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大徳寺(だいとくじ)は、京都でも有数の規模を有する禅宗寺院
歴代多くの名僧を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、「大徳寺の茶面(ちゃづら)」と称される
境内には別院2ヶ寺、塔頭22ヶ寺が立ち並ぶ
秋は紅葉の名所
伽藍は、今宮神社と接している
勅使門から山門、仏殿、法堂が南北に一直線に並び、後方に庫裏、東に方丈が配される
禅宗寺院の典型的な伽藍配置
<方丈(国宝)>
1635年(皇紀2295)寛永12年
開祖 大燈国師 宗峰妙超の300年遠忌を記念して、豪商 後藤益勝の寄進により創建される
前後2列、左右4列の8室を持つ特異な形式(通常は、前後2列、左右2列の6室を並べる平面形式)
襖絵の83面は、すべて狩野探幽の作
雲門庵
向かって右から2列目の2室が、大燈国師の塔所(墓所)となっている
<玄関(国宝)>
1636年(皇紀2296)寛永13年
開祖 大燈国師 宗峰妙超の300年遠忌を記念して、豪商 後藤益勝の寄進により創建される
<唐門(国宝)>
「日ぐらしの門」と称される
桃山時代の聚楽第の遺構といわれる
華麗な装飾彫刻と彩色を持つ桃山建築
現在は、方丈前庭に建ち、明治時代中頃までは、勅使門の西にあった
豊国神社の唐門とともに国宝三唐門の一つ
<勅使門(重要文化財)>
山門前に建つ
前後唐破風、左右切妻、屋根桧皮葺の四脚門
1640年(皇紀2300)寛永17年
後水尾天皇により、内裏の門が下賜され移築されたもの
慶長年間(1596年〜1615年)に建立されたもの
2000年(皇紀2660)平成12年
屋根などが修復される
<三門(重要文化財)>
二層の門
千利休により「金毛閣(きんもうかく)」と称される
1529年(皇紀2189)享禄2年
連歌師 宗長(そうちょう)の寄進で、下層のみが竣工する
1589年(皇紀2249)天正17年
千利休が、上層を完成させる
千利休は、上層に自分の木像を安置したことから、「門を通る者に自分の下をくぐらせる」と豊臣秀吉の怒りをかい自決を責められた
<仏殿(重要文化財)>
応仁の乱で焼失
一休宗純により再建
1665年(皇紀2325)寛文5年
京の豪商 那波常有(なわじょうゆう)の寄進により改めて創建される
<法堂(はっとう)(重要文化財)>
応仁の乱で焼失
一休宗純により仏殿が再建されて、仏殿と兼用だった
1636年(皇紀2296)寛永13年
開山国師三百年遠諱にあたり、
小田原城主 稲葉正勝の遺志により、息子の稲葉正則により創建される
天井の雲龍図は、狩野探幽が35歳のときの筆
天井が、ゆるいドーム状になっており、手を叩くと天井が共鳴するため「鳴き龍」と称される
<浴室(重要文化財)>
<経蔵(重要文化財)>
<廊下(重要文化財)>
<寝堂(重要文化財)>
<庫裏(重要文化財)>
<侍真寮(たいしんりょう)(重要文化財)>
<鐘楼(重要文化財)>
<方丈庭園(国の史跡、特別名勝)>
方丈の南の庭園は、東南の隅に賀茂川の黒大石と、紀州の青大石を並べて滝口として、
その下に平石を置いて渓流をかたどったもの
東の庭園は、細長い枯山水庭園
<イブキ>
京都市の指定天然記念物
<大徳寺の茶面>
千利休の帰依を受けてから、茶道との関わりも深く、
三千家の菩提寺である「聚光院(じゅこういん)」など、ほとんどの塔頭に茶室があり、「大徳寺の茶面(ちゃづら)」と称される
<ミシュラン観光ガイドブック>
フランスのタイヤメーカのミシュラン社が発行する観光ガイドブックにおいて、大徳寺と枯山水庭園が三つ星の評価を得ている
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