島原(しまばら)は、日本で最古の公許遊廊で、京都の六花街の一つ
現在は、西本願寺の西の地区にある
茶屋営業は行われていないが、
多くの文人に親しまれた角谷(すみや)は、「角谷もてなしの文化美術館(重要文化財)」として、
輪違屋も遺構が残っている
かしの式などの伝統的な行事も残っている
<島原大門(しまばらおおもん)(京都市指定建造物)>
公許遊廊島原の正門で、花屋町通に立つ
幅一間、本瓦葺、切妻の高麗門
1729年(皇紀2389)享保14年
堀と塀で囲まれていた島原地域の東辺北寄りに建てられた門
1766年(皇紀2426)明和3年
「道筋」と称されていた道の東端である現在の地に移される
1854年(皇紀2514)嘉永7年8月
島原地域一帯が火事にみまわれ、東側の大半が類焼し、門も焼失し、再建される
1867年(皇紀2527)慶応3年5月
現在の大門に建て替えられる
本柱上の屋根のほか後方の控柱上にも小屋根をのせた高麗型
建立当初は、冠木門(かぶきもん)であったといわれ、
その後、塀重門(へいじゅうもん)、さらに腕木門(うでぎもん)へと建て替えられた
門の前には、「出口の柳」が植えられており
「さらば垣」がめぐらされている
高麗門(こうらいもん)は、左右の控柱の上にも屋根がある門
冠木門(かぶきもん)は、冠木を二柱の上方に渡した屋根のない門
塀重門(へいじゅうもん)は、表門と庭との間にある塀に設けられ、左右に方柱があって笠木はなく、二枚開きの扉
腕木門(うでぎもん)は、二本の本柱を立てて冠木を差し、腕木および出し桁で屋根を支えた門
<揚屋 角屋(重要文化財)>
揚屋(あげや)は、太夫・芸妓などをかかえず、置屋(おきや)から芸妓等を呼んで宴会を催す場
建物は、揚屋建築唯一の遺構として重要文化財に指定されている
幕末には、西郷隆盛、桂小五郎、坂本龍馬などの勤王志士たちが軍用金調達のため、豪商を招いて会談を行っていた
現在は、「角屋もてなしの文化美術館」として一般公開もされている
<置屋 輪違屋(京都市指定有形文化財)>
置屋(おきや)は、太夫・芸妓などをかかえて、揚屋(あげや)や顧客の要望に応じて派遣をしていたところ
創業は、元禄年間(1688年〜1704年)
1857年(皇紀2517)安政4年
現在の建物が再建される
一階南半分の居室部分と、一階北半分と二階の客室部分
客室は、十数室あり、二階の「傘の間」と「紅葉の間」が主要な座敷
<島原の太夫(しまばらのたゆう)>
島原の遊女の最高位の者
容姿・茶道・華道・歌道・京舞・文学など、あらゆる教養を身につけていたといわれる
慶長年間(1596年〜1615年)
四条河原で六条三筋町の遊女が女歌舞伎を催したとき、すぐれた遊女を「太夫」と称したのが由来
寛永年間(1624年〜1644年)の名妓「吉野太夫」が有名
<太夫道中>
太夫が、置屋から揚屋へ内八文字を踏んで練り歩く様子
重さ45kgにもおよぶ豪華な衣装に身を包む
1971年(皇紀2631)昭和46年に16年ぶり
1999年(皇紀2659)平成11年11月に28年ぶり
2004年(皇紀2664)平成16年11月5年ぶりに、
嶋原商店街で太夫道中が行われる
<かしの式>
太夫が一人一人、お客と対面する「顔見せ」
太夫は、言葉をしゃべる事は許されず、仕種と立ち振る舞いとまなざしでアピールする