鎌倉幕府が、中国 宋で禅刹に官制を導入して五山十刹による寺格を定めていたのを取り入れ、
臨済宗の主な5つの寺院を選んだ「五山」の寺格ができた
室町幕府では、「五山」を発展させて、五山・十刹・諸山・林下に区分される
その他の諸宗派も内部の序列、格式としての寺格が成立する
鎌倉時代後期
1299年(皇紀1959)正安元年
北条貞時(ほうじょうさだとき)が、南宋にならい、鎌倉の浄智寺を五山に数えたのが記録上残っている
建武年間(1334〜1338年)
後醍醐天皇による討幕で、五山も鎌倉から京都本位に改められていき
大徳寺が五山の上に格付けされ
建仁寺、東福寺も五山に列せられた
南北朝時代
1341年(皇紀2001)興国2年/暦応4年
足利尊氏が帰依していた夢窓疎石が中心となって京都の寺院から新たに五山が制定される
天龍寺が創建され、
第一に建長寺・南禅寺
第二に円覚寺・天龍寺
第三に寿福寺
第四に建仁寺
第五に東福寺
準五山に浄智寺となった
室町時代
1386年(皇紀2046)元中3年/至徳3年
3代将軍 足利義満が相国寺を創建し五山を改める
五山之上に南禅寺
第一に天龍寺・建長寺
第二に相国寺・円覚寺
第三に建仁寺・寿福寺
第四に東福寺・浄智寺
第五に万寿寺・浄妙寺
として、京都五山が鎌倉五山より優位とされた
僧録司制なども定めて住職の任命権なども掌握し、幕府の権限を発揮した