足利義教(あしかがよしのり)(Yoshinori Ashikaga)

室町時代中期の室町幕府第6代将軍

生年:1394年(皇紀2054)応永元年6月14日
没年:1441年(皇紀2101)嘉吉元年6月24日
享年:48

将軍在職:1429年(皇紀2089)正長2年3月15日−1441年(皇紀2101)嘉吉元年6月24日

父親:足利義満(室町幕府第3代将軍)
三男、室町幕府4代将軍 足利義持の同母弟
母親:側室 藤原慶子(三宝院坊官安芸法眼の娘)
側室:日野重子
息子:足利義勝(7代将軍)
息子:足利義政(8代将軍)
息子:足利義観(聖護院門跡門主)
息子:足利義視

幼名:春寅
改名:義円、義宣、義教

官位:従一位
官職:左大臣(贈太政大臣)

俗称:籤引き将軍、悪御所

お墓:十念寺

 足利義教(あしかがよしのり)は、室町時代中期の室町幕府第6代将軍

【足利義教の歴史・経緯】

【室町幕府第6代将軍 足利義教】

 足利義教は、兄の4代将軍 足利義持の時代に失墜した幕府の権威と将軍親政の復活を目指したといわれる

 政策は、父親の3代将軍 足利義満を手本にしたといわれる

 当初は、宿老たちの意向に従い合議制を継続していたが、評定衆や引付頭人を再設して管領権力を抑止していき、
適宜、将軍専制に移行していき、三宝院の満済を政治顧問にして、儀礼の形式や訴訟手続きなどを足利義満時代のものを復活させる

 皇室に対しても、称光天皇の崩御の皇位継承に一役を果たしたり、後花園天皇の新続古今和歌集の編纂を勧めたりする

 社寺勢力へも積極的に介入を行った

 財政では、足利義持の代から中断していた勘合貿易を再開させて財政政策を見直す

 将軍直轄の奉公衆制度を創設し、軍制改革を行い、将軍権力を維持させた

【足利義教のゆかりの地】

 <等持院
 霊光殿に、歴代足利将軍の衣冠等身の木像13体が安置されている

 <藤森神社
 摂社 八幡宮社(重要文化財)、摂社 大将軍社(重要文化財)は、足利義教が寄進されたといわれる

 <法観寺
 現在の五重塔(重要文化財)が足利義教により再建される

 <瑞春院
 本尊 阿弥陀三尊仏は、1439年(皇紀2099)永享11年に足利義教の寄進によるもの

 <十念寺
 足利義教などのお墓がある

【その他】

 <「籤引き将軍」>
 重病に陥った足利義持の後継ぎが、義持の弟である梶井義承・大覚寺義昭・虎山永隆・義円の中からくじ引きで決められる
 応永35年(1428年)1月17日
 石清水八幡宮で、足利満家がくじを引き、翌日の足利義持の死亡後に開封され、義円が後継者に決まった
 このことから、「籤引き将軍」と称される

 <「万人恐怖」「悪御所」>
 性酷薄で、義教が少しでも不快に思った者は、容赦なく処罰された
 中山定親の日記「薩戒記」(1434年(皇紀2094)永享6年6月)によると、
 些細なことでも処罰された者は、公卿59名、神官3名、僧侶11名、女房7名と記されている

 <祇園祭
 「祗園本縁録」などによると、しばらく絶えていた祗園会の復興を促して、山鉾等を創建・再興させた


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