枯山水庭園(かれさんすいていえん)(Karesansui Teien)

枯山水(かれさんすい)は、日本庭園の様式の一つ

池や遣水(やりみず)(小川)などの水を用いずに、石や砂などにより山水の風景を表現する庭園様式

白砂や小石を敷いて水面に見立て、砂利・石の配置、石の表面の紋様や、橋で水の流れを、
一つの石や、小さな刈り込みの樹木で大山を表現する技法

水を得られる場所に造園されていた日本庭園が、水のない場所でも、水を表現する日本庭園の造園が可能になった

室町時代禅宗寺院で用いられて発達した

【枯山水庭園の歴史・経緯】


【主な枯山水庭園】

 <円通寺
 客殿の東面にある前庭(国の名勝
 一面に苔で覆われた庭に、左側に石が配置され、刈り込みされた端正な風情で、
杉木立の間の生垣の向こうに竹林があり、はるかに比叡山の稜線が見える、
深い奥行きを感じさせる借景式枯山水庭園
 本堂の柱も、庭園の一部としての役割を担っている
 後水尾天皇が、比叡山の借景を得るために、各所をまわってようやくこの地を探し当てたといわれる

 <圓徳院
 北庭(国の名勝
 1605年(皇紀2265)慶長10年の造営
 伏見城 北政所 化粧御殿の前庭を移した桃山時代の代表的な池泉回遊式の枯山水庭園
 賢庭の作で、後に小堀遠州が手を加えたといわれる
 東北部は、枯滝石組が構成されており、築山を中心にして左右に多数の石組を二等辺三角形にまとめて、
いくつかの群をなし、蓮菜石組を構成している
 数個の巨大な石で、池泉にかかる数個の橋としている
 多数の巨岩大岩が用いられている迫力のある珍しい庭で、桃山時代の豪華さ、豪胆さが現われている
 檜垣(ひがき)の手水鉢がある

 <黄梅院
 「直中庭(じきちゅうてい)」
 千利休の62歳の時の作
 苔一面の枯山水庭園
 豊臣秀吉の希望により、瓢箪型の枯池を手前に配し、加藤清正が持ち帰った朝鮮灯籠が据えられている
 「破頭庭(はとうてい)」
 本堂の前庭
 桂石が白砂と苔を直線で分け、二つの岩があるだけの簡潔で明快な枯山水庭園
 天正年間(1573年〜1592年)の作といわれる

 <玉鳳院
 蓬来式枯山水庭園(国の史跡名勝
 開山堂と本堂を結ぶ廊下の北側にあり、枯滝、蓬来石の石組などがある
 江戸時代初期の作庭

 <銀閣寺
 東方山麓の室町時代の面影を残す枯山水庭園
 1931年(皇紀2591)昭和6年に発掘される

 <建仁寺
 「大雄苑(だいおうえん)」
 方丈前庭
 白砂と緑苔に巨岩を配し、前面の法堂を借景としている枯山水庭園
 小川治兵衛の作
 中国の百丈山(ひゃくじょうざん)から名付けられたといわれる

 <高台寺
 「波心庭」
 方丈前庭
 白砂が敷き詰められた枯山水庭園

 <光明院
 「波心の庭(はしんのにわ)」
 方丈の枯山水庭園
 洲浜形の枯池に三尊石組を巧みに配され、背後に皐月(さつき)躑躅(ツツジ)の刈り込みが設けられる
 1939年(皇紀2599)昭和14年
 重森三玲(しげもりみれい)の作

 <金戒光明寺
 「紫雲の庭」
 2006年(皇紀2666)平成18年
 5年後の宗祖 法然上人の800回忌を記念して、大方丈東側に面した庭園を、新たに整備した枯山水庭園
 広さ約700m2
 白砂と杉苔が敷き詰められ、法然上人の誕生から開宗までの足跡と、金戒光明寺の発展を
 ・美作(現在の岡山県)での幼少時代
 ・比叡山 延暦寺での修行の時代
 ・浄土宗を開き、念仏を広めた時代
 の3つのエリアで構成されている

 <金地院
 鶴亀の庭(国の特別名勝
 以心崇伝が、徳川家光のために小堀遠州に作らせた庭

 <金福寺
 皐月の築山と、白砂の簡素な枯山水庭園
 3段の生垣越しには、素朴な趣の芭蕉庵の萱葺き屋根が見える

 <西芳寺
 向上関(こうじょうかん)を境に、2つの庭から成る庭園(国の特別名勝国の史跡
 下段は、黄金池(おうごんち)を中心とした池泉回遊式庭園
 上段が、洪隠山枯山水石組みの庭園園
 夢窓疎石の作庭
 黄金池には、朝日島、夕日島、霧島と呼ぶ3つの島があり、
 池の周囲は、120種類以上といわれる苔で覆い尽くされており、通称「苔寺」と称される
 苔は、夢窓疎石の時代にはなく、江戸時代末期に荒廃した庭園が苔で覆われるようになったといわれる

 <三宝院
 枯山水庭園
 本堂と茶室 枕流亭との間にある庭

 <地蔵院
 「十六羅漢の庭」(京都市登録名勝)
 方丈前の枯山水庭園
 細川頼之の遺愛といわれる
 さまざまな形の石が配され、石の一つ一つは羅漢を表し、十六羅漢の修行の姿を表わしている
 宗鏡禅師の作

 <真如院
 織田信長が、将軍 足利義昭が入洛したときに真如院で迎えるために作庭した庭園

 <実相院
 池泉回遊式庭園と、一仏八僧の枯山水庭園

 <酬恩庵
 庭園(国の名勝
 「十六羅漢の庭」
 方丈東庭
 南庭は、方丈前庭で白砂敷
 北庭は、枯山水で、東北隅の大立石を主石として、まわりに多くの名石を配置されている

 <聚光院
 「百積の庭」(国の名勝
 千利休が作庭した苔の枯山水庭園

 <城南宮
 「桃山の庭」
 大きな刈り込みの前に緑の芝生が広がる桃山時代の枯山水庭園
 「城南離宮の庭」
 玉砂利が離宮の池を、緑濃い龍の鬚がおおう部分が陸地を、岩組みが諸殿を表している離宮時代の枯山水庭園

 <正伝寺
 「獅子の子渡しの庭」
 江戸時代初期の小堀遠州の作庭といわれる
 比叡山を借景にした白砂敷きの枯山水庭園
 サザンカや、躑躅(ツツジ)が築山風の刈り込みが七五三形式に配された名園

 <真珠庵
 「七五三の庭」
 方丈東庭の枯山水庭園
 真珠庵で最も古いといわれる室町時代の作
 侘び茶の祖 村田珠光(むらたじゅこう)の作といわれる
 7・5・3と合計15個の石が配されている

 <大仙院
 書院の庭園(国の史跡特別名勝
 室町時代の代表的な枯山水庭園
 東と北にわたる鉤形の狭い敷地に樹木、景石、白砂が配されている
 大石を立てて蓬莱山から落ちる滝口とし、滝口下には白砂を敷いて水流として、
中央下段には、渓流が大河となるさまを白砂敷の中に船形の石を配して表現されている
 開基の古嶽宗亘禅師による作庭

 <退蔵院
 「元信の庭」(国の名勝国の史跡
 西側を主庭とする枯山水庭園
 都林泉名勝図会」には、狩野元信(かのうもとのぶ)の作庭と記されている

 <大徳寺
 方丈庭園(国の史跡特別名勝
 南の庭園は、東南の隅に賀茂川の黒大石と、紀州の青大石を並べて滝口として、その下に平石を置いて渓流をかたどったもの
 東の庭園は、細長い枯山水庭園

 <天授庵
 方丈前庭
 幾何学模様の石畳がある枯山水庭園

 <天得院
 枯山水の杉苔の緑が際立つ庭園に、約500株の八重の桔梗(ききょう)が植えられている

 <東海庵
 「書院西庭」(国の史跡名勝)>
 座観式枯山水庭園
 蓬莱、方丈、瀛州の三神仙山一連を枯山水で表現したもの
 中心には、三尊石が据えられ蓬莱山を表す
 一文字手水鉢橋杭手水鉢が置かれている
 1814年(皇紀2474)文化11年
 東睦宗補(とうぼくそうほ)(紀州田辺の海蔵寺15世)の作庭
 「白露地の庭(はくろじのにわ)」
 方丈南庭の枯山水庭園
 一面に白砂が敷かれ、直線の砂紋が引かれ、
 雨落ちの中に棗形(なつめがた)手水鉢が置かれただけの庭園

 <東福寺
 「八相の庭」
 方丈の庭園
 東西南北の四庭からなり、釈迦 成道(じょうどう)の八相にちなんで「八相の庭」と称される
 1939年(皇紀2599)昭和14年
 造園家 重森三玲(しげもりみれい)の作
 東庭は、柱石の古材による北斗七星の石組
 西庭は、くず石を方形に組んで田んぼを表している
 南庭は、巨石が配される枯山水
 北庭は、敷石と苔地で市松文様に配される
 「開山堂庭園」
 普門院の前庭も兼ねた池泉鑑賞式庭園
 開山堂への参道を中ほどまで進めば左手に枯山水の庭が開ける
 約100坪の平庭式
 市松の砂紋をつけ、鶴島、亀島を象った石組を配して蓬莢山水を表し、
 対面の池庭は築山風、池中に亀島をつくり、枯滝がある
 禅院式と武家書院式とを調和させた江戸中期の代表的な名園といわれる
 「龍吟庭」
 竜吟庵方丈を東西南に囲む三ヶ所からなり、いずれも枯山水の庭
 特に西庭は有名で、龍の昇天を石組で表し、稲妻模様の竹垣がある
 約70坪
 1964年(皇紀2624)昭和39年の重森三玲の作庭

 <南禅寺
 「虎の子渡しの庭」(名勝
 方丈庭園
 江戸初期の代表的な枯山水庭園
 小堀遠州作といわれる

 <西本願寺
 「虎渓の庭(こけいのにわ)」(国の史跡特別名勝
 大書院庭園
 桃山様式屈指の枯山水庭園

 <芬陀院
 方丈東庭
 鶴島を中心にして、蓬莱の連山を表現した鶴亀石組みの枯山水庭園
 重森三玲が作庭した昭和の名庭
 「鶴亀の庭」
 方丈南庭
 苔地の中に鶴亀の二つの石組が配され、亀島を中心にした優美な苔庭で、京都最古の禅式枯山水庭園

 <芳春院
 「花岸庭」
 方丈前庭の枯山水庭園
 1617年(皇紀2277)元和3年
 名医 横井等怡(よこいとうい)と小堀遠州(こぼりえんしゅう)の作
 「飽雲池(ほううんち)」と称される池に、打月橋(たげつきょう)が架かり、呑湖閣と客殿を結ぶ

 <本法寺
 「巴の庭(ともえのにわ)」(国の名勝
 書院前の桃山風の枯山水庭園
 本阿弥光悦の作庭
 書院の東側が主体で、南側へかぎ型になっている
 三島をそれぞれ巴形にして配されている
 中庭には、本阿弥光悦遺愛の手水鉢が置かれている
 東南隅には、枯れ滝石組みがある
 書院東側の縁先近くには、石囲いの蓮池がある

 <松尾大社
 「即興の庭」
 曲水の庭の背後の宝物館と葵殿の間にある緑泥片岩、白川砂、錆砂利による枯山水庭園

 <曼殊院
 書院庭園(国の名勝
 書院の前に置かれている枯山水庭園
 鶴島の松は、樹齢400年といわれる
 根元には、曼殊院型石燈籠が置かれている

 <三室戸寺
 5000坪の広さの大庭園
 枯山水、池泉式庭園、広庭からなる

 <妙蓮寺
 「十六羅漢の石庭」
 江戸時代初期の枯山水庭園
 青石は伏見城の名石であったといわれる

 <龍安寺
 「龍安寺の石庭」(国の史跡国の特別名勝
 方丈の南側の柿葺油土塀で囲まれた枯山水の石庭
 幅25m、奥行10mほどの敷地に白砂だけを敷き詰めて、15個の石を5か所(5・2・3・2・3個づつ)に点在させただけのシンプルな庭
 「虎の子渡しの庭」「五智五仏(ごちごぶつ)」「七五三の石組み」「心字(しんじ)の象形(しょうけい)」などとも称される
 作者、作庭年代、表現意図などは不明である
 15個の石は、庭をどこから眺めても、必ず1個は他の石に隠れて見えないようになっているといわれる
 1975年(皇紀2635)昭和50年
 英国エリザベス女王が公式訪問され、絶賛された

 <龍源院
 「禅庭 龍吟庭(りょうぎんてい)」
 方丈北庭
 28個の石庭が置かれた、東西に細長い平庭の枯山水庭園
 室町時代の作庭
 大海を表わす杉苔の中に、中央の三尊石の石組は須弥山(しゅみせん)を表わされる
 中央は、東に向けて強く傾斜した立石
 その手前に「遥拝石(ようはいせき)」と称される水分石(みずわけいし)があり、「枯滝石組(かれたきいしぐみ)」といわれる

 <龍吟庵
 「清光苑」
 「龍吟」をイメージして、龍が、入り組んだ砂紋が描かれた二色の砂による雲間から顔を出している姿が表現されている枯山水庭園
 重森三玲の作庭

 <両足院
 方丈の東南におかれる枯山水の庭園
 三尊石組や、須弥山など、力強い立石が特徴

 <霊雲院
 縮小蓬莱式枯山水庭園(国の史跡国の名勝
 書院の南の庭園
 狭い敷地に、枯滝と蓬来山水の構成を兼ねた石組
 室町時代相国寺慈雲庵の子建西堂(法号、是庵)の作庭といわれる

 <霊雲院
 「臥雲の庭」
 書院の西庭
 渓谷に流れる川の流れと、山腹に湧く雲を表現しているとされる枯山水庭園
 「九山八海の庭(霊の庭)」
 書院の南庭
 庭の中央に須弥山を現す石塔「遺愛石」が配された枯山水庭園
 重森三玲により復元されたもの

 <鹿王院
 日本で最初の平庭式の枯山水庭園といわれる
 背後には嵐山を望む借景庭園
 舎利殿前に三尊石など一群の石組みが置かれ、前面には苔地が広がる

【枯山水庭園の主な要素】

 <白砂>
 ほうきで白砂に「砂紋」と称される波やうねりなどの水景が描かれる
 敷砂によって土埃や雑草を防いだりもされる
 比叡山から大文字山あたりの山系の花崗岩が風化して川の水で運ばれてきたもの
 白川などの川床から採取され「白川砂砂」と称される
 昭和三十年代頃からは、原石の花崗岩を採掘、破砕して生産されるようになる
 現在では、原石も採石禁止となっている

 <石組>
 仏教の世界観が表現され、常世の繁栄や長寿が祈願される
 須弥山、九山八海や、蓬莱山や鶴亀、釈迦三尊・阿弥陀三尊・不動三尊などを三石を用いて表される

 <苔>
 敷かれた白砂や石組みの中に苔が自生したもの

 <躑躅(ツツジ)
 石組みの代わりにツツジ等の刈り込みが用いられることもある

【その他】

 <作庭記
 平安時代に書かれた日本最古の庭園書
 寝殿造の庭園に関する意匠と施工法が記されている
 絵図は全くなく、すべて文章で書かれている


【京都検定 第1回3級】

34.龍安寺について、次のことは正しいかどうか?
(イ)有名な枯山水庭園は、「虎の子渡し」とも称されている

【京都検定 第4回3級】

【京都検定 第5回3級】

【京都検定 第6回3級】

【京都検定 第1回2級】

【京都検定 第6回2級】

【京都検定 第7回2級】

【京都検定 第3回1級】

【京都検定 第6回1級】

【京都検定 第9回1級】


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