豊臣秀頼(とよとみひでより)(Hideyori Toyotomi)

戦国時代の武将

生年:1593年(皇紀2253)文禄2年8月3日
没年:1615年(皇紀2275)慶長20年5月8日
享年:23

父親:豊臣秀吉
母親:側室 茶々(淀殿)
三男(淀殿の第二子)

幼名:拾丸(ひろいまる)
諱:秀頼

位階:正二位
官職:右大臣

出生:大坂城

 豊臣秀頼(とよとみひでより)は、桃山時代から江戸時代初期にかけての武将

 父親 豊臣秀吉の死後も、徳川家康、朝廷からも摂関家の一人として扱われたが、徳川家康によって滅ぼされる

【豊臣秀頼の経緯】

【豊臣秀頼ゆかりの地】

 <北野天満宮
 本殿(国宝)、拝殿(国宝
 豊臣秀吉の遺命により、豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建したもの

 <由岐神社
 本殿と拝殿が豊臣秀頼により再建される

 <方広寺
 豊臣秀吉の遺志を継ぎ、、豊臣秀頼が片桐且元を中心に大仏の再建を行う
 豊臣秀頼が再建した2代目の大仏は、銅製

 <近衛天皇安楽寿院南陵
 近衛天皇の御陵
 新御塔が、豊臣秀頼によって再建される

 <安楽寿院
 現在の多宝塔、鐘楼などが、片桐且元を普請奉行として豊臣秀頼により復興される

 <東向観音寺
 本堂(京都市指定有形文化財)が、北野天満宮本殿などが再建される際に、奉行 片桐且元が同じく奉行となり、豊臣秀頼によって再建される

 <金戒光明寺
 阿弥陀堂が、豊臣秀頼により再建される

 <東寺
 金堂(国宝)の現存の建物が、豊臣秀頼の寄進により、片桐且元を奉行として再建される
 東大門(重要文化財)も、豊臣秀頼により大修理が行われている

 <清凉寺
 豊臣秀頼によって釈迦堂(本堂)が寄進、造営される
 豊臣秀頼首塚、左側には、「大坂の陣 諸霊供養碑」の石碑が立っている

 <醍醐寺
 如意輪堂(重要文化財)、開山堂(重要文化財)、西大門(仁王門)が、豊臣秀頼により再建される

 <相国寺
 法堂(はっとう)附玄関廊(重要文化財)が、豊臣秀頼の寄進により、5回目の再建がされる

【その他】

 <巨漢>
 豊臣秀頼は、身長6尺5寸(約197cm)、体重43貫(約161kg)の並外れた巨漢だったといわれる
 徳川家康が二条城で、秀頼と会見したときに、秀頼の巨体から醸し出されるカリスマ性に恐怖して、豊臣家打倒を決意したともいわれる
 顔には、天然痘の後遺症である痘痕が残っていたともいわれる


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