平家物語(へいけものがたり)は、鎌倉時代文学の代表作
治承・寿永年間(1177年〜1184年)の源平動乱からの、平家の栄華と滅亡を叙事詩的に描いた軍記物語
和漢混淆文で書かれ、平易で流麗な名文といわれている
平曲として琵琶法師によって語り広められ、
平家物語には、法然上人により唱えられていた浄土信仰や無常観も表されており、
一の谷や壇ノ浦で討たれて散った平家の公達(きんだち)への鎮魂歌だともいわれる
<冒頭部分>
祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし
たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ
要約
祗園精舎の鐘の音には、
諸行無常(この世のすべての現象は絶えず変化していくもの)という響きがある
沙羅双樹の花の色は、
どんなに勢いが盛んな者でも必ず衰えるものであるという道理を表している
権力を得て高慢になっている者も、その栄光はずっとは続かず、春の夜の夢のようである
勢い盛んな者も、結局は滅び去り、風に吹き飛ばされる塵と同じようである
<あらすじ>
平安時代末期
保元の乱・平治の乱を制した平家は、後白河法皇の絶大なる信頼を背景に、
勢力を拡大し、一時は、日本国60余州の半分を制した
平清盛は、「平家にあらずば人にあらず」と高言し、平家の横暴な振舞いが重なり人々の人気も次第になくなっていく
皇家をも手中にしようとし、後白河法皇も我慢ならず、源氏の再興を促す事となる
平清盛は、孫の安徳天皇の誕生を喜ぶなか、平清盛の暴走を抑えてきた長男 平重盛が亡くなり、
抑制する者がいなくなった平清盛は、多くの公卿を更迭し、後白河法皇まで軟禁する事態になる
これに反発する者が絶えず、唯一都に残っていた源氏の源頼政が以仁王(もちひとおう)を担いで叛乱を企てるが失敗する
平清盛は、強引に福原遷都(神戸)を行い、東大寺・興福寺を焼き払う
東国では、源頼朝が反旗の兵を挙げ関東を制圧し、平家の討伐軍を富士川で破る
信濃でも、源氏の木曽義仲が挙兵する
平清盛が熱病で亡くなり、三男 平宗盛が継ぐが、あまり有能ではなかったといわれる
北陸から、倶利伽羅谷の戦いを征した木曽義仲が京都に迫り、
平家は京都を捨てて安徳天皇と三種の神器を持って西国に流浪する
入京した木曽義仲も、傍若無人な振舞いをし、後白河法皇とも対立していき、
源頼朝が京都に侵攻し、木曽義仲を討つ
都落ちした平家は、この騒ぎで勢力を回復し、一の谷(神戸の近く)に拠点を築いていく
源頼朝は弟 源範頼・源義経を総大将に平家討伐軍を組織し、一の谷の拠点を制圧し、
平家は、屋島(高松付近)に落ち伸びる
後白河法皇は、一の谷で捕虜にした平重衡と三種の神器の交換を持ち出しますが決裂し、
源範頼を総大将に討伐軍が結成され、瀬戸内海で平家の軍を破るが、
追い討ちをかけることなくその場にとどまってしまう
代って、源義経が、討伐軍総大将になり、悪天候を突いて渡辺(大阪)から四国に上陸し、
屋島の平家を急襲し破る
源義経は、そのまま西に平家を追い、壇ノ浦で滅亡させる
そこで、入水した安徳天皇とともに、三種の神器の宝劒も水の中に沈んでしまう
源義経と源頼朝の対立が深まる中、源頼朝は厳しい対処を行い、平家の関係者の殆どが処刑されてしまう
安徳天皇とともに入水したときに助け出された建礼門院(安徳天皇の母親)(平清盛の娘)は、
大原で平家の菩提を弔いながら往生を遂げる
<宇治川>
源頼政、以仁王(もちひとおう)が叛乱を企てるが失敗し戦死したところ
<鴨川>
平家物語巻1に「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなはぬもの」と白河天皇が言ったことが記されている
<祗園>
平清盛の母親 祗園女御が住んでいたところ
<嵯峨野・祇王寺>
平清盛に寵愛を受けた祇王らが恋に破れ、尼僧として余生を過ごしたところ
<鹿ケ谷>
後白河法皇の側近で法勝寺執行の地位にあった俊寛僧都(しゅんかんそうず)の山荘があったところで、
藤原成親・西行らにより平家打倒の密議が行われたところ
<大原・寂光院>
平家滅亡後に出家した建礼門院が隠棲したところ
<浄禅寺>
源氏に平家討伐を決意させた文覚上人が、武士の時代に恋をし、自ら斬り殺してしまった袈裟御前の菩提のために創建された寺院
<嵯峨野・清閑寺>
平清盛の怒りを買い、高倉天皇から身を引いた小督局(こごうのつぼね)が隠れ住んだところ
<大将軍神社>
「平家物語」に記されている源頼政の鵺退治(ぬえたいじ)の伝説が残る
<平重衡塚>
平重衡が南都へ護送される途中で妻 大納言典侍との別れを惜しんだ地
<滝口寺>
平家物語の中に記されてる滝口入道と横笛との悲恋の舞台
<六波羅>
平清盛の邸宅があり、平氏政権の基盤となり栄華を極めた白河南の地
後に、源氏が京都での拠点である六波羅探題を置いたところ
平曲とは、琵琶法師(当道座に属する盲人の僧、検校など)によって琵琶を弾きながら語られた平家物語
叙事的な内容を、琵琶を用いて節を付けて語られる(歌われる)
「耳なし芳一」などが有名
琵琶法師の語りの技は、聴いている平家の亡霊たちの肉体を揺さぶり悲痛な叫びをあげさせるといわれる
このときに用いられる琵琶を「平家琵琶」と称し、小型のものが多く用いられる
八坂流・一方流の2つの流派があり、江戸時代に一方流の前田流が栄えた
1776年(皇紀2436)安永5年
荻野知一検校が前田流譜本を集大成して「平家正節(へいけまぶし)」を完成した
明治維新
当道座が幕府の庇護がなくなり解体され、伝承する者が激減する
現在、国の重要無形文化財として指定され保護されている