天智天皇(てんちてんのう)(TenchiTennou)

天智天皇:第38代天皇

生年:626年(皇紀1286)推古天皇34年
即位:668年(皇紀1328)天智天皇7年1月3日
崩御:672年(皇紀1331)天智天皇10年12月3日

諱:葛城(かづらき)(かつらぎ)
和風諡号:天命開別尊(あめのみことひらかすわけのみこと)
舒明天皇の第二皇子 母親:皇極天皇(重祚して斉明天皇)

先代:斉明天皇
次代:弘文天皇

皇后:倭姫王(異母兄 古人大兄皇子の娘)

別称:中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)

陵墓:天智天皇山科御陵

 天智天皇(てんちてんのう)は、奈良時代の第38代天皇

 山科の「御陵(みささぎ)」の地名は、天智天皇山科陵にちなんで名付けられた

【天智天皇の経緯】

【天智天皇の歌】

 <万葉歌人>
 万葉集に4首の歌がある

 中大兄皇子の三山(みやま)の長歌一首
 「香具山(かぐやま)は 畝傍(うねび)ををしと 耳梨(みみなし)と 相争(あひあらそ)ひき 神世(かみよ)より
 かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ 現身(うつせみ)も 嬬(つま)を 争ふらしき」
 巻一(第十三)

 反歌二首
 「香具山と耳梨山(みみなしやま)とあひし時立ちて見に来し印南国原(いなみくにはら)」
 巻一(第十四)

 「綿津見の豊旗雲(とよはたぐも)に入日さし今宵(こよい)の月夜(つくよ)さやけくありこそ」
 巻一(第十五)

 天皇の鏡女王に賜へる歌一首
 「妹があたり継ぎても見むに大和なる大島の嶺(ね)に家居(いえを)らましを」
 巻二(第九十一)

 <百人一首>
 百人一首の巻頭を飾る最初の和歌 (二首目は、天智天皇の子 持統天皇の歌)
 「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」

【天智天皇の陵墓】

 <天智天皇山科御陵>
 「延喜式」には、
 天智天皇陵は、「兆域東西十四町南北十四町」と記されており、約1500m四方あったといわれる
 「聖蹟図志(せいせきずし)」(1854年(皇紀2514)安政元年)には、
 天智天皇陵と参道、東海道が描かれ、「竜徳山妙応寺」と「天皇昇天鏡ヶ池古跡」などが描かれている
 天智天皇山科御陵があることが地名「御陵(みささぎ)」の由来となっている

【天智天皇ゆかりの地】

 <誓願寺
 天智天皇が夢告により、恵隠僧都(えおんそうず)が、奈良の地に三論宗として開創し七堂伽藍を創建し、
仏師 賢問子・芥子国父子に丈六の阿弥陀如来坐像を造らせ祀り、「誓願寺」と名付けたのが由来

 <日向大神宮
 天智天皇により、神田が寄進され、鎮座の山を「日御山(ひのみやま)」と名付けされる

 <泉涌寺
 霊明殿(れいめいでん)に、天智天皇と光仁天皇から昭和天皇までの歴代天皇皇后の尊牌(位牌)が奉祀されている

【その他】

 <「天智天皇」>
 代々の天皇の漢風諡号と同様に、奈良時代に淡海三船によって撰進され、「殷最後の王である紂王の愛した天智玉」から
名付けられたといわれる

 <中大兄皇子(なかのおおえのおうじ>
 「大兄」とは、同母兄弟の中の長男に与えられた皇位継承資格を示す称号
 「中大兄」は「二番目の大兄」を意味する


【京都検定 第1回3級】

80.京都市山科区にある「御陵」という地名の由来となった近くにある陵墓は、何天皇の陵墓か?

【京都検定 第5回3級】

【京都検定 第8回3級】

【京都検定 第11回3級】

【京都検定 第9回2級】

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