西陣織(にしじんおり)は、平安時代から発展してきた機織産業(はたおりさんぎょう)
西陣で織れないものはないといわれるほどの高度な織り技術を持っている
「西陣」とは、応仁の乱で、山名宗全(やまなそうぜん)らの西軍が、本陣を置いたことから名前が付けられた
京都市の市街地の北西部の上京区・北区あたり
北は上賀茂、南は丸太町通、東は烏丸通、西は西大路通に囲まれたあたり
(現在、「西陣」という行政上の町名はない)
<和宮の歌>
「空蝉の 唐織ごろも なにかせむ 綾も錦も 君ありてこそ」
14代将軍 徳川家茂が、京都上洛が決まり、正室 和宮は、お土産として西陣織をねだる
しかし、徳川家茂は大阪城で亡くなり、和宮には西陣織だけが届き、悲しみつつ歌を詠んだといわれる
<養蚕農家>
京都府内の養蚕農家は、福知山市に数戸残っているだけ
桑(くわ)の葉だけを食べさせる、伝統的な飼育法で上質の繭が生産されている
生産量は、年間約260kg
西陣の織道楽塩野屋(上京区千本通一条下ル)では、京都府内生産の繭100%の絹製品の製作を手がけている
<今宮神社の織姫神社>
西陣織業者により祀られている
<建勲神社境内社 義照稲荷神社>
古くより秦氏の守護神であり、西陣織の祖神とされる
応仁の乱では、西軍の陣が張られたところ
<東海道中膝栗毛>
「東海道中膝栗毛」には
「商人のよき衣きたるは他国と異にして、京の着だをれの名はますます西陣の織元よりいで、
染いろの花やぎたるは堀川の水に清く」と記されている
西陣織が全国的に知られ、「京の着倒れ(きょうのきだおれ)」という言葉があったことが分かる
<京都市考古資料館(旧西陣織物館)(京都市登録有形文化財)>
京都市上京区今出川通大宮東入元伊佐町
西陣織を陳列することを目的としていた
現在は考古資料の公開展示施設
1914年(皇紀2574)大正3年
本野精吾の設計、清水組の施工により建築された近代主義建築の先駆的建物
<西陣織会館(にしじんおりかいかん)>
京都市上京区堀川通今出川下ル竪門前町
西陣織の総合的なPR館
古い織物や機業の歴史資料展示、職人による実演やきものショーなどが行われている
<西陣織工芸美術館「松翠閣(しょうすいかく)」>
京都市上京区寺之内通智恵光院東入ル北側
西陣で織れないものはないといわれるほどの高度な織り技術を駆使して、
尾形光琳・円山応挙・葛飾北斎・琳派派・ゴッホ・ミレー・ルノワールなどの作品を
屏風・衝立・几帳などに精緻に織り上げ復元している
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