久の乱の経緯】


【承久の乱の影響】

 鎌倉時代成立から二頭政治が続いていたが、
この乱の結果、鎌倉幕府が優勢となり、朝廷の権力は制限され、幕府が皇位継承などに影響力を持つようになり、武家支配が確立していく

 <六波羅探題の設置
 幕府軍の総大将の北条泰時、北条時房らは六波羅に滞在し、朝廷の監視や西国武士の統率を行う

 朝廷は、京都守護に代り新たに設置された六波羅探題の監視を受けるようになり、朝廷に対する鎌倉幕府の統制が強化された

 <新補地頭の設置>
 京方の公家、武士の所領約3000箇所が没収され、幕府方の御家人に分け与えられ新補地頭が大量に補任された

 後鳥羽上皇の膨大な荘園は没収され、行助法親王(後高倉院)に与えられた

 <城南宮の流鏑馬(やぶさめ)
 「流鏑馬発祥の地」とされるが、承久の乱の後に途絶える
 2005年(皇紀2665)平成17年に復活する


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