京都通(京都観光・京都検定)百科事典萬福寺(まんぷくじ)
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萬福寺(まんぷくじ)は、宇治市の北部寄り、宇治川の西にある寺院
中国 明から招聘された中国臨済宗の隠元隆g(いんげんりゅうき)禅師により開宗され、
建物、仏像などはすべて中国様式でつくられ、寺内で使われる言葉、精進料理、儀式の作法なども中国式で
日本の文化全体に大きな影響を与えたといわれる
6月下旬から蓮(ハス)の花の名所
日本の一般的な寺院建築とは異なり、中国 明の様式を伝える異国情緒あふれる伽藍構成になっている
総門は西向に建ち、伽藍全体が西を正面として建てられている
建材も南方産のチーク材が使われている
萬福寺の16棟と松隠堂の7棟の計23棟と回廊などが重要文化財に指定されている
上空から見ると、全山で龍を表すといわれる
<大雄宝殿(本堂)(重要文化財)>
1668年(皇紀2328)寛文8年の完成
入母屋造の一重裳階(もこし)付きの建物で、建物の前には白砂を敷いた「月台」がある
本尊釈迦三尊像と、十八羅漢像が安置されている
<法堂(はっとう)(重要文化財)>
1662年(皇紀2322)寛文2年の造営
一重入母屋造
<天王殿(重要文化財)>
1668年(皇紀2328)寛文8年の完成
一重入母屋造で、珍しく本堂の手前に建てられている
弥勒菩薩像の化身とされる布袋像、韋駄天像、四天王像が安置されている
<西方丈(重要文化財)>
創建時の1661年(皇紀2321)寛文元年の造営
<総門(重要文化財)>
1661年(皇紀2321)寛文元年の建立
瓦屋根は、中央部分が高く左右が低くなった段差がある中国様式のものが使われている
屋根の上の左右には、摩伽羅(まから)という想像の生物が乗っている
鯱(しゃち)ではなく、鰭(ひれ)の代わりに足が生えている
<三門(重要文化財)>
1678年(皇紀2338)延宝6年の建立
三間三戸の二重門で、門の正面柱間が3間で、3間すべてが通路になっている
(日本の一般的な禅宗寺院の三門は「五間三戸」のものが多い)
<松隠堂(重要文化財)>
三門をくぐった左側(北側)の一画
隠元隆gが、住持を譲った後の隠居所として居住したところ
没後は、開山塔院となる
1663年(皇紀2323)寛文3年
隠元隆gの帰依者から寄付された屋敷を萬福寺に移築されたもの
開山堂、舎利殿、客殿、通玄門、寿蔵、庫裏、侍真寮などの建物が建つ
上記の7棟はいずれも重要文化財
<東方丈(重要文化財)>
<斎堂(重要文化財)>
<伽藍堂(重要文化財)>
<祖師堂(重要文化財)>
<鐘楼(重要文化財)>
<鼓楼(重要文化財)>
<禅堂(重要文化財)>
<祠堂(重要文化財)>
<大庫裏(重要文化財)>
<威徳殿(重要文化財)>
<売茶堂>
煎茶道を創始した茶聖 売茶翁高遊外(ばいさおうこうゆうがい)(月海元昭(げっかいげんしょう)を記念して建てられる
<布袋像>
都七福神めぐりの布袋尊
天王殿に安置されている
この像は来日していた明の仏師 范道生の作である
<黄檗の三筆>
開山 隠元隆gと弟子の木庵性とう(もくあんしょうとう)、即非如一(そくひにょいち)の書
いずれも唐様書道の達人だったといわれる
<魚板>
斎堂(食堂)の前に吊り下げられ、時間を知らせるために叩かれていた巨大な木製の魚
「木魚」のもとになったといわる
<紙本著色 隠元和尚像(重要文化財)>
元規の筆
隠元による自題あり
<五百羅漢図8幅(重要文化財)>
池大雅の筆
<紙本淡彩西湖図4幅(重要文化財)>
池大雅の筆
<西湖図4幅(重要文化財)>
池大雅の筆
<虎渓三笑図8幅(重要文化財)>
池大雅の筆
<瀑布図4枚(重要文化財)>
池大雅の筆
<波涛図1面(重要文化財)>
池大雅の筆
<絖本淡彩 観音図 1帖(18図)(重要文化財)>
陳賢の筆
崇禎九年の款記、隠元の題字と賛がある
<蛍放生会(ほたるほうじょうえ)>
6月中旬
打楽器に合わせ中国風の読経「梵唄(ぼんばい)」が唱えられ、約1000匹のホタルが放生池に放たれる
2005年(皇紀2665)平成17年より行われる
当日は、夜間特別拝観も行われる
<月見の夕べ>
9月下旬
煎茶八流派の茶会が催される
<普茶料理>
黄檗宗独特の中国風の精進料理で、萬福寺や周囲の塔頭でおもてなしされる
開山 隠元隆g(いんげんりゅうき)は、インゲンマメや、孟宗竹、スイカ、レンコンなども中国からもたらしたといわる
<全日本煎茶道連盟本部>
煎茶文化の拠点になっている