寂光院(じゃっこういん)(JyakkouIn)

正式名称:玉泉寺(ぎょくせんじ)

所在地:京都市左京区大原草生町   地図情報

天台宗の尼寺

山号:清香山(せいこうざん)

本尊:六万体地蔵尊

開基:聖徳太子

開山:玉照姫(慧善比丘尼)

別称:御閑居御所(ごかんきょごしょ)・高倉大原宮(たかくらおおはらぐう)・万両寺

神仏霊場会第105番、京都第25番

 寂光院(じゃっこういん)は、大原の里の一番西奥、翠黛山(すいたいざん)の麓にある尼寺寺院

 天台宗の玉泉寺の子院であった

 平清盛の娘 建礼門院が、平家滅亡後に隠棲した「平家物語」のゆかりの寺院

 2月は椿、6月中から沙羅花の名所


【寂光院の歴史・経緯】




【寂光院の伽藍】

 <本堂>
 桃山時代頃の建築の特色を残しているといわれた建物
 2000年(皇紀2660)平成12年5月9日未明に、不審火の火災で焼失
 2005年(皇紀2665)平成17年6月の再建
 焼け残った木組みや部材を入念に調査され古式通りに忠実に復元され、5年の歳月を経て落慶した
 ヒノキ材で屋根は木柿葺
 正面3間奥行3間で正面左右2間、側面1間は跳ね上げ式の蔀戸で内側障子戸

 焼失前の本堂の
 内陣および柱は、平家物語当時の様式を改修のたびに正確に残しながら後世に伝えられたもの
 内陣四隅の柱は推古式で、柱上部には葡萄唐草が描かれていた
 天井は折上格天井になっていた
 外陣は、豊臣秀頼が片桐且元を工事奉行として修理させた桃山様式のもの

 <紅葉坂(もみじさか)>
 入口から山門までの66段の石階段

 <山門>
 檜皮葺
 江戸時代の建立

 <書院>
 2000年(皇紀2660)平成12年の創建

 <庭園>
 本堂前西側の心字池・汀の池(みぎわのいけ)・千年の姫小松・苔むした石・汀の桜(みぎわのさくら)など、「平家物語」当時のまま残る
 書院北庭園は、四方正面の池がある池泉回遊式庭園
 三段の滝は、「玉だれの泉水」と称される
 滝の高さと角度が異なり、それぞれが異なった滝音の音色が、一つに調和するように石組されている

 <汀の桜(みぎわのさくら)>
 本堂前の汀の池のそばに立っている
 「池水に汀の桜散り敷きて 波の花こそ盛なりけれ」(後白河法皇)(「平家物語」大原御幸)
 後白河上皇が、隠棲していた建礼門院を訪ねたときに詠んだ歌

 <千年姫小松(御神木)>
 本堂前の汀の池のそばに汀の桜と寄り添うように立っていた五葉松
 樹高15mほどで、樹齢数百年になる樹だった
 2000年(皇紀2660)平成12年の不慮の火災で被災し、伐採され、御神木として祀られている

 「池のうきくさ 浪にただよい 錦をさらすかとあやまたる
    中嶋の松にかかれる藤なみの うら紫にさける色」(「平家物語」大原御幸)
 「ひめ小松一千年のおん姿 歴史の重さ今につたえん」(寂光院32世院主 滝澤智明)

 <雪見灯籠(ゆきみどうろう)>
 本堂に向かって右手前にある置き型の鉄製灯籠
 豊臣秀頼が本堂を再建したときに、伏見城から寄進されたものといわれる
 宝珠・笠・火袋・脚からなる
 笠は、円形で降り棟がなく、軒先は花先形になっている
 火袋は、側面を柱で5間に分かれ、各面に五三の桐文を透し彫りされている
 上方に欄間をもうけられ格狭間(ごうざま)の煙出とし、1面を片開きの火口扉とされている
 円形台下に猫足三脚が付いている

 <四方正面の池>
 本堂の東側にある池
 北側の背後の山腹から水を引き、三段に分かれた小さな滝がある
 周囲を回遊できるようになっている
 四方のどこから見ても正面となるように周りに植栽が施されている

 <建礼門院御庵室跡>
 本堂の北奥にある
 建礼門院が隠棲していたといわれる庵跡
 御庵室跡の右手奥に、建礼門院が使用したという井戸がある

 <諸行無常の鐘楼>
 本堂の正面の池の汀にある
 「諸行無常の鐘」と称する梵鐘がかかっている
 鐘身に、黄檗宗16世 百癡元拙の撰文による、1752年(皇紀2412)宝暦2年2月の鋳出鐘銘がある
 鋳物師は、近江国栗太郡高野庄辻村在住の太田西兵衛重次

 <茶室「孤雲(こうん)」>
 南の庭の茶室、勾欄付、書院造、貴人席
 南に付書院のある6畳の茶室、東に3畳間、1畳の出窓の水屋がある
 墨跡床は1畳の畳床、床柱は北山杉しぼり丸太、琵琶床、三角の明り取りの窓、襖は雲の地模様、引手は日と月
 天井は木曽桧に胡粉、濡縁は屋久杉、水屋天井に竹
 床下を水が流れている

 1929年(皇紀2589)昭和4年
 昭和天皇大典のの悠紀殿、主基殿に用いられた部材が寂光院に下賜され、それをもとに茶室が造られる
 数寄屋大工 岡田永斎が手掛けた
 1931年(皇紀2591)昭和6年3月
 裏千家14代無限斎千宗室により献茶式が行われ、茶室開きが行われる

 名前の由来は、建礼門院のもとを訪れた後白河法皇が、粗末な御庵室の障子に貼られていた色紙のなかに、
「笙歌遥かに聞こゆ孤雲の上 聖衆来迎す落日の前」(大江定基)とともに、
「思ひきや深山の奥にすまひして 雲居の月をよそに見んとは」という建礼門院の歌を御覧になって一行が涙されたということにちなむ

 <鳳智松殿(ほうちしょうでん)>
 宝物殿
 2006年(皇紀2666)平成18年10月の開館
 寂光院に伝わる「平家物語」ゆかりの文化財等が展示されている

 <建礼門院大原西陵>
 寂光院の門前の手前の石畳の陵墓小道を登って行った奥の高台にある建礼門院の陵墓
 五輪塔が祀られている
 もともと境内地にあっが、現在は、宮内省の管轄になっている
 三千院の北にある後鳥羽天皇と順コ天皇の「大原陵」に対して「西陵」と称される

 <阿波内侍墓石>
 建礼門院御庵室跡の草生川をはさんで向かいにある墓地
 阿波内侍・大納言佐局・治部卿局・右京大夫・小侍従局ら建礼門院の侍女たちのものといわれる
 五輪の塔3基と宝筐印塔1基、いくつかの墓石がある

 <朧(おぼろ)の清水>
 参道の途中にある井戸
 建礼門院が朧月夜に井水に姿を映し、やつれ果てた自らの姿を見て身の不運を嘆いたといわれる
 歌枕にもなっている
 「ひとり澄む おぼろの清水 友とては 月をぞすます 大原の里」(寂然)

 <翠黛山(すいたいざん)>
 寂光院の背後の山

 <翠羅の垣(りょくらのがき)>
 谷の林のことを称する


【寂光院の寺宝】

 <木造 地蔵菩薩立像(重要文化財)>
 旧本尊「六万体地蔵尊菩薩」
 聖徳太子の作とも、1229年(皇紀1889)寛喜元年の作ともいわれる
 像高256cmで、日本一とされる
 彫眼で、吊り袈裟、右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠を掲げ持つ
 胎内に17個の桐箱内に木造の3417体(像高5から17cm)が納められており、体外に3210体が納められていた
 他に願文、法華経、香袋、連珠、木の実、刀子、横笛、宗銭、厨子入り地蔵などが納められていた
 2000年(皇紀2660)平成12年5月9日
 不審火の火災で焼損し、財団法人美術院において修理を施され、無事だった像内納入品とともに、収蔵庫に安置されている

 <木造 地蔵菩薩立像>
 本尊
 ヒノキ材の寄木造、像高256.4cm
 顔、肌は白く塗られ、衣は極彩色、光背などは金色に彩色復元されている
 2005年(皇紀2665)平成17年の完成
 財団法人 美術院国宝修理所によって3年半をかけて、旧本尊の姿を忠実に模して制作された

 <建礼門院木像>
 本堂正面左奥に安置されていた
 ヒノキ材の寄木造、像高69cm
 1215年(皇紀1875)建保3年
 建礼門院の妹 冷泉大納言隆房の北の方により造仏された
 2000年(皇紀2660)平成12年に焼失し、復元されて安置されている

 <阿波内侍の張子像>
 ヒノキ材の寄木造、像高69.5cm
 建礼門院が造られたもの
 高倉天皇、平家一門、建礼門院、女官の写経などを集めて貼られ、
 安徳天皇形見の御衣の菊華模様布地や、建礼門院自らの麻の衣を纏っていた
 2000年(皇紀2660)平成12年に焼失し、復元されて安置されている

 <六字名号髪繍>
 建礼門院の髪を用いて刺繍にしたといわれる
 「南無阿弥陀仏」の字、水瓶に挟まれた獅子などが織り込まれている

 <絹本著色 不動明王三童子像>
 不動明王と三童子が描かれている珍しいもの
 南北朝時代の作



【寂光院へのアクセス】

 市バス/京都バス 大原 徒歩約15分


【京都検定 第1回3級】

13.平家滅亡後、出家した健礼門院が隠棲したと「平家物語」に記される大原の寺院はどこか?

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【京都検定 第9回3級】

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