磯田多佳(いそだたか)(Taka Isoda)

明治時代の祗園甲部の芸妓で、茶屋「大友」の女将

生年:1879年(皇紀2539)明治12年
没年:1945年(皇紀2605)昭和20年
享年:67

父親:舞鶴田辺藩 武士 喜間太
母親:茶屋「大友」の女将
姉:祇園一力亭の女将 おさだ

本名:たか
別称:お多佳

 磯田多佳(いそだたか)は、明治時代の祗園甲部の芸妓で、茶屋「大友」の女将

 多くの文人や画家に愛され、「文芸芸妓」と称された

【磯田多佳の歴史・経緯】

【磯田多佳】

 <文芸芸妓>
 6歳のとき、井上八千代に入門し、芸を磨く

 上田重子、三輪貞信に和歌を学ぶ

 京舞、三味線、絵画和歌、俳句などを嗜む
 五月雨の句を得意としたといわれる

 「祇園歌人」の吉井勇、夏目漱石、谷崎潤一郎、高浜虚子長田幹彦、尾崎紅葉などの文人や、
 画家の藤田嗣治、横山大観、浅井忠などとの幅広い交流があり、「文芸芸妓」と称された


 夏目漱石は京都に4回訪れ、いくつもの小説の中で京都を描き、
 お多佳とも懇意にしており、「春の川を隔てて男女かな」という句を詠んでいる

 谷崎潤一郎の著書「磯田多佳女のこと」に記されている

【その他】

 <茶屋「大友(だいとも)」>
 東山区祇園新橋 白川沿いに営業していたお茶屋
 現在の白川南通はなく、お茶屋、置屋などが建ち並び、お茶屋は白川にせり出すように建てられていた
 「文芸芸妓」と称される女将の磯田多佳の交流から、戦前の文化サロンになっており、「文芸茶屋」とも称された
 第二次世界大戦の空襲に伴う災害を防ぐためと、戦後の区画整理などで多くの茶屋が撤去され、大友も撤去された

 <吉井勇の歌碑
 大友を偲んで、跡地に吉井勇の歌碑「かにかくに 祇園はこひし 寝るときも 枕の下を 水のながるる」が立てられている


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