<本殿(国宝)>
平安時代後期(1060年頃)に建立されたもので、現存する最古の神社建築の遺構
<拝殿(国宝)>
鎌倉時代前期の宇治離宮を移築したものといわれ、寝殿造の遺構
<根本中堂(国宝)>
東塔にあり、最澄が建立した一乗止観院の後身で、全山の総本堂である
現在の建物は、織田信長による焼き討ちの後、
1642年(皇紀2302)寛永19年に徳川家康によって再建されたもの
正面をコの字に取り囲む回廊(重要文化財)も、同時期に建設される
<五重塔(国宝)>
本堂に向かって左側に建つ
裳階付、高さ17.1m、初重総間2.7m
鎌倉時代 1214年(皇紀1874)建保2年
貞慶の弟子である慈心上人覚真(藤原道房)が、貞慶の一周忌供養に建立する
屋外にある木造五重塔で国宝・重要文化財に指定されているものとしては、室生寺五重塔に次いで日本で二番目に小さいもの
初層の内部には心柱がなく、四天柱(仏壇周囲の4本の柱)に支えられた初層天井の上に心柱が立てられている
裳階(もこし)をもつ五重塔は、海住山寺以外では斑鳩の法隆寺に存在するだけの貴重なもの
あざやかな朱塗りの柱が山並みに映える
<本殿(国宝)、権殿(国宝)>
1863年(皇紀2523)文久3年の再建
<客殿(国宝)>
床の間には、宮本武蔵作の「鷲の図」や、襖絵「竹林図」がある
慶長11年(1606年)の建立
<本殿と石の間、拝殿、楽の間(国宝)>
いずれも八ツ棟造の代表事例
<本堂(国宝)>
1633年(皇紀2293)寛永10年
徳川家光の寄進によりに再建される
「清水の舞台」として著名
「懸造(かけづくり)」、あるいは「舞台造」と称される構造で、崖の上にせり出た檜板張り(ひのきいたばり)の舞台があり、
高さ13mの欅の柱(けやきのはしら)139本で支えられている
観音菩薩が補陀洛山(ふだらくさん)に現われるという「観音経」に基づいた造りといわれる
屋根は寄棟造、檜皮葺きで、正面(南面)左右に入母屋造の翼廊が突き出し、外観に変化を与えている
<銀閣(国宝)>
かつて山荘東山殿の池庭に点在した建物の一つの観音殿で、足利義政の祖父である3代将軍 足利義満が
創建した金閣と対比されて称される
正式名称:東山山荘観音殿
現存する東山殿の遺構で貴重なもの(もう一つが東求堂(とうぐどう)のみ)
重層方形造で、平面的には長方形で正面8.2m、奥行7.0m
東向きの二層の楼閣
初層の心空殿(しんくうでん)は、和様の住宅風
上層の潮音閣(ちょうおんかく)は、観音像を安置する禅宗様仏堂
書院造が取り込まれており、東山文化の代表的建築物
庭には多くの名石、名木が配され、建材にも贅を尽くされている
<東求堂(国宝)>
1486年(皇紀2146)文明18年の建立
現存する東山殿の遺構で、足利義政時代は、阿弥陀三尊を本尊とする持仏堂だった
方形の大きさは3間半四方の建物で、池に面した南向き
正面左は、方2間の仏間
書院造の初期形態として貴重なもの
右奥の東北の四畳半の室は、同仁斎(どうじんさい)と称する足利義政の書斎
北側の付書院(つけしょいん)と違い棚(ちがいだな)は、座敷飾として、現存最古の遺例
<石水院(国宝)>
鎌倉時代の建築で、入母屋造、柿葺き
後鳥羽上皇の学問所を下賜されたものといわれ、明恵上人の庵ともいわれる
外観は住宅風だが、本来は東経蔵(ひがしきょうぞう)として造られ、それを改造したものといわれる
春日・住吉の両神が合祀されている
<桂宮院本堂(国宝)>
境内の西側、塀で囲まれた一画にあり、聖徳太子像を祀る堂
法隆寺夢殿と同じ八角円堂であるが、建築様式的には純和様で檜皮葺きの軽快な堂である
通常は非公開だが、定期的に公開が行われている
<蓮華王院本堂(国宝)>
母屋正面の柱間の数が三十三ある南北約125mの長い建物
入母屋(いりおもや)、本瓦葺(ほんからわぶき)の総檜造
現在の建物は、1266年(皇紀1926)文永3年の再建
<表書院(国宝)>
桃山時代の書院造の代表的な遺構
庭園に面して、大玄関と純浄観の間に建つ
縁側に勾欄をめぐらし、西南隅に泉殿が作りつけてあり、平安時代の寝殿造りの様式の建物
各室に、狩野山楽や長谷川等伯一派の襖絵がある
<唐門(からもん)(国宝)>
門跡寺院として勅使を迎える時だけに扉を開いたといわれる勅使門
桃山時代の大胆な意匠の遺構
門全体が黒の漆塗り
門扉に、菊と桐の4つの大きな紋が彫られ、金箔が施されていた
<東本殿(国宝)、西本殿(国宝)>
江戸時代幕末
1863年(皇紀2523)文久3年の遷宮で建て替えられた
三間社(さんげんしゃ)の流造(ながれつくり)の古来の様式を継承している
<本堂(国宝)>
1107年(皇紀1767)嘉承2年の建立
9体の阿弥陀像が横一列に安置されていて、横に細長い堂である
平安後期に建てられた九体阿弥陀堂は、藤原道長の造営した法成寺無量寿院をはじめ、
記録に残るだけで約30棟あったとされるが、現存するものはこの浄瑠璃寺本堂のみであり貴重なもの
寄棟造りで、内部は天井を張らずに屋根裏の構造をそのまま見せた簡素なデザイン
<三重塔(国宝)>
1178年(皇紀1838)治承2年に
京都の一条大宮から移築されたものといわれるが、不明確
<薬師堂(国宝)>
907年(皇紀1567)延喜7年
醍醐天皇の御願により、理源大師 聖宝が建立
1124年(皇紀1784)保安5年の再建
上醍醐に現存する最古の建物で平安時代のままに残る
<清滝宮拝殿(せいりゅうぐうはいでん)(国宝)>
1434年(皇紀2094)永享6年にの再建
清滝宮は、弘法大師 空海が、唐 長安の青龍寺から勧請した密教の守護神を祀った醍醐寺の鎮守社
<五重塔(国宝)>
下醍醐にある、総高約38mの遺構
平安時代中期
951年(皇紀1611)天暦5年
朱雀天皇が、醍醐天皇の冥福を祈るために建立
京都府下で現存する最古の木造建築物
五重塔内部に描かれた壁画(国宝)の中に描かれている空海の肖像画は、空海が描かれた現存する最古のもの
<金堂(国宝)>
下醍醐にある醍醐寺の本堂
平安時代後期に建築されたもの
1600年(皇紀2260)慶長5年に、豊臣秀吉の発願により、紀州湯浅(和歌山県)の満願寺の本堂を移築したものといわれる
本尊薬師如来が安置される
大徳寺の塔頭
<方丈(本堂)(国宝)>
1509年(皇紀2169)永正6年の造営
日本最古の方丈建築で、住宅建築の大きな転換時期の遺構として大変貴重なものとされる
大徳寺山内で最古の建物でもある
<御影堂(みえいどう)(本堂)(国宝)>
宗祖 法然上人の御尊像(御影)が安置される
1639年(皇紀2299)寛永16年
3代将軍 徳川家光により再建されたもの
間口44.8m、奥行34.5mの壮大な建築
外観は、保守的な和様を基調としつつ、内部には唐様(禅宗様)の要素が取り入れられている
近世の本格的かつ大規模な仏教建築の代表例
<三門(国宝)>
1621年(皇紀2281)元和7年
徳川秀忠によって建てられる
五間三戸の二重門
「五間三戸」は、正面柱間が5つで、うち中央4間が通路になっているもの
「二重門」は、2階建てで、1階、22階の両方に軒の張りだしがあるもの
高さ24m、横幅50m、屋根瓦約7万枚で、現存する寺院の三門(山門)としては日本最大のもの
組物(軒の出を支える構造材)を密に並べるなど、細部の様式は禅宗様であり、禅寺の三門に似ている
日本三大門の一つ
平成の大修理で元和7年の墨書が発見されている
<金堂(国宝)>
現存の建物は1603年(皇紀2263)慶長8年に豊臣秀頼の寄進で再建されたもの
広大な空間の中に本尊の薬師三尊像が安置されている
<五重塔(国宝)>
現在の京都のシンボルとなっている塔
基壇礎石上から最高部の相輪頂(そうりんちょう)まで総高54.8mで木造塔としては日本一の高さを誇る
何度かの焼亡再建を繰り返し、現在の塔は5代目で、徳川家光の寄進で1643年(皇紀2303)寛永21年に上棟される
<大師堂(国宝)>
南北朝時代に建てられた住宅風の仏堂であり、空海の住房跡とされる「西院」といわれる一画にある
「御影堂」とも呼ばれ、寝殿造の面影を伝える数少ない遺構として知られる
1379年(皇紀2039)康暦元年の火災による焼失後、その翌年に再建される
堂の北半分(前堂(まえどう)は、弘法大師坐像(国宝)を安置するために1390年(皇紀2050)明徳元年に増築される
堂の南側(後堂(うしろどう)には、厳重な秘仏で非公開で空海の念持仏とされる日本の不動明王像としては
最古の不動明王坐像(国宝)が安置されている
<蓮花門(国宝)>
鎌倉前期の遺構
<三門(国宝)>
大仏様(天竺様)、禅宗様(唐様)、和様をたくみに組み合わせた建築様式
五間三戸二重門、入母屋造
「五間三戸」とは、正面の柱間が5つ、うち中央3間が通路になっているもの
「二重門」は、2階建ての門だが、「楼門」とは異なり、1階と2階の境目にも軒の出があるもの
創建当時の建物が焼失した後、
1384年(皇紀2044)元中元年/至徳元年に足利義持が再建に着手
1425年(皇紀2085)応永32年に完成したもの
1977年(皇紀2637)昭和52年に大修理が完成する
現存する禅寺の三門としては、日本最古のもの
上層には、釈迦如来と十六羅漢が安置される
山廊から階上へ上れば、壮麗な極彩色の世界が開かれる
楼上内部は二本の柱があるほかは広々として、
須弥壇(しゅみだん)中央に宝冠釈迦如来、左右に月蓋長者、善財童子、十六羅漢像が安置されている
<書院(国宝)>
1630年(皇紀2290)寛永7年頃に建立
南側の対面所と、背後の白書院からなる
三室からなる白書院は、公的な門主との対面の間
対面所、白書院とも畳を一部上げることで、能舞台に転化できる
<黒書院(国宝)と伝廊(伝廊)(国宝)>
門主の執務室所
ともに1657年(皇紀2317)明暦3年の造営
<飛雲閣(国宝)>
境内東南隅に位置する滴翠園(てきすいえん)内にある
聚楽第の遺構といわれ、桃山様式の建築
滄浪池(そうろうち)を臨む三層の楼閣
金閣、銀閣とともに「京都の三閣」と称される
初層は、招賢殿と八景之間と、池からの出入りを想定した舟入之間(ふないりのま)
二層は、三十六歌仙を描いた歌仙之間
三層は、摘星楼(てきせいろう)
<唐門(国宝)>
桃山様式の建築
1618年(皇紀2278)元和4年
元御影堂門だったものを現在地に移築して、彫刻を飾るなど改造される
通称「日暮門(ひぐらしもん)」と称され、伏見城の遺構といわれる
<北能舞台(国宝)>
1581年(皇紀2241)天正9年の造営
現在最古の能舞台で、白書院の北方の庭に建つ
<二の丸御殿(国宝)>
安土桃山時代の武家屋敷風書院造の代表的な遺構
1624年(皇紀2284)寛永元年から
徳川家光のための大改造が行われる
二の丸の中心的建造物で、東大手門から見て、正面の右斜め前方向に建つ
築地塀で囲まれていて、堀の南側に唐門がある
二の丸御殿は、玄関口の手前から順に、
・御車寄(おくるまよせ)、遠侍(とおざむらい)
・式台(しきだい)
・大広間
・蘇鉄之間
・黒書院(くろしょいん)(小広間)
・白書院(しろしょいん)(御座の間)
と称される6つの建物が、東南から西北にかけて斜めにずれたように雁行(がんこう)して建ち、廊下で結ばれて一体となっている
建物面積 3,300m2、部屋数 33、畳 約800畳
各部屋には、狩野探幽・狩野尚信・狩野興以による障壁画や襖絵が部屋の目的によって描かれ、絢爛豪華である
欄間の彫刻や、飾金具、長押(なげし)に打たれた花熨斗形(はなのしがた)の釘隠しなど、あざやかな金飾がほどこされている
廊下は、床板を踏むと音がする「うぐいす張り」になっている
「うぐいす張り」は、床板が踏まれると「目かすがい」が上下して釘がすれ合って音がするようになっている
書院では、将軍が対面を行う場所として、諸大名の席次が厳格に定められる
大広間の西側、黒書院の南側に、日本庭園がある
<金堂(国宝)>
1613年(皇紀2273)慶長18年に建立された皇居(京都御所)の紫宸殿を寛永年間(1624年-1644年)の復興の際に移築・改造したもの
近世の寝殿造の遺構として貴重なもの
宮殿から仏堂への用途変更に伴い、屋根を檜皮葺きから瓦葺きに変えるなどの改造が行われているが、
宮殿建築の雰囲気がよく残されている
鳳凰堂、中堂、左右の翼廊、中堂背後の尾廊の計4棟が「平等院鳳凰堂」として国宝に指定されている
<鳳凰堂(国宝)>
1053年(皇紀1713)天喜元年の建立
浄土式庭園の池の中島に東向きに建つ
阿弥陀堂の代表的な遺構
鳳凰堂(国宝)は、十円硬貨のデザインになっている
中堂の屋根上の金銅鳳凰(国宝)は、一万円札の図柄に採用されている
「鳳凰堂」と称されるようになったのは江戸時代からで、当初は「阿弥陀堂」「御堂」と称されていた
<中堂(ちゅうどう)(国宝)>
本尊の阿弥陀如来像(国宝)が安置される
入母屋造、裳階(もこし)付き
東側正面中央の扉を開放すると、建物の外からでも本尊阿弥陀如来のお顔が拝めるようになっている
阿弥陀如来の住する極楽浄土が西方にあると信じられており、
池の東岸(あるいは寺の前を流れる宇治川の東岸)から、向かい岸(彼岸)の阿弥陀像を拝するように意図されていたといわれる
中堂の屋根上には、1対の鳳凰像が据えられている
(現在屋根上にあるのは複製で、本物(国宝)は別途保管されている
<阿弥陀堂(国宝)>
鎌倉時代
1226年(皇紀1886)嘉禄2年の創建
方五間(正面、背面、両側面の柱間の数がいずれも5間)の堂の周囲に1間の裳階(もこし)が巡らされている
屋根は、宝形造で檜皮葺き
内陣の柱や長押上の小壁に、創建当時の絵画が残っている
<茶室 待庵(国宝)>
1582年(皇紀2242)天正10年
第三世の功叔士紡(こうしゅくしぼう)が茶人であったことから、千利休がよくこの妙喜庵を訪れていた
羽柴秀吉(豊臣秀吉)が明智光秀を討つために構えた山崎の地の陣中に、千利休を招いて二畳隅炉の茶室 待庵)を作らせた
その後に、解体されて妙喜庵に移されたといわれる
待庵は、わが国最古の茶室建造物で、千利休の現存する遺構として唯一の茶室
<庫裏(国宝)>
庫裏は寺院の台所兼事務所の役割を果たす建物で、豊臣秀吉が行った千僧供養に集まった千人もの僧の食事を準備した台所
入母屋造で、大棟上のほか、左側屋根上にも小棟を出して煙出しが設けられている
内部は土間、板間、座敷の3部分に分かれ、土間と板間部分は天井板を張らず貫や梁などの構造材を
そのまま見せた豪快な造りになっている
近世の庫裏は、居住機能も持つが、妙法院の庫裏は、調采喫飯(ちょうさいきっぱん)の場として限定されている
桃山時代の豪華な建物の遺構
<書院(国宝)>
四畳半台目茶室 密庵席(みったんせき)
江戸時代前期の寛永年間(1624年〜1644年)の創建
小堀遠州の作といわれる
床、付書院、違い棚、張付壁があり、書院造様式
密庵床
密庵禅師の墨蹟を掛けるために造られたといわれる書院床(付書院がある床)