近衛家(このえけ)

藤原北家の嫡流の公家

本姓:藤原北家近衛流
家祖:近衛基実

五摂家
華族(公爵)

家領:2862石(江戸時代)

別称:陽明家

家紋:近衛牡丹

菩提寺:大徳寺

 近衛家(このえけ)は、藤原北家の嫡流の公家、五摂家の一つ

 藤原北家嫡流の藤原忠通の長男 藤原基実(近衛基実)を祖とする(三男の九条兼実は九条家の祖)

 子の藤原基通が、平安京の近衛大路の北、室町の東の邸宅を「近衛殿」と称したことが名前の由来
 近衛大路に面する宮門号にちなんで「陽明家」とも称する

【近衛家の歴史・経緯】

【近衛家の主な人物】

 基本的に実系で承継してきたが、2度養子を迎えている

 <近衛基実>(1143年 - 1166年)
 <近衛基通>(1160年 - 1223年)
 <近衛家実>(1179年 - 1242年)
 <近衛兼経>(1210年 - 1259年)
 <近衛前久>(1536年 - 1612年)

 <近衛信尹>(1565年 - 1614年)
 継子なくして死去する

 <近衛信尋>(1599年 - 1649年)
 養子(近衛前久の外孫で、後陽成天皇の第4皇子)

 <近衛基熙>(1648年 - 1722年)
 <近衛家熙>(1667年 - 1736年)
 <近衛忠煕>(1808年 - 1898年)
 <近衛篤麿>(1863年 - 1904年)

 <近衛文麿>(1891年 - 1945年)
 内閣総理大臣

 <近衛秀麿>(1898年 - 1973年)
 近衛文麿の異母弟
 指揮者・作曲家

 近衛文隆
 近衛文麿の長男
 継子がないまま死去する

 <近衛忠W>(1939年 - )
 養子(近衛文麿の外孫で、細川護貞の次男)
 近衛文隆夫人の養子となり、近衛家を継ぐ
 日本赤十字社社長

【近衛家の屋敷】

 <近衛殿
 1158年(皇紀1818)保元3年
 藤原基通(近衛基通)が内大臣、摂政関白となり、京都近衛の北、室町の東に屋敷を構えた

 江戸時代
 現在の京都御苑の北西(同志社大学今出川キャンパスの向かい)にあった
 近衛池を囲む庭園などが保存されている
 隣の桂宮家邸跡には築地塀や表門が残っている
 池の周囲には、大きな枝垂れ桜(糸桜)「近衛桜」がある

 東福寺塔頭 勝林寺には、近衛家の大玄関が移築され、お堂として用いられている
 西大寺(奈良)には、近衛家の政所御殿(寝殿造)が移築され、愛染堂として用いられている
 西尾城(愛知)には、近衛家の数奇屋棟と茶室棟が移築されている

【その他】

 <陽明文庫
 近衛家伝来の古文書、典籍、記録、日記、書状、古美術品など約20万点の史料が保管されている

 <藤原北家(ふじわらほっけ)>
 藤原氏祖 藤原鎌足の孫であり、右大臣 藤原不比等の次男である藤原房前を祖とする家系
 藤原房前の邸宅が、兄の藤原武智麻呂の邸宅よりも北に位置したことが名前の由来
 嫡流は、藤原忠通の長男 近衛基実を祖とする近衛流(近衛家)と、藤原忠通の三男 九条兼実を祖とする九条流(九条家・一条家)の
2流となっている

 <五摂家>
 藤原氏嫡流で公家の家格の頂点に立った5つの家
 摂政・関白、太政大臣に昇任できた家系
 近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家

 九条道家九条家始祖の九条兼実の孫)の長男の子 九条忠家が新九条家、次男 九条良実が二条家、
四男 九条実経が一条家を創始する

 <牡丹紋(ぼたんもん)>
 家紋の一種で、牡丹の花や葉を図案化したものがある
 関白 近衛家が、車紋(牛車の紋)として使用したのが最初といわれる

 <京舞井上流
 寛政年間(1789年〜1801年)
 近衛家・一条家・仙洞御所などの舞指南役を勤めた井上サト(初代井上八千代)が、宮廷文化を基盤に創始する
 の図柄は、全て「近衛引(このえびき)」で、白骨で金地のところに、五摂家 近衛家の井菱の定紋が白ぬきで入っている


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