圓徳院(えんとくいん)(EntokuIn)



所在地:京都市東山区下河原通八坂鳥居前下ル下河原町530   地図情報

高台寺塔頭寺院

開基:木下利房(ねねの甥)

開山:三江紹益(高台寺

 圓徳院(えんとくいん)は、豊臣秀吉の正室 ねねの発願で創建された高台寺塔頭の一つ

 兄の木下家定の次男 木下利房により、木下家の菩提寺として創建される

 ねねは、豊臣秀吉の没後、思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を移築し、死去するまでの19年間を過ごした終焉の地

 ねねを慕って、大名、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家など多くの文化人が訪れたといわれる



【圓徳院の歴史・経緯】






【圓徳院の伽藍】

 <方丈>
 1994年(皇紀2654)平成6年
 解体修理が行われる

 <北庭(国の名勝)>
 1605年(皇紀2265)慶長10年の造営
 伏見城 北政所 化粧御殿の前庭を移した桃山時代の代表的な名園
 賢庭の作庭で、後に小堀遠州が手を加えたといわれる
 池泉回遊式の枯山水庭園
 東北部は、枯滝石組が構成されており、築山を中心にして左右に多数の石組を二等辺三角形にまとめていくつかの群をなし、
蓮菜石組を構成している
 数個の巨大な石で、池泉にかかる数個の橋としている
 多数の巨岩大岩が用いられている迫力のある珍しい庭で、桃山時代の豪華さ、豪胆さが現われている
 池には、ウマスギゴケの群落が広がる

 <南庭>
 徳村宗悦の作
 圓徳院の入り口付近に、コバノチョウチンゴケの群落があり、春には淡黄緑色の新枝が出る

 <歌仙堂>
 歌聖といわれる「長嘯子(ちょうしょうし)」と号した木下勝俊が祀られている
 木下勝俊は、木下定家の嫡男で、若狭藩主だった
 歌の才能に恵まれていたといわれる

 <唐門>

 <正門>
 木下利房以降、歴代藩主の墓が置かれ、木下家の屋敷となっていたため、正門も長屋門の様式になっている

 <檜垣の手水鉢(ひがきのちょうずばち)
 北書院脇の茶室の横にある手水鉢
 宝塔の笠を利用し、笠石を横にして、その面を凹字形に切り取り手水鉢とした珍しい形のもの
 笠石は、室町時代のものといわれる

 <秀吉公好み手水鉢>
 豊臣秀吉が西尾家にお世話になったお礼として贈った手水鉢
 唐門を入ったところにある
 西尾家は、今川善元の親戚にあたる
 後に、西尾家から圓徳院に寄贈された

 <石蕗(つわぶき)の花>
 唐門前に咲く



【圓徳院の寺宝】

 <三面大黒天尊天>
 大黒天毘沙門天弁財天の三つの顔を持った仏像
 豊臣秀吉が念持仏としたといわれる豊臣秀吉の出世守本尊
 福徳信仰の象徴となっている
 御堂は、京都御所から移築したものといわれる

 <紙本墨画山水図(かみほんぼくがさんすいず)(重要文化財)>
 方丈の襖絵
 桐形紋を一面に押した唐紙の襖に、水墨で描かれた非常に珍しいもの
 長谷川等伯の作
 大徳寺塔頭 三玄院の住職 春屋宗園に、客殿に襖絵を描くことを再々嘆願していたが許可されなかった長谷川等伯が、
住職が留守と知り客殿に駆け上がり、一気に描き上げてしまったといわれる
 全36面の襖絵のうち、「夏の絵」「冬の絵」など32面が圓徳院に所蔵されている

 <雪月花図襖>
 上間(じょうかん)の間の襖絵
 赤松燎の遺作となった襖絵「白龍」を弟子 志村正が、引き継いで制作したもの

 <松竹梅図襖>
 下間(げかん)の間の襖絵
 赤松燎の遺作となった襖絵「白龍」を弟子 木下育應が、引き継いで制作したもの

 <書翰(しょかん)>
 戦国武将の遺墨や書翰
 美しい辻が花染のきれで表装されている


【圓徳院の観光】

 <東山花灯路
 東山山麓の、北は青蓮院から知恩院円山公園八坂神社を通って南は清水寺までの散策路約4.6kmに露地行灯が約2,400基設置される
 圓徳院では、夜間特別拝観が行われ、北庭・南庭のなどのライトアップが行われる

 秋には夜間ライトアップが行われる紅葉の名所でもある

【圓徳院へのアクセス】

 市バス 東山安井


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