京都通(京都観光・京都検定)百科事典六角堂(ろっかくどう)
地図情報
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頂法寺(ちょうぼうじ)は、本堂が六角宝形造(ろっかくほうぎょうつくり)であることから「六角堂」と称される寺院
平安時代より、庶民の信仰を集めていた
革堂(行願寺)が上京の町堂であり、六角堂は、下京の町堂として親しまれ、
町衆の生活文化や自治活動の中核となる役割を果たしていた
観音霊場の札所としても庶民の信仰を集め、門前町が発展し、洛中では有数の旅宿町として発展した
本堂の前にある「へそ石」は、京都の中心を表すといわれている
代々、池坊(いけのぼう)の宗家(華道宗家)が、六角堂の住職を兼ねる
江戸時代末までに、20回ほど焼失などしたが、
庶民の信仰を集める町堂として、その都度、再建されてきた
「京都御役所向大概覚書」によると、
朱印寺領1石と記されており、寺内に多聞院、不動院、住心院、愛染院などがあったが現存しない
<本堂>
六角宝形造(ろっかくほうぎょうつくり)
現在の建物は、1875年(皇紀2535)明治8年の再建
聖徳太子の持仏といわれる本尊 如意輪観音菩薩、聖徳太子像、毘沙門天立像(重要文化財)が安置されている
<太子堂>
境内の東北隅に立つ
聖徳太子の2才の頃の南無仏像が安置されている
<親鸞堂>
本堂の東にある
1201年(皇紀1861)建仁元年
親鸞聖人が29歳のとき、毎夜、比叡山を下りて、六角堂に百日参籠され、
夢中に四句を授かり浄土真宗を開かれたといわれる
夢のお告げを聞いておられる姿の「夢想之像」と、
六角堂参籠の姿を自刻されたといわれる「草鞋の御影」が安置されている
<要石(かなめいし)>
本堂の東側にあり、旧本堂の礎石といわれる
「へそ石」と称され京の中心地であるといわれる
<御幸桜(みゆきざくら)>
早咲きの桜
996年(皇紀1656)長徳2年
花山法皇が行幸され、西国三十三所観音霊場巡礼が始まったことで、
花山院 前内大臣(さきのないだいじん)がこの桜を見て
「世をいのる 春の始めの法(のり)なれば 君か御幸(みゆき)の あとはありけり」
と詠まれ、名付けられた
<一言願い地蔵>
少し首を傾けたお地蔵さん
悩んでおられるえわけではなく、参拝者の願いを叶えてあげようか、どうしようかと考えておられるといわれる
<聖徳太子沐浴(もくよく)の古跡>
池
<池坊専応口伝>
生け花発祥の地のモニュメント
池坊専応が、弟子に授けた花伝書「大巻伝(おおまきでん)」の冒頭の部分が刻まれている
「瓶に美しい花を挿すこと」と、池坊が伝える「よろしき面影をもととする」ことの違いが述べられている
<合掌地蔵>
参拝者の願いを手のひらに包み込んで、その願いが叶うように一緒にお祈りをされている姿
手を合わせ、その手に願いをささやきながら吹き込んで祈願する
<北向地蔵尊>
内裏(御所)を守護されるために、北を向いておられる
御所を守護されることは、人々の生活を守ることにつながるといわれる
<わらべ地蔵>
小さな子供を守護される
寝たり、立ったりしている姿は、それぞれ修行をされ禅定の姿で守護されている
<如意輪観音菩薩>
本尊
聖徳太子の持仏といわれる
<木造 毘沙門天立像(重要文化財)>
平安時代後期の作
像高102cm
<聖徳太子像>
江戸時代
下京の町堂として親しまれ、町衆の生活文化や自治活動の中核となる役割を果たし
祇園祭の山鉾巡行の順番を決めるくじ取り式が、六角堂で行われていた
現在のくじ取り式は、京都市役所で行われている