京都通(京都観光・京都検定)百科事典京都の歌道(かどう)
905年(皇紀1565)延喜5年
我が国最初の勅撰和歌集「古今和歌集」を
醍醐天皇の勅命により、紀貫之(きのつらゆき)ら4人の撰者により編成が行われる
この頃から、漢詩の「紀伝道(文章道)」に対応して「うたのみち」が唱えられるようになる
<六歌仙>
僧正遍昭・在原業平・文屋康秀(ぶんややすひで)・喜撰法師・小野小町・
大友黒主(おおとものくろぬし)
その他著名歌人
紀友則・凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)・壬生忠岑(みぶのただみね)・平貞文(たいらのさだふみ)
<八代集>
天皇が勅命を出し国家事業として編集された勅撰和歌集のうち、「古今和歌集」以後の最初の八集
古今和歌集、後撰和歌集、拾遺和歌集、後拾遺和歌集、
金葉和歌集、詞花和歌集、千載和歌集、新古今和歌集
この間に優れた女流歌人が輩出する
伊勢(いせ)・和泉式部・紫式部・清少納言・赤染衛門・式子内親王(後白河天皇の皇女)・小式部内侍
京都の代表的な歌枕
化野(あだしの)・嵐山・大堰川・鳥部山・深草・小倉山など
師弟制度が始まり、六条源家・六条藤家・御子左家(みこひだりけ)などが創始されていく
歌壇では文芸至上主義の傾向が強まり、秘伝化・神秘化が行われていく
御子左家は、伝統主義を重視しつつ、実作品と理論で「歌道師範家」として家職を確立させていく
藤原為家の後に、その子孫が、京極派・二条派・冷泉家の三派に分裂する
京極派・二条派の宗家は、室町時代なると相次いで断絶するが、二条派は、門人らによって継承されていく
二条派には、「古今和歌集」所収和歌の解釈に関する秘説が「古今伝授」として、師から弟子に秘かに継承される
古今伝授は、神秘性から中世歌壇における最高の秘伝として権威付けられた
東常縁・飯尾宗祇・三条西実枝・細川藤孝(幽斎)・智仁親王らが、古今伝授の代表的な継承者とされる
<幽玄体(ゆうげんたい)>
西行(さいぎょう)、藤原俊成(ふじわらのとしなり)
<有心体(うしんたい)>
藤原定家(ふじわらのさだいえ)が、晩年、古代以来の秀歌を集めた「小倉百人一首」の選定を手掛ける
<二十一代集>
新古今和歌集以降の勅撰和歌集を総称したもので、13集ある
勅撰和歌集「八代集」の最後の和歌集「新古今和歌集」の6人の撰者
藤原定家、源通具、六条有家、藤原家隆、飛鳥井雅経、寂蓮
古今伝授(こきんでんじゅ)を伝える細川幽斎
豊臣秀吉の甥 木下長嘯子(きのしたちょうしょうし)
平安四天王の一人 小沢蘆庵(おざわろあん)
桂園派(けいえんは)の中心 香川景樹(かがわかげき)
女流 大田垣蓮月
松尾芭蕉の高弟 服部嵐雪(はっとりらんせつ)
京都で生まれた、すばらしい和歌や俳句などの作品を歌碑として、あちこちで見ることができる
室町時代初期に流行した、複数の作家により作られる詩
連歌は、17音(5−7−5音)からなる詩行と、14音(7−7音)からなる詩行を、
参加者が交互に継ぎ足していき、通常100行の詩を完成させる
格調の高く、美意識が踏襲され、古典の故事を引用しながら詩句を作るのが作法とされていた
また、第1行目には季語を入れるのが作法であった
室町時代後期に流行したユーモアな連歌
生活感のある事柄を題材として用いてパロディ化した愉快性を持ち、語呂合わせが多用される
連歌同様、第1行目には季語を入れるのが作法
連歌や俳諧の第1行目は「発句」と称される
俳諧の発句だけを独立した作品として発表する例も見られるようになり、俳句の起こりとなる
連歌や俳諧の第1行目に季語を入れる作法が踏襲された
<著名な俳人>
松尾芭蕉
向井去来
江戸時代前期に活躍した松尾芭蕉の門人で蕉門十哲の一人
嵯峨野小倉山山麓に隠棲した草庵「落柿舎(らくししゃ)」で俳諧道場を開く
高浜虚子