亀山天皇(かめやまてんのう)

鎌倉時代の第90代天皇

生年:1249年(皇紀1909)建長元年5月27日
没年:1305年(皇紀1965)嘉元3年9月15日
享年:57

父親:第88代天皇 後嵯峨天皇
第七皇子
母親:中宮 藤原きつ子(きつし)(大宮院)

諱:恒仁(つねひと)

在位:1259年(皇紀1919)正元元年11月26日 - 1274年(皇紀1934)文永11年1月26日

先代:同母兄 後深草天皇
後代:後宇多天皇

法名:金剛源

大覚寺統最初の天皇

御陵:亀山陵(かめやまのみささぎ)(天龍寺内)

 亀山天皇(かめやまてんのう)は、鎌倉時代の第90代天皇

 同母兄 後深草上皇をさしおいて、大覚寺(嵯峨御所)で院制を行い、大覚寺統の最初の天皇とされ、
持明院統(後深草上皇)と対立がおこる

 母親 大宮院の御所として離宮 禅林寺殿を造営し、その後、寺院に改め、南禅寺を創建する

【亀山天皇の歴史・経緯】

【亀山天皇ゆかりの地】

 <大覚寺
 鎌倉時代に、後嵯峨上皇、亀山上皇、後宇多法皇が入山して「大覚寺統(南朝)」を形成し、
ここで院政を行ったため「嵯峨御所」とも称される

 <南禅院
 南禅寺塔頭
 亀山天皇が、大宮院(亀山天皇の母親)の御所として離宮 禅林寺殿を造営する
 離宮 禅林寺殿は、「上の御所」と「下の御所」に分かれ、うち「上の御所」に建設された持仏堂を「南禅院」と称した
 40歳のとき、南禅院で落飾(剃髪して仏門に入ること)して法皇となる

 <南禅寺
 亀山天皇が、大宮院(亀山天皇の母親)の御所として離宮 禅林寺殿を造営する
 亀山法皇が、禅林寺殿を寺院に改め、無関普門を開山として「龍安山(りょうあんざん)禅林禅寺(ぜんりんぜんじ)」と名付ける
 日本で最初の皇室の発願による禅寺

 <天龍寺
 亀山上皇が離宮を営んだときに、後醍醐天皇が学問所としたところ
 亀山天皇の御陵が、亀山陵(かめやまのみささぎ)(亀山殿法華堂)に治定されている

 <安楽寿院
 鳥羽上皇から、美福門院との間に誕生した皇女 八条院に譲られる
 その後、亀山上皇に相続されていき、大覚寺統の重要な資産となったといわれる

 <聴松院
 かつて、亀山天皇の離宮であったところ

 <檀王法林寺
 望西楼了恵上人が、亀山天皇の勅額により洛東三条に悟真寺(ごしんじ)を創建する
 亀山天皇より「朝陽山(ちょうようざん)」の山号勅額を賜ったとされる

 <二尊院
 境内の奥にある三帝陵には、右より、土御門天皇・後嵯峨天皇・亀山天皇の分骨が安置されている

 <最勝院
 亀山天皇が、この地に離宮を造営されるとき、土地の鎮守として、駒道智大僧正として祀られた

 <東福寺
 月下門(重要文化財)は、一条実経が常楽庵を建立したときに、亀山天皇から京都御所の月華門を下賜されものといわれる

 <渡月橋
 亀山上皇が、橋の上空を移動していく月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」と述べられたことから
「渡月橋」と名付けられたといわれる


 <亀山天皇陵>
 天龍寺内にある亀山陵(かめやまのみささぎ)(亀山殿法華堂)に治定されている
 公式形式は方形堂(法華堂形式)

 <火葬塚>
 天龍寺に隣接した亀山公園にある
 遺体は荼毘に付され、嵯峨野にあった浄金剛院や亀山殿法華堂、南禅寺、高野山金剛峯寺にそれぞれ分骨された


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