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浄土真宗(じょうどしんしゅう)
JyoudoSinSyuu

浄土系の仏教

宗祖:親鸞(しんらん)

本尊:阿弥陀如来

「一向宗」とも称する

 浄土真宗(じょうどしんしゅう)は、鎌倉時代初期、法然の弟子 親鸞(しんらん)が、法然の教え(浄土宗)を発展させて作った仏教の日本独自の宗派

【浄土真宗の教義】

 <絶対他力>
 浄土真宗では、ただ念仏(南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)を称えれば、阿弥陀仏の本願力(ほんがんりき)の働きによって、悪人を含む全ての人が浄土へ往生できて成仏できるとする絶対他力が唱えられる

 <阿弥陀如来>
 本尊となる阿弥陀仏は、西方極楽浄土を仏国土とする仏である

 <阿弥陀堂と御影堂>
 浄土真宗の本山には、阿弥陀仏を安置する本堂(阿弥陀堂)と、宗祖 親鸞を安置する御影堂がある

 明治時代まで、妻帯の許される仏教の宗派は浄土真宗のみだけであった
 親鸞は、僧として公に初めて妻帯し子供をもった

 他の宗派と比べ多くの宗教儀式にとらわれないことから庶民に広く受け入れられたが、
他の宗派からはかえって反発を買い「門徒物知らず」などと称された

 親鸞も、法然の教えを「真宗(真の宗教)」と称して継承するが、
本願や念仏に対する解釈の違いから、浄土宗西山派などからの批判を受け
浄土宗からの離脱を余儀なくされ「真宗」と称した

 <教行信証(きょうぎょうしんしょう)
 親鸞聖人が著した、浄土真宗の立教開宗の根本聖典
 「無量壽經」を唯一の根本聖典とし、教・行・信・証・真仏土・化身土の構成で、この世での往生成仏が体系的に説かれている
 現存する親鸞聖人の唯一の真筆の書

【浄土真宗の歴史・経緯】

 1262年(皇紀1922)弘長2年11月28日
 浄土真宗の開祖 親鸞聖人が、三条富小路の善法坊で90歳をもって入滅
 (現在、見真大師遷化旧跡の石碑が立つ)

 1272年(皇紀1932)文永9年
 親鸞聖人の末娘の覚信尼(かくしんに)が、住んでいた現在の東山区林下町(知恩院三門北の崇泰院あたり)に大谷廟堂(おおたにびょう)を営み、親鸞聖人の遺骨を安置する

 1312年(皇紀1972)正和元年
 親鸞の曾孫の覚如(かくにょ)は、内紛のため破壊されていた大谷廟堂を一族で独占し寺院化し「専修寺」と称する
 しかし、その後、比叡山衆徒の抗議により、「本願寺(大谷本願寺)」と称する
 親鸞聖人の影像を安置している寺院を「本願寺」とされる
 本願寺の守護をする留守職(るすしき)の後継者を尼の子孫と定め血脈相続を築き、覚信尼から、覚恵、覚如が受け継ぎ
 覚如は、本願寺3世と称する

 これに対して、法脈7世 了原など親鸞の法脈は、佛光寺や専修寺などを起こして本願寺に対抗する

 覚如の後、善如、綽如、巧如、存如と続き
 1457年(皇紀2117)長禄元年
 存如の長男 蓮如が本願寺8世を継ぐ
 存如の妻 如円尼は、実子の蓮照に継がせようと図ったが、存如の弟 如乗の支持で蓮如が継ぐことになる

 室町時代
 京都は、大飢饉と土一揆と騒然としており、
 本願寺8世の蓮如は、「講」と称する組織を作り、民衆が学び団結できる場を提供する
 蓮如は、親鸞の教えを分かり易く短い言葉にまとめて信徒に教えたため、本願寺は爆発的に発展し、「一向宗」と称されるようになる
 大教団に成長した浄土真宗は、天台宗比叡山 延暦寺を強く刺激する

 1465年(皇紀2125)寛正6年
 大谷本願寺が、比叡山の僧兵によって破壊される

 1478年(皇紀2138)文明10年
 蓮如が、山科へおもむき、翌年1月に本願寺の造営に着手する

 1483年(皇紀2143)文明15年
 山科本願寺として御影堂、阿弥陀堂、寝殿など諸堂が完成
 山科本願寺の周辺に多数の民家が営まれ、寺内町が形成される

 1489年(皇紀2149)延徳元年
 蓮如が、第9世 実如に山科本願寺を譲る

 1497年(皇紀2157)明応6年
 大坂の坊舎(大坂御坊)が完成して、蓮如の隠居所とする

 1499年(皇紀2159)明応8年
 蓮如が病状を悪化させ、山科本願寺に戻り、入寂する

 戦国時代
 戦国大名の門徒禁圧
 蓮如が、応仁の乱の当該者 細川政元と親交があったことや、
 講での信者の団結力に、現体制に不満を持つ土豪などが加わり、「一向一揆」と称される一揆が各地で起こるようになり、諸大名から禁圧を受け一向宗の禁教令が出される

 1504年(皇紀2164)永正元年
 相模(現在の神奈川県)の後北条氏は、50年間にわたって領内の浄土真宗を禁止する

 1506年(皇紀2166)永正3年
 近畿、北陸、東海で、本願寺の門徒が一斉に蜂起する

 1521年(皇紀2181)永正18年
 越後(現在の新潟県)の長尾氏は、本願寺の門徒を禁圧する

 1525年(皇紀2185)大永5年2月2日
 第9世 実如が、68歳で入寂する

 1532年(皇紀2192)天文元年
 細川晴元を支援し、近畿の門徒2万人が動員され畠山氏を敗る

 同年8月
 一向宗の武力を恐れた細川晴元は、京都の日蓮宗徒らと結託し、近江の六角定頼との連合軍により山科本願寺を焼き討ちし滅ぼす
 本願寺は、大坂石山の坊舎(大坂御坊)へ移り、大阪石山本願寺となる

 1553年(皇紀2213)天文22年
 上杉謙信は、京都への通路を確保するため本願寺と和解する

 1554年(皇紀2214)天文23年8月13日
 第10世 証如が、39歳で入寂する

 1556年(皇紀2216)弘治2年
 朝倉氏との間で講和が成立する

 1559年(皇紀2219)永禄2年
 第11世 顕如が、門跡に列せられる

 1563年(皇紀2223)永禄6年
 三河(現在の愛知県)の本願寺門徒と徳川家康との間で争いが起こり、翌年に和睦するが、
 徳川家康は、領国内の本願寺の門徒を20年間禁圧する

 薩摩(現在の鹿児島県)の島津氏は、明治時代初期まで浄土真宗を禁止する

 1570年(皇紀2230)元亀元年9月
 石山合戦
 将軍 足利義昭と対立し三好氏を攻めていた織田信長は、一大勢力となっていた浄土真宗の本拠地であり、かつ西国への要所でもあった大阪石山からの退去を命じる
 顕如は、織田信長の陣営を攻撃し、これに呼応して各地の一向宗も蜂起する

 1581年(皇紀2241)天正9年3月
 10年間続いた合戦は、織田信長が天皇の仲介の和議を承諾し、本願寺が武装解除し顕如が大阪石山を出て行くことで終結する
 顕如は、紀伊鷺森に寺基を移転し紀伊鷺森本願寺とする
 石山本願寺の堂舎はすべて焼き払われる
 石山合戦の終結をめぐり、顕如と長男 教如の意見が対立

 1583年
 石山本願寺跡地を含む一帯に、豊臣秀吉によって大坂城が築かれる

 1583年(皇紀2243)天正11年
 宗祖 真影を奉じて、和泉の貝塚にある石山本願寺の末寺であった寺(のちの願泉寺)に移り、貝塚本願寺とする

 1585年(皇紀2245)天正13年5月
 豊臣秀吉から寺地の寄進を受けて、大坂の天満に移り、大阪天満本願寺となる
 8月には阿弥陀堂が建てられ、翌年の8月に十間四面の御影堂が落成する

 1591年(皇紀2251)天正19年
 豊臣秀吉から再び京都の寺地の寄進を受け、現在の場所(下京区堀川六条)に移転し、京都本願寺として御影堂と阿弥陀堂とが完成する

 1592年(皇紀2252)天正20年11月24日
 第11世 顕如が、50歳で入寂する
 顕如の長男 教如(きょうにょ)が継ぐが、譲状によって、教如は隠退し、准如が本願寺12世を継ぐ

 1602年(皇紀2262)慶長7年
 徳川家康は、教如に京都本願寺の東(烏丸七条)へ寺地を寄進する

 1603年(皇紀2263)慶長8年
 教如は、常陸(現在の茨城県)妙安寺から宗祖の木像を迎え、御堂を建立して安置され、東本願寺として別立する
 これにより本願寺教団の門徒は、顕如の三男 准如の西(現在の本願寺派)と、長男 教如の東(現在の大谷派)に分裂し、以降の争いが続くことになる
 これまでの京都本願寺は「西本願寺」と通称されるようになる

 江戸時代初頭
 廟堂は、東山五条坂西大谷に移り現在の「大谷本廟」となっている

 幕末維新
 京都を守る新撰組の本拠地ともなる

 明治維新
 新政府による神仏分離令(廃仏毀釈)の下で、大教院の管理下におかれる
 後に欧州遊学から戻った島地黙雷による政教分離の方針を受け、東西本願寺は大教院体制から離脱する

 明治政府の要請に応え、北海道や鹿児島などの未開地への浄土真宗の布教や、
朝鮮、台湾などのアジアやハワイ、北米など海外への開教が行われる

  日清戦争から第二次世界大戦中
 浄土真宗の教義を戦時体制に合わせた戦時教学が確立され、信徒らが戦時体制に組み込まれていった
 軍隊慰問として従軍布教使が戦地等へ派遣され、兵士に対して戦意を鼓舞する布教が行われる

 1949年(皇紀2609)昭和24年
 蓮如上人450回忌が行われる

 1962年(皇紀2622)昭和37年
 親鸞聖人700回忌大遠忌が行われる

【浄土真宗の宗派】

 親鸞の血脈を継ぐ東本願寺西本願寺の2派と、門弟の流れを継ぐ8派がある

 明治維新後の宗教再編時
 現在の浄土真宗本願寺派のみ「浄土真宗」として、他は「真宗」として宗教登録されている

 浄土真宗本願寺派 本願寺(西本願寺) (下京区) 末寺約10,000
 真宗大谷派    真宗本廟(東本願寺)(下京区) 末寺約9800
 真宗興正派    興正寺      (下京区) 末寺約500
 真宗佛光寺派   佛光寺      (下京区) 末寺約400
 真宗誠照寺派   誠照寺      (福井県鯖江市)
 真宗山元派    證誠寺      (福井県鯖江市)
 真宗出雲路派   毫摂寺      (福井県武生市)
 真宗三門徒派   専照寺      (福井市)
 真宗高田派    専修寺      (三重県津市)
 真宗木辺派    錦織寺      (滋賀県野洲郡中主町)

【浄土真宗の寺院】

 岡崎別院 (おかざきべついん) (左京区) 東の別院 親鸞屋敷 岡崎御坊 姿見池
 北山別院 (きたやまべついん) (左京区) 西の別院 親鸞聖人の修業の場-御里坊 御聖水
 久遠院  (くおんいん)    (下京区) 佛光寺塔頭 中坊
 光薗院  (こうえんいん)   (下京区) 佛光寺塔頭 新坊
 光圓寺  (こうえんじ)    (下京区) 月輪本庄花園殿 親鸞聖人御入滅之地
 光久寺  (こうきゅうじ)   (下京区) 
 興正寺  (こうしょうじ)   (下京区) 真宗興正派本山
 光瀬寺  (こうせじ)     (東山区)
 高林庵  (こうりんあん)   (下京区) 佛光寺塔頭
 西宗寺  (さいしゅうじ)   (下京区) 
 西福寺  (さいふくじ)    (上京区) 豊臣秀吉妙顕寺城跡 閑院跡
 浄慶寺  (じょうきょうじ)  (中京区) 
 昌蔵院  (しょうぞういん)  (下京区) 佛光寺塔頭 角坊
 大行寺  (だいぎょうじ)   (下京区) 佛光寺の山内寺院 信暁学頭 大行寺型仏足跡
 大善院  (だいぜんいん)   (下京区) 佛光寺塔頭 南坊
 長覚寺  (ちょうかくじ)   (下京区) 僧 受珍
 長性院  (ちょうせいいん)  (下京区) 佛光寺塔頭 西ノ坊
 西大谷  (にしおおたに)   (東山区) 西の大谷本廟 大谷影堂 円通橋
 西本願寺 (にしほんがんじ)  (下京区) 飛雲閣 滴翠園 北能舞台 虎渓の庭 狩野了慶[松鶴図]
 東大谷  (ひがしおおたに)  (東山区) 大谷祖廟 東の飛地境内仏堂 親鸞の墓所
 東本願寺 (ひがしほんがんじ) (下京区) 徳川家康 教如 渉成園(枳殻邸)
 日野誕生院(ひのたんじょういん)(伏見区) 西の飛地境内 親鸞の生誕地 親鸞のへその緒[えな塚]
 伏見別院 (ふしみべついん)  (伏見区) 東本願寺の別院
 佛光寺  (ぶっこうじ)    (下京区) 真宗佛光寺派本山
 佛光寺本廟(ぶっこうじほんびょう)(下京区)浄土真宗本山佛光寺派の墓所 親鸞聖人
 明顕寺  (みょうけんじ)   (下京区) 佛光寺塔頭
 明福寺  (めいふくじ)    (中京区) 浄瑠璃一中節 都太夫一中
 養源院  (ようげんいん)   (東山区) 淀君 妹 崇源院が再建 血天井 俵屋宗達[獅子図][麒麟図][白象図] 小堀遠州の庭園
 了徳寺  (りょうとくじ)   (右京区) 大根焚寺 中風除け 親鸞の十字名号 蓮如の六字名号


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