地図情報
大覚寺(だいかくじ)は、皇室ゆかりの寺院であり、代々法親王が住職となった門跡寺院
総門から大覚寺まで約400mものびる直線の参道は、
鎌倉時代後期に、後宇多法皇が再興し院政を行っていたころは、
院家・参議・坊官・諸大夫などの邸宅が立ち並んでいた官庁街でもあった
嵯峨御所跡として、国の史跡に指定されている
10月中旬から、菊の花の名所、秋は紅葉の名所
<正寝殿(しょうしんでん)(客殿)(重要文化財)>
宸殿の北側にある
桃山時代の書院造の建物
御座所がある
12の部屋に分かれ、障壁画にちなんで名称がつけられている
主室である「御冠の間」は、後宇多法皇が院政を執った部屋で、執務の際に御冠を傍らへおかれていたことにちなみ、
帳台構の框(ちょうだいがまえのかまち)は、「嵯峨蒔絵」と称される
墨絵などの障壁画は、狩野山楽、狩野探幽らの作
「狭屋の間(さやのま)」の明り障子の腰板に描かれた「野兎図」は、いろいろなポーズの兎が描かれた愛らしい動物画
尾形光琳の作といわれてきたが、渡辺始興の作とされる
<宸殿(しんでん)(重要文化財)>
正寝殿の前方に建つ
1619年(皇紀2279)元和5年に宮中に造営された東福門院(後水尾天皇中宮)女院御所の宸殿を、
延宝年間(1673〜1681年)に下賜、移築されたもので、寝殿造の面影が見られる
襖絵は、狩野派の作
中でも、狩野山楽の筆とされる「牡丹図」(重要文化財)と「紅白梅図」(重要文化財)が著名
<五大堂(本堂)>
本尊 五大明王像が安置されている
<貴賓館(秩父宮御殿)>
貴賓館として下賜された秩父宮家の旧邸の遺構
<心経殿>
<御影堂(みえどう)>
<霊明殿(れいめいでん)>
<安井堂>
<庫裏>
<大沢池 附 名古曾滝跡(国の名勝)>
大沢池
境内の東側に位置する林泉式庭園
観月の名所
離宮 嵯峨院庭園の遺構で、嵯峨天皇が、中国の洞庭湖(どうていこ)を模して築造したものといわれる
日本最古の庭池とされている
京の三沢の一つ(大沢池・広沢池・平の沢池)
池の周りの染井吉野、山桜など桜の名所
庭湖石(ていこせき)
巨勢金岡(こせのかなおか)が立てたといわれる池の中の石
名古曾滝(なこそのたき)
大沢池のほとりにある滝で、離宮 嵯峨院庭園の遺構
大納言藤原公任の小倉百人一首
「滝の音は絶えて久しくなるぬれど 名こそ流れてなお聞こえけれ」に詠まれた名所
発掘調査結果に基づき、遣水(やりみず)が復元整備されている
<後宇多天皇宸翰御手印遺告(しんかんおんていんゆいごう)(国宝)>
「宸翰」とは、天皇自筆であることをいう
後宇多天皇(法皇)が、大覚寺の興隆を願って書きおいた遺言の自筆草稿で、紙面に天皇の手形が押されている
<後宇多天皇宸翰弘法大師伝(国宝)>
1315年(皇紀1975)正和4年に
真言密教に帰依した後宇多天皇が、自ら書いた弘法大師伝の自筆本
<木造 五大明王像(重要文化財)>
大覚寺の本尊
金剛夜叉明王・降三世明王・不動明王・軍荼利明王・大威徳明王
平安時代後期
円派(えんぱ)の仏師 明円(みょうえん)の作
現在は、収蔵庫に安置されている
1975年(皇紀2635)昭和50年
現在、本堂(五大堂)に祀られている五大明王像が、仏師松久朋琳により作られる
<障壁画116面(重要文化財)>
絢爛豪華な桃山時代を代表する作
大玄関の「松に山鳥図」は、狩野永徳の筆
宸殿の「牡丹図」「紅白梅図」、正寝殿の「松鷹図」「山水図」は、狩野山楽の筆
正寝殿の「雪景山水図」は、江戸時代の渡辺始興の筆
<勅封心経>
嵯峨天皇・後光厳天皇・後花園天皇・後奈良天皇・正親町天皇・光格天皇が写経されたもの
「心経写経の本山」「写経の道場」として心経信仰が盛んに行われていた
<華道祭>
4月15日
嵯峨天皇の命日
嵯峨天皇の遺徳を偲び、御宝前に献華する華道 嵯峨御流最大の儀式
<観月の夕べ>
9月中秋
<嵯峨菊展(さがきくてん)>
11月1日〜30日
大覚寺で栽培されている嵯峨菊が、約600鉢が公開される
嵯峨菊は、江戸時代に品種改良が行われた古典菊の一種で、日本三大菊の一つ
<華道嵯峨御流(さがごりゅう)>
嵯峨天皇に始まるという嵯峨御流の総司所
嵯峨天皇の命日には、華道祭が行われている
<さざれ石、「君が代」発祥の地>
平安時代初期
嵯峨天皇が、嵯峨院(現在の大覚寺)へ行幸の際、千代の古道を通り、
途中のさざれ石山(音戸山)山頂を休息の場所とされ、「さざれ石」と名付けたといわれる
「君が代」の発祥の地ともいわれる
<心経写経の本山>
嵯峨天皇が、疫病退散を願い一字三礼の誠をこめ般若心経を写経され、弘法大師が祈願したところ、
たちまちのうちに疫病が治まったといわれる
後光厳天皇・後花園天皇・後奈良天皇・正親町天皇・光格天皇なども写経され、
「心経写経の本山」「写経の道場」と称される
<千代の古道>
平安時代の貴族が北嵯峨に遊行のときに通った道
都から大覚寺に通じる小道でもあった
<嵐山花灯路>
大覚寺、大沢池のほとりに、愛宕古道街道灯しで使われた巨大堤灯が飾られる
京都嵯峨芸術大学の手作り
<大覚寺古墳群(だいかくじこふんぐん)>
大覚寺の東南の台地にある、古墳時代後期の4つの古墳
その一つの入道塚古墳は、開山の恒寂法親王(淳和天皇の皇子 常貞親王)の陵墓と推定される参考地となっている