斎王(さいおう)は、伊勢神宮あるいは賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)に奉仕した未婚の内親王・女王
斎院(さいいん)は、平安時代から鎌倉時代にかけて賀茂社に奉仕した斎王の御所
賀茂斎王制ができたことにより、伊勢の斎王の御所を「斎宮」、賀茂のを「斎院」として区別されるようになった
斎院は、内院と外院からなる二重構造だった
内院には、斎王の寝殿や、上賀茂神社・下鴨神社両社の祭神を祀る神殿などがあった
外院には、事務などを担当する斎院司や、蔵人所が置かれ、長官以下官人、内侍、女嬬などが仕えていた
賀茂斎王は、賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)の儀式に奉仕する未婚の内親王・女王
斎王は、「いつきのひめみこ」とも称され、「斎」とは「潔斎して神に仕える」ことをいう
古来、神への崇敬の念を表し、未婚の皇女が、神の御杖代(みつえしろ)として、伊勢神宮で奉仕されていた
賀茂斎王も、伊勢神宮の斎王と同様に、未婚の皇女の内親王あるいは女王から選出された
いずれも卜定(ぼくじょう)により選ばれた
内親王は「斎内親王」、女王は「斎王」「斎女王」と称された
賀茂斎王制ができたあとは、伊勢斎王よりも、賀茂斎王のほうが重んじられていたといわれる
賀茂斎王の最も重要な役割は、4月第二酉の日の賀茂祭(葵祭)で、
あらかじめ御禊の後、上賀茂神社・下鴨神社の両社に出向いて祭祀を行うことであった
その際の斎王の行列は華麗で、清少納言の「枕草子」や、紫式部の「源氏物語」などで記述されている
神宮の斎王は、天皇即位のときに卜定(ぼくじょう)され、天皇が譲位・崩御されたときに退下(たいげ)し、交替されていた
賀茂の斎王は、数代の天皇に継続して仕えられた
斎王が卜定されると、参議以上の者が勅使として遣わされて、上賀茂神社・下鴨神社の両社に奉告がされる
斎王に選ばれた皇女は、宮中に設けられた初斎院(しょさいいん)で2年間の潔斎の生活をして過ごし、
毎月、朔日(ついたち)には賀茂の大神を遥拝する
3年目の4月上旬に、賀茂斎院に移る
斎王は、賀茂斎院では、仏事を行い、不浄を避ける清浄な生活を送りながら、
賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)や斎院御所での祭祀に奉仕した
選子内親王は、歴代の中でも最長に奉仕され、5代の天皇の御代で56年間も勤め、「大斎院」と称された
斎王の退下後は、ほとんどの斎王が、生涯を独身で終えた
<賀茂斎院>
賀茂社に奉仕した斎王の御所
清浄な地であった紫野の櫟谷七野神社あたりに置かれ、「紫野斎院」とも称された
敷地は、大宮末路(大宮通)と安居院大路(廬山寺通)を東南の角として、約150m四方の広さがあった
斎院には「内院」と「外院」があった
内院には、賀茂社の祭神を祀る「神殿」と斎王の住居の「寝殿」などがあった
外院には、長官以下の事務所「斎院司(さいいんのつかさ)」、客殿、警固の武士の詰める武者所、大炊殿などがあった
500人の官人と女官が仕え、男子も客殿までは入れた
<賀茂斎院跡>
櫟谷七野神社に、賀茂(紫野)斎院跡顕彰会により「賀茂斎院跡」の石碑が建立されている
櫟谷七野神社は、内院の北西の端にあたる
境内には、外院の大炊殿、膳部殿もあったといわれる
賀茂斎院の廃絶の跡の跡地は、廬山寺に施入された
廬山寺は、その後、応仁の乱で何度か焼失し、
豊臣秀吉の都市改造政策によって、京都御苑の東の寺町通の現在の地に移転する
毎年4月、中の酉の日に行われていた賀茂祭(葵祭)の当日、斎王は、御所車にて斎院を出御され、
勅使や諸役の行列と、一条大路で合流して、一条大路を東行して、下鴨神社と上賀茂神社に参向する
上賀茂神社では、本殿の右座に着座され、祭儀を執り行われる
その夜は、上賀茂神社の御阿礼所(みあれしょ)前の神館(こうだて)に宿泊され、
翌日、斎院へ戻られ、斎院においては、「還立(かえりだち)の儀」が行われる
1956年(皇紀2616)昭和31年
葵祭にて、斎王に代わる「斎王代」を中心とする女人列が復興された
それに伴い、当時、賀茂祭の前日に賀茂川の河原で行われた身を清める「御禊(ぎょけい)」も復興し
5月初旬の吉日に斎王代・女人列御禊神事が行われる
平安時代中期
斎院は、宮中文化の中心として、歌人や貴族たちが出入りする風雅な社交場の一つとなっていた
斎王には優れた歌人もおられ、500人が仕えている官人や女官にも優れた歌人がおり、
斎院は歌壇として、たびたび歌合せも催されていた
<文化人として著名な斎王>
初代 有智子内親王(うちこないしんのう) 女流漢詩人
大斎院 選子内親王(のぶこないしんおう) 「枕草子」「紫式部日記」に登場する
六条斎院 媒子内親王(ばいしないしんおう) 多くの歌合を主催
式子内親王(しょくしないしんのう) 新古今和歌集を代表する歌人
「源氏物語」は、選子内親王から新しい物語を所望された中宮 上東門院が、紫式部に命じて創作されたといわれる
<野宮神社>
かつて伊勢斎宮(さいぐう)が伊勢に赴く前に潔斎をする野宮社(ののみやしゃ)があったとされる