茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)

茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)は、茶屋家の当主の名

本姓:中島

京の三長者(角倉家・後藤家・茶屋家)

 茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)は、桃山時代から江戸時代初期に最も活躍した京都の豪商

 当主は代々「茶屋四郎次郎」を襲名した

 徳川家康の御用商人として財政面で支えたといわれる

 角倉了以の角倉家、後藤庄三郎の後藤家とともに「京の三長者」といわれた

 初代 茶屋清延(ちゃや きよのぶ)・2代 茶屋清忠(ちゃや きよただ)・3代 茶屋清次(ちゃや きよつぐ)までが
絶頂期だったといわれる

【茶屋家の歴史・経緯】


【茶屋家の主な当主】

 初代から三代までが商人としての絶頂期であった
 茶屋家は代々「四郎次郎」を襲名した

 <初代>
 茶屋清延(ちゃやきよのぶ)
 生年:1545年(皇紀2205)天文14年
 没年:1596年(皇紀2256)慶長元年7月27日
 父親の代のときに三河から京都に出てきて、商人となり「茶屋」と号した
 本能寺の変のとき、堺に滞在中であった徳川家康に急を知らせ、伊賀越で三河への帰国の先導役を務めた
 この恩により、徳川家康の御用商人として取り立てられ、
 徳川家康に従い、各地の戦場に出陣し、三方ヶ原・長篠・小牧・長久手の戦いでは武功を立てた

 <二代>
 茶屋清忠(ちゃやきよただ)
 生年不詳
 没年:1603年(皇紀2263)慶長8年4月1日
 初代の長男
 父親の地盤を引き継ぎ、徳川家御用達商人を務めた
 豊臣秀吉の死後、徳川家康の権勢が絶大になり、「淀川過書船支配」など京都・大坂の物流の
取締役に任命され、優遇される
 江戸幕府になると御用達商人、京都町人頭にも任命される

 <三代>
 茶屋清次(ちゃやきよつぐ)
 生年:1584年(皇紀2244)天正12年
 没年:1622年(皇紀2282)元和8年7月16日
 二代の弟
 長谷川藤広の養子となっていたが、兄が急死し、江戸幕府の命で急遽、跡を継いだ
 江戸幕府の御用達商人を引継ぎ、長崎代官補佐役などを務める
 朱印船貿易の特権を得て、主にベトナム北部に船を派遣し、莫大な富を得た
 その財産によって、茶道具の収集にあたり、本阿弥光悦らとも親しくしたりするなど芸術支援を行った
 徳川家康の死因とも言われる「鯛の天ぷら」を田中城で勧めたといわれる
 35歳で死去

【茶屋四郎次郎邸跡】

 <茶屋四郎次郎邸跡(ちゃやしろうじろうていあと)>
 京都市上京区小川通下長者町通茶屋町東南角

 6代までは、中京区新町通蛸薬師下ルに屋敷があったが、
 1708年(皇紀2368)宝永5年
 6代のとき、大火により、中京区新町通蛸薬師下ルから、
初代 茶屋清延が徳川家康より屋敷地として与えられていた上京区小川通下長者町通茶屋町へ移転する

 <茶山>
 左京区北白川の瓜生山
 初代 茶屋清延の代から別荘があったところ
 「情延山」とも称される

【茶屋家のゆかりの地】

 <久本院
 第12世 玉泉坊 日習上人のとき、茶屋四郎次郎の援助で再興される
 木像が安置されている

【その他】

 <茶屋染め(ちゃやぞめ)>
 江戸時代の武家の女性が用いた夏用の帷子(かたびら)に使われた染法
 高度な技術を用いた鮮やかな藍染を創案した
 筒描きなどで文様を表現し、ほぼ藍一色で濃淡を巧みに使って染め出される
 楼閣、草木、流水、花鳥などがあり、糊防染によって描き出される
 徳川宗家、御三家以外は、使用を禁じられたともいわれる


【京都検定 第7回1級】


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