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東福門院(とうふくもんいん) 徳川和子(とくがわまさこ)
ToufukuMonin (Tokugawa Masako)
徳川和子(とくがわまさこ)
院号:東福門院(とうふくもんいん)(宣下:1629年(皇紀2289)寛永6年11月9日)
生年:1607年(皇紀2267)慶長12年10月4日〜1678年(皇紀2338)延宝6年6月15日
幼名:松姫
父親:徳川秀忠の娘
母親:崇源院
後水尾天皇の中宮(入内:1620年(皇紀2280)元和6年6月18日)
実娘:明正天皇の生母(1623年(皇紀2283)元和9年11月19日)
徳川和子(とくがわまさこ)は、徳川家が天皇外戚となるように後水尾天皇に嫁いだが、
2人の皇子が早死にしてしまい、実娘 明正天皇の後継ぎには、
後水尾天皇と別の女性との間に生まれた後光明天皇を養子とした
江戸幕府の皇室に対する抑圧に不安が強かった後水尾天皇と、江戸幕府の間を取り持つことに奔走させられる
後水尾天皇が造営した修学院離宮の費用を江戸幕府から捻出させたとされる
【東福門院のゆかりの地】
<
二条城>
1619年(皇紀2279)元和5年
徳川秀忠は、娘和子の
後水尾天皇の女御としての入内に備え、
二条城の改修を行う
<
京都御所>
1620年(皇紀2280)元和6年
徳川和子が、
後水尾天皇へ入内する前年にも、
御所の大規模な拡張工事が行われる
<大宮御所>
仙洞御所の北側に隣接する
後水尾天皇の皇后となった東福門院和子の御所として創建されたもの
<
新熊野神社>
1666年(皇紀2326)寛文6年
東福門院が社殿を再建する
<
修学院離宮>
書院造の客殿は、
1677年(皇紀2337)延宝5年に造営された東福門院の
女御御所の奥対面所を
1682年(皇紀2342)天和2年に移築したもの
客殿一ノ間の違い棚は、「霞棚」と称され、「天下の三大名棚(
醍醐寺塔頭 三宝院の「醍醐棚」、
桂離宮の「桂棚」)」の一つ
<
智積院>
総門は、東福門院の旧殿の門を移築したもの
<
大善寺>
鐘楼は、東福門院により寄進されたもの
天井は、菊と三つ葉葵の紋章が極彩色で描かれている
<
建仁寺>
本尊は、東福門院による寄進の十一面観音菩薩像
<
妙法院>
大書院(重要文化財)と大玄関(重要文化財
1619年(皇紀2279)元和5年
東福門院入内のときに建築された
女御御所の旧殿を移築したものといわれる
<
霊鑑寺>
東福門院の十二単衣
<
天寧寺>
観音堂に、東福門院の念持仏とされる薬師如来像が安置されている
【その他】
宮中に小袖を着用する習慣を持ち込んだといわれ、
尾形光琳、尾形乾山兄弟の実家「雁金屋」を採用したといわれる
【京都検定 第5回3級】
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