地図情報
真如堂(しんにょどう)は、極楽往生の御利益として信仰を集めている寺院
正式名称の「真正極楽寺」とは、「極楽寺という寺院は多いが、こここそが正真正銘の極楽の寺院である」と
いう意味がある
「真如堂」とは、もともとは本堂の呼び名だった
涅槃の庭などが、紅葉の名所、萩の名所、桜の名所
三井家の菩提寺となっている
<本堂(重要文化財)>
<三重塔(法華塔)(京都府指定文化財)>
<鎌倉地蔵堂>
<鐘楼堂>
<石薬師堂>
<元三大師堂(京都府指定文化財)>
<石灯籠>
<開山堂>
<萬霊堂>
<千体地蔵堂>
<三千仏名堂>
<赤門(総門)>
<涅槃の庭>
<燈明寺型石燈籠>
<伝教大師巡錫之像>
<縣井観音堂(あがたいかんのんどう)>
<鎌倉地蔵>
<茶所>
<去来句碑>
<ヤマモモ(京都市指定巨樹名木)>
<菩提樹(ぼだいじゅ)(京都市指定巨樹名木)>
<大しゃしゃんぽ(京都市指定巨樹名木)>
<百日紅(さるすべり)(京都市指定巨樹名木)>
<立皮桜(たてかわざくら)(京都市指定巨樹名木)>
<花の木(はなのき)(京都市指定巨樹名木)>
<新長谷寺(しんはせでら)>
<赤崎弁天>
<法伝寺>
<元真如堂(もとしんにょどう)(換骨堂)(かんこつどう)>
<木造 阿弥陀如来立像(重要文化財)>
本尊
「うなずきの阿弥陀」と称される
慈覚大師 円仁が、阿弥陀仏が完成し「修行者のための本尊となって下さい」と、眉の間に白毫を入れようとすると、
阿弥陀が頭を横に振られたので、「それでは、山を下りて全ての人々の救済をして下さい。特に、女性をお守り下さい」と
嘆願すると、うなずかれたといわれる故事が残る
一木彫、像高108cm、平安時代の作
来迎形式の阿弥陀立像では最古の仏像
洛陽六阿弥陀めぐりの一つ
毎年11月15日にご開扉される
<法華経 自巻第二至巻第七 6巻(国宝)>
1183年(皇紀1843)寿永2年のもの
仏師・運慶の発願によって書写された法華経8巻のうちの一部
第一巻は亡失し、第八巻は個人により所蔵されている
第八巻の巻末奥書に記されている経緯によると、
安元年間(1175年〜1177年)に、運慶が、法華経書写を発願
1183年(皇紀1843)寿永2年
阿古丸の援助を得て書写が行われ、快慶や一門の仏師たちにより書写された
経文は、珎賀(ちんが)により著されている
巻軸には、書写の3年前の1180年(皇紀1840)治承4年に兵火で焼失した東大寺の焼け残りの木を用いたことが、
軸木の墨書に記されている
<大涅槃図>
縦6m、横4m
お釈迦さんが、死去されたときの様子を描いたもの
沙羅の木の元に、北に頭を向け、右脇を下にしたお釈迦さまが身を横たえ、その周りを菩薩・天部や弟子たちが囲んでいる
真ん中の上には、2月15日の満月が、
右上の雲には、お釈迦さまの生母 摩耶夫人が、知らせを受けて急いでやってくる様子描かれていまる
下部には、127種類の動物や魚類・昆虫などが描かれており、動物の種類の多さでは日本最多といわれる
猫も描かれており、動物や鳥たちが手向けの花をくわえている姿が描かれている
1709年(皇紀2369)宝永6年
三井家の女性たちの寄進により、海北友賢(海北派の画家)や厭求(浄土宗の高僧)によって制作されたもの
<絹本著色 普賢菩薩像(重要文化財)>
<紙本著色 真如堂縁起3巻(重要文化財)>
1524年(皇紀2184)大永4年の作
縁起が描かれた絵画
真如堂の記録だけではなく、応仁の乱や遣隋使の様子なども生々しく描かれている
文字は、後柏原天皇の勅筆とされる
1693年(皇紀2353)元禄6年頃
前年の火災などにより、危機感と、再建のための勧進目的のために、「真如堂縁起三冊本」などと
同じ時期に制作される
誰による描画・詞書かは不詳だが、原本を忠実に再現されている
原本は京都国立博物館に寄託されている
年に1度、毎年7月25日に行なわれる宝物虫払会で写本が公開される
<慈円僧正消息(重要文化財)>
<千手観音像>
<不動明王像>
<観経曼陀羅(かんぎょうまんだら)>
「観無量壽経」に記されている極楽浄土の世界などを絵解きのような形で忠実に表現したもの
奈良の当麻寺に天平時代に製作された同図があるところから、同様のものを「当麻曼陀羅」とも称される
阿弥陀如来が中心で説法しておられ、両脇や下部には浄土の世界をイメージする「十六観相」や、
ビンバサラ王夫妻とアジャセの物語、9つの極楽の世界の様子などが描かれている
江戸時代中期
本堂の大きさに合わせて、金糸などによる刺繍で製作され、三井家より寄贈されたもの
<寒山拾得>
狩野山雪の作
畳2畳分ほどある大きな絵画
寒山・拾得は中国 唐時代に実在していたといわれる脱俗的人物
天台山国 清寺に出入りして、僧侶たちの残した食べ物を竹筒に蓄えて食料としたり、
境内で叫び声をあげたり、唱歌諷誦し、僧たちに杖で追われると掌を叩きながら大笑いして去っていったといわれる
僧でも俗人でもなく、仏教の哲理や詩作には詳しかったといわれる
<釉貼花花卉鳳凰六耳壺>
15〜16世紀の中国福建省製の油壺
足利義政が、永代燈明油入れとして寄進されたもの
「汲めども尽きぬ真如堂の油壺」といわれ、富栄の様が語られたといわれる
<舎利塔>
後醍醐天皇の寄進
舎利(釈尊の遺骨)を、四天王が囲んで護持している
寄進のとき添えられた「御綸旨」には、
「仏舎利を真如堂の霊宝として、朝夕のお勤めを怠ることがないように」とのことが記されている
<洛陽六阿弥陀めぐり>
<初洛陽六阿弥陀めぐり> 1月15日
<涅槃会法要> 3月15日
<宝物虫払会> 7月25日
<引声阿弥陀経会> 10月14日〜16日
<十日十夜別時念仏会(じゅうにちじゅうやべつじねんぶつえ)> 11月5日〜15日
<観経曼陀羅公開> 11月
<除夜の鐘> 12月31日
<向井去来のお墓>
落柿舎から北へ約100mほど行った哲学の道近くの真如堂の路傍に
「去来」とだけ彫られた向井去来のお墓がある
落柿舎の北側にある弘源寺の墓苑には、遺髪を埋めた別野がある
<わらべうた>
「ああ真如堂(しんど) 飯(めし)黒谷(食ろうだに)
ここらでいっぷく 永観堂(ええかんどう) お茶漬けさらさら南禅寺(何膳じ)」
真如堂・金戒光明寺・永観堂・南禅寺が登場する
<町名>
応仁の乱以降、江戸時代中期に元の地に戻るまで、
京都市内を転々とすることになり、各地の町名に名残をとどめている
寺町今出川下ル:「真如堂突抜町」「真如堂前町」
一条西洞院:「元真如堂町」
烏丸二条:「真如堂町」
<映画「本能寺合戦」>
日本で最初の時代劇映画
1908年(皇紀2568)明治41年
真如堂を本能寺に見立てて撮影が行われた
<花供祖あられ(はなくそあられ)>
3月1日から31日まで、大涅槃図が一般公開されるときに授与されるお菓子
「お釈迦さんの鼻くそ 」ともいわれる
一年間、無病息災でいられるといわれる
正月飾りにされていた鏡餅が硬くなってしまうので、包丁であられ状に細かく切って、
黒砂糖や醤油などをまぶして炒ったことが由来といわれる
黒豆や大豆を一緒に混ぜて炒ることもある