藤原兼家(ふじわらのかねいえ)

平安時代中期の公卿

生年:929年(皇紀1589)延長7年
没年:990年(皇紀1650)正暦元年7月2日
享年:62

父親:藤原師輔(右大臣)
三男
母:藤原盛子(武蔵守 藤原経邦の娘)

氏族:藤原北家九条流

法号:如実
戒名:法興院

主君:村上天皇・冷泉天皇・円融天皇・花山天皇一条天皇
官位:従一位、摂政、関白、太政大臣

兄弟:伊尹、兼通、安子、兼家、遠量、忠君、遠度、遠基、高光、為光、尋禅、深覚、公季 他
正室:藤原時姫(藤原中正の娘)
子:道隆、超子、道綱、道兼、詮子、道義、道長、綏子
孫:一条天皇

別称:東三条殿

 藤原兼家(ふじわらのかねいえ)は、平安時代中期の公卿

 藤原氏として、初めて摂政・関白・太政大臣を歴任する

 策略を尽くして天皇の外戚となり地位を確立し、五男 藤原道長の時代に絶頂期を迎える

【藤原兼家の歴史・経緯】

【藤原兼家の家族】

 父親:藤原北家九条流 右大臣 藤原師輔
 母親:藤原盛子(武蔵守 藤原経邦の娘)

 正妻:藤原時姫(藤原中正の娘)
  長男:藤原道隆
  三男:藤原道兼
  五男:藤原道長
  長女:藤原超子(冷泉天皇の女御)(三条天皇の生母)
  三女:藤原詮子(東三条院)(円融天皇の女御)(一条天皇の生母)

 妻:藤原道綱母(藤原倫寧の娘)(蜻蛉日記の作者)
  次男:藤原道綱

 妻:保子内親王(村上天皇の第三皇女)

 妻:対の御方(藤原国章の娘)
  四女:藤原綏子(三条天皇東宮の女御)

 妻:中将の御息所(藤原懐忠の娘といわれる)

 妻:権の北の方

 妻:藤原忠幹の娘
  四男:藤原道義

 妻:源兼忠の娘
  次女:藤原道綱母の養女となる

 「蜻蛉日記」によると、妻は9人いたとされる

【藤原兼家ゆかりの地】

 <大将軍神社
 相殿に藤原兼家が祀られている
 東三条社は、この地に建てられていた藤原兼家の邸宅「東三条殿」の名跡

 <延暦寺
 恵心院は、藤原兼家が、良源のために建立した念仏三昧道場だった建物

 <元慶寺
 花山天皇が19歳のとき、藤原兼家・藤原道兼父子の策略により出家させられたところ

 <法雲寺
 藤原兼家が、邸宅 二條第を寺院に改めて法興院を創建する
 藤原兼家の息子 藤原道隆が、法興院内に積善寺を建立し、一切経を奉納して盛大な供養を行った

【その他】

 <父親 藤原師輔の長男・次男・三男>
 藤原氏は、藤原師輔の長男 藤原伊尹の元で、藤原摂関家の勢力を伸ばす
 三男 兼家は、藤原師輔に引き立てられ、次男 藤原兼通より昇進が早く、藤原兼通の妬みをかい兄弟の確執を生む

 藤原伊尹が亡くなると、円融天皇は兄弟順を優先させて藤原兼通を関白に任命する
 藤原兼通は、これまでの復讐のように、兼家の昇進をことごとく阻み
 二人は、宮中でも露骨にいがみ合っていたといわれる

 <安和の変>
 長兄 藤原伊尹と共謀して、藤原氏以外を排斥し、左大臣 源高明などを失脚に追い込んだ

 <寛和の変
 兼家の娘 詮子が円融天皇との間に産んだ懐仁親王が、花山天皇の東宮に立てられる
 兼家は、息子 藤原道兼を通じて花山天皇に出家をそそのかし、
 兼家に仕える源頼光ら武士たちに警護させて、花山天皇内裏から抜け出させ、元慶寺で剃髪出家させる
 孫 懐仁親王を一条天皇に即位させ、その外祖父となった兼家は摂政・太政大臣に就任する

 <藤原道長
 兼家の五男
 兼家の関白を継いだ長男 藤原道隆、同母の三男 藤原道兼が死去し、同母の藤原道長が継ぐ
 父親の兄弟争いと同様に、長兄 藤原道隆の息子 藤原伊周と激しい官位争いをした
 娘の3人を天皇の中宮にし、三后(皇后・皇太后・太皇太后)を全て自分の娘で占めた(一家三后)
 藤原家の全盛期を築いた

 <蜻蛉日記
 上・中・下3巻より成る
 作者は、兼家の妻 藤原道綱母
 20歳から40歳までの、21年間の藤原兼家との結婚生活の経緯が記されている
 次兄 藤原兼通との骨肉の争いや、兼家に9人の妻がいたことでの浮気性などが指摘されている

 <東三条殿(東三条院)>
 藤原北家の基礎を築いた藤原良房の邸宅に始まり、藤原忠平を経て、藤原兼家へ伝えられた
 大内裏の東南、二条大路の南、西洞院大路の東にあり、東西1町、南北2町の地を占めた
 兼家が、その西対を内裏の清涼殿に似せてつくり世の非難を浴びた
 兼家の後、東三条院詮子(兼家の娘)(円融天皇の女御)を経て藤原道長が所有し、
一条天皇、三条天皇の行幸を迎えている

 <二条京極第>
 兼家の別邸
 新造のときの宴席で、源頼光が馬30頭を贈った
 兼家が出家して「法興院」という寺院に改めて居住する

 <政策実績>
 能吏の挙用、銭貨の統制、僧侶の風儀の匡正などを行い、一条天皇の政治的安定に貢献する

 兼家の子弟の藤原道隆や藤原道長らを公卿に抜擢するなど、弁官を全て自派に差し替える人事を行う
 住民の訴えを入れて尾張国守藤原元命を罷免したりもし、有能な人材を登用し、新制を発布して官僚機構の再生に尽力する

 梅宮祭・吉田祭・北野祭を公祭(官祭)と定めて、主催の神社を国家祭祀の対象として加え、
後の明神二十二社制度の基礎を作る

 <打伏神子(うちふしのみこ)>
 巫女の言葉をとても信じ、全て彼女の言葉に従ったともいわれる


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