三善清行(みよしきよゆき)(Kiyoyuki Miyoshi)

平安時代中期の公卿、漢学者

生年:847年(皇紀1507)承和14年
没年:918年(皇紀1578)延喜18年12月7日
享年:72

父親:三善氏吉(淡路守)
三男
母親:佐伯氏

息子:三善文江・三善文明・(八男)浄蔵貴所・日蔵

官職:文章博士・大学頭・参議(諌議大夫殿中監)

字:三耀
号:居逸
通称:善相公
別称:きよつら

出身:京都
墓地:琵琶町(志賀越道)


 三善清行(みよしきよゆき)は、平安時代中期の公卿、漢学者

 八男 浄蔵貴所の加持により、一条戻橋で一時、蘇生したといわれる

【三善清行の歴史・経緯】

故事

 <一条戻橋での蘇生
 八男 浄蔵貴所は、熊野詣に行っていたとき、父親が死去した知らせを受けて、急いで熊野から帰ってくるが、
死後5日が経ち、既に葬儀の列が出発していた
 浄蔵は、北橋の上で父親の葬列に出合い、その場で加持をすると、三善清行が蘇生したといわれる
 このことで、その橋を「戻橋」と称されるようになった

【三善清行のゆかりの地】

 <三善清行邸跡
 下京区堀川松原醒ヶ井通醒泉小学校内
 この付近に、古い寝殿造の屋敷を買い住んだといわれている

 <観音寺
 浄蔵貴所が、父親 三善清行が亡くなったとき、聖観世音菩薩に祈願して、蘇生させたといわれる

 <金剛寺 八坂庚申堂
 浄蔵貴所が、父親 三善清行が病気をしたとき、祈祷にこんにゃくを捧げたところ無事に治癒したことに由来して、
庚申の日に一晩中、お籠もりが行われ、こんにゃく焚きが行われる

 <一条戻橋
 一条通の堀川に架かる橋
 三善清行の蘇生や、渡辺綱と鬼女、陰陽師 安倍晴明の橋占など、多くの故事がある

【三善清行の著書】

 漢詩・漢文に優れていたといわれる

 <円珍和尚伝>
 <藤原保則伝>

 <奇談集「善家秘記」>
 怪異奇談を信じていたといわれ、怪異奇談を集めて著する
 現存はしていないが、転載された一部が残っている

【三善清行と菅原道真との関わり】

 三善清行は、一度、官吏の登用試験に落ち、この時の試験官が菅原道真だったことで、後にことあるごとに対立する

 藤原時平と対立し朝廷内で孤立していた右大臣 菅原道真に対し、書簡を出し辞職勧告をする
 菅原道真は、長年の確執からこれを退ける

 菅原道真が、藤原時平により、醍醐天皇を退けて自分の娘を嫁がせていた斉世親王を皇位に就けようと謀ったと嫌疑をかけられ、
大宰権帥(だざいふごんのそち)に左遷され、子供4人も流刑に処された

 三善清行は、藤原時平に対して、菅原道真の関係者を全て連座させると、朝廷が機能停止に陥ることを指摘して、
処分を菅原道真の親族と宇多上皇側近のみに留めてさせたといわれる

 三善清行は、菅原道真の子 菅原高視の失脚により、後任として大学頭を兼任する

 903年(皇紀1563)延喜3年2月25日
 濡れ衣を着せられたままの菅原道真は、無念のうちに大宰府で死去し、同地(後の安楽寺)に葬られる

 その後、京都では落雷などの天災が相次ぎ、菅原道真の祟りとの噂が広まる

 「扶桑略記」によると
 藤原時平は急病にかかり床に伏せ、三善清行の八男 僧の浄蔵貴所が、菅原道真の怨霊を取り除く加持祈祷を行う
 その時、見舞いにきていた三善清行に、藤原時平の耳から龍の姿をした菅原道真の怨霊が出てきて、
加持祈祷を止めさせるように迫ったという
 三善清行が浄蔵貴所に祈祷を止めさせると、藤原時平の病態が急変し息をひきとったといわれる


【京都検定 第12回1級】

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