大覚寺(だいかくじ)(DaikakuJi)


所在地:京都市右京区嵯峨大沢町   地図情報

真言宗大覚寺派大本山の寺院

山号:嵯峨山(さがざん)

本尊:五大明王(ごだいみょうおう)

創建:嵯峨天皇の皇女

開山:恒寂法親王(ごうじゃくほうしんのう)(淳和天皇の皇子)(嵯峨天皇の孫)

中興の祖:後宇多法皇

十三門跡寺院の一つ

国の史跡

通称:旧嵯峨御所(きゅうさがごしょ)、大覚寺門跡(だいかくじもんぜき)

 大覚寺(だいかくじ)は、皇室ゆかりの寺院であり、代々法親王が住職となった門跡寺院

 総門から大覚寺まで約400mものびる直線の参道は、鎌倉時代後期に、後宇多法皇が再興し院政を行っていた頃は、
院家・参議・坊官・諸大夫などの邸宅が立ち並んでいた官庁街でもあった

 嵯峨御所跡として、国の史跡に指定されている

 夏は百日紅、10月中旬から花の名所、秋は紅葉の名所


【大覚寺の歴史・経緯】





【大覚寺の伽藍】

 <総門跡>
 現在の一条通に、勅使門と同規模程度の門 があった

 <表門>
 木造切妻造本瓦葺、四脚門
 屋根には鬼瓦が置かれている
 江戸時代初期の建立

 <明智門>
 表門の横にある
 丹波亀山城より移築されたもの

 <式台玄関>
 木造入母屋造瓦葺
 正面に銅板葺きの唐破風があり、妻飾りは木連格子懸魚附き
 江戸時代の建立で、東福門院の女御御所 長局の一部といわれる
 玄関の部屋は「松の間」と称される
 正面北側に広大な2面の壁貼付、西側の襖6面、東側襖4面に金碧画の「松に山鳥図」が描かれている
 狩野永徳の筆とされる

 <正寝殿(しょうしんでん)(客殿)(重要文化財)>
 宸殿の北側にある
 桃山時代書院造の建物
 木造入母屋造桧皮葺
 御座所がある
 12の部屋に分かれ、南北に3列づつ、障壁画にちなんで名称がつけられている
 東列は、「剣璽の間」「御冠の間」「紅葉の間」「竹の間」、中央列は、「雪の間」「鷹の間」、西列は「山水の間」「聖人の間」を並べ、
その南と東に狭屋の間がある

 主室である「御冠の間」は、後宇多法皇が院政を執った部屋で、執務の際に御冠が傍らに置かれていたことにちなむ
 帳台構の框(ちょうだいがまえのかまち)は、「嵯峨蒔絵」と称される
 墨絵などの障壁画は、狩野山楽狩野探幽らの作

 「狭屋の間(さやのま)」の明り障子の腰板に描かれた「野兎図」は、いろいろなポーズの兎が描かれた愛らしい動物画
 尾形光琳の作といわれてきたが、渡辺始興の作とされる

 <宸殿(しんでん)(重要文化財)>
 正寝殿の前方に建つ
 木造入母屋造桧皮造、妻飾り・破風板・天井などに装飾が凝らされている
 廊下・広縁は全てうぐいす張りとなっている
 1619年(皇紀2279)元和5年に宮中に造営された東福門院後水尾天皇中宮)女院御所の宸殿を、
 延宝年間(1673〜1681年)に下賜、移築されたもので、寝殿造の面影が見られる
 襖絵は、狩野派の作
 中でも、狩野山楽の筆とされる「牡丹図」(重要文化財)と「紅白梅図」(重要文化財)が著名
 建物の前には、右近の橘、左近の梅がある

 <五大堂(本堂)>
 大沢池のほとりにある
 現在の大覚寺の本堂で、本尊 五大明王像が安置されている
 木造入母屋造瓦葺、正面5間・側面5間、正面には吹き抜けの広縁がある
 大沢池に面する東面には、池に張り出すように広いぬれ縁がある
 正面中央は双折桟唐戸、両脇各2間は蔀戸となっている
 天明年間(1781年〜1789年)の建立

 <貴賓館(秩父宮御殿)>
 1923年(皇紀2583)大正12年
 東宮仮御所であった霞ヶ関離宮に建てられた秩父宮家の旧邸
 1971年(皇紀2631)昭和46年
 大覚寺に下賜される
 1973年(皇紀2633)昭和48年
 移築復元され、貴賓館とされ、竣工式には秩父宮妃殿下が来られる

 <勅使門>
 木造切妻造銅瓦葺、四脚門、正面および背面に軒唐破風がある
 全体は素木造、唐破風の部分のみ漆を塗り、金鍍金の飾り装飾が施されている
 嘉永年間(1848年〜1854年)の再建

 <明智陣屋>
 木造切妻造本瓦葺
 明智門と同じく、丹波亀山城の一部といわれる
 切妻部分を正面とし、そこに瓦葺唐破風造りの差掛屋根が付けられ玄関となっている
 内部は天井を張らず、大寸の丸太で梁組され、西屋根に煙だしが付けられている

 <心経殿(勅封心経殿)(登録文化財)>
 鉄筋コンクリート造八角堂鋼板葺
 正面昇り階段と段上まわりには卍崩しの組子になった高欄がある
 内部は、大正天皇即位式用二条離宮(現在の二条城)の第1車寄せの用材が用いられている
 殿内には、嵯峨天皇・後光厳天皇・後花園天皇・後奈天皇良・正親町天皇・光格天皇の勅封心経が奉安され、
薬師如来立像が安置されている
 1925年(皇紀2585)大正14年
 後宇多法皇600年、後亀山天皇500年の御遠忌記念事業として、法隆寺の夢殿を模して建立された

 <御影堂(みえどう)(心経前殿)>
 心経殿の前殿
 木造入母屋造瓦葺
 1925年(皇紀2585)大正14年の建立
 大正天皇即位式場に建てられた饗宴殿を式典後に賜り、移築したもの
 内陣正面は心経殿を拝するため開けてある
 内陣左右に嵯峨天皇、秘鍵大師(弘法大師)、後宇多法皇、恒寂入道親王などの尊像が安置されている
 外陣は、70畳の広さがある

 <霊明殿(れいめいでん)>
 朱の漆塗り
 1928年(皇紀2588)昭和3年
 第30代内閣総理大臣 斎藤実が、昭和恐慌の自力更生を願って東京都沼袋に日仏寺を建立する
 1958年(皇紀2618)昭和33年
 大覚寺第52世 草繋全宜門跡が、日仏寺の本堂をここに移築して霊明殿とした
 本尊 阿弥陀如来と、その右側に草繋全宜門跡が祀られている

 <庭湖館(ていこかん)>
 大沢池の畔りに建てられた休憩所
 上段の間には、江戸時代の名僧 慈雲(ぐうん)の大幅掛軸「六大無礙常瑜伽(ろくだいむげじょうゆが)」が掛っており、
「六大の間」と称される
 江戸時代中期の建立
 1876年(皇紀2536)明治9年
 現在の地に移築される

 <安井堂>
 <庫裏>

 <大沢池 附 名古曾滝跡国の名勝
 境内の東側にある
 周囲約1kmの日本最古の人工の林泉式庭園
 観月の名所
 離宮 嵯峨院庭園の遺構で、嵯峨天皇が、中国の洞庭湖(どうていこ)を模して築造したものといわれる
 天神島・菊ケ島と庭湖石があり、この二島一石の配置が華道嵯峨御流の基本型に通じているとされる
 池の畔りには、茶室望雲亭、心経宝塔、石仏、名古曽の滝跡がある
 池の周りの染井吉野、山桜など桜の名所
 京の三沢の一つ(大沢池広沢池平の沢池

 庭湖石(ていこせき)
 巨勢金岡(こせのかなおか)が立てたといわれる池の中の石

 名古曾滝(なこそのたき)
 大沢池のほとりにある滝で、離宮 嵯峨院庭園の滝殿庭園内に設けられた遺構
 「今昔物語」では百済川成が作庭したものとされる
 大納言藤原公任の小倉百人一首
   「滝の音は絶えて久しくなるぬれど 名こそ流れてなお聞こえけれ」に詠まれた名所
 1994年(皇紀2654)平成6年から
 奈良国立文化財研究所による発掘調査で、遣水(やりみず)が発見され、復元整備されている

 <大沢池畔石仏>
 五大堂から大沢池の向こうに、20以上の石仏がある
 平安時代後期のもの

 <心経宝塔>
 大沢池の畔にある
 鉄筋コンクリート造多宝塔、朱塗り
 1967年(皇紀2627)昭和42年
 嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立された
 宝塔の基壇内部に如意宝珠を納めた真珠の小塔が安置されている
 宝塔内部には秘鍵大師(弘法大師)の尊像が安置されている

 <嵯峨流華道芸術学院>

【大覚寺の塔頭

 <覚勝院
 <祇王寺







【大覚寺の寺宝】

 <後宇多天皇宸翰御手印遺告(しんかんおんていんゆいごう)(国宝)>
 「宸翰」とは、天皇自筆であることをいう
 後宇多天皇(法皇)が、大覚寺の興隆を願って書きおいた遺言の自筆草稿で、紙面に天皇の手形が押されている

 <後宇多天皇宸翰弘法大師伝(国宝)>
 1315年(皇紀1975)正和4年に
 真言密教に帰依した後宇多天皇が、自ら書いた弘法大師伝の自筆本

 <木造 五大明王像(重要文化財)
 大覚寺の本尊
 金剛夜叉明王・降三世明王・不動明王・軍荼利明王・大威徳明王
 平安時代後期
 円派(えんぱ)の仏師 明円の作
 現在は、収蔵庫に安置されている
 1975年(皇紀2635)昭和50年
 現在、本堂(五大堂)に祀られている五大明王像が、仏師松久朋琳により作られる

 <障壁画116面(重要文化財)>
 絢爛豪華な桃山時代を代表する作
 式台玄関の東側襖4面にある金碧画の「松に山鳥図」は、狩野永徳の筆
 正面の壁貼付2面に、老松の巨幹が根を張り、山鳥のつがいがいる
 松の左右には楓が1本ずつあり、これが東西両側にも連続し、巨大な老松を主軸とする統一的構図法となっている
 宸殿の「牡丹図」「紅白梅図」、正寝殿の「松鷹図」「山水図」は、狩野山楽の筆
 正寝殿の「雪景山水図」は、江戸時代の渡辺始興の筆

 <勅封心経>
 嵯峨天皇・後光厳天皇・後花園天皇・後奈良天皇・正親町天皇・光格天皇が写経されたもの
 「心経写経の本山」「写経の道場」として心経信仰が盛んに行われていた

【大覚寺の行事】

 <華道祭
 4月15日
 嵯峨天皇の命日
 嵯峨天皇の遺徳を偲び、御宝前に献華する華道嵯峨御流最大の儀式

 <観月の夕べ
 9月中秋

 <嵯峨菊展(さがきくてん)>
 11月1日〜30日
 大覚寺で栽培されている嵯峨菊が、約600鉢が公開される
 嵯峨菊は、江戸時代に品種改良が行われた古典菊の一種で、日本三大菊の一つ


【その他】

 <華道嵯峨御流
 嵯峨天皇に始まるという嵯峨御流の総司所
 嵯峨天皇の命日には、華道祭が行われている

 <さざれ石、「君が代」発祥の地>
 平安時代初期
 嵯峨天皇が、嵯峨院(現在の大覚寺)へ行幸の際、千代の古道を通り、途中のさざれ石山(音戸山)山頂を休息の場所とされ、
「さざれ石」と名付けたといわれる
 「君が代」の発祥の地ともいわれる

 <心経写経の本山>
 嵯峨天皇が、疫病退散を願い一字三礼の誠をこめ般若心経を写経され、弘法大師が祈願したところ、
たちまちのうちに疫病が治まったといわれる
 後光厳天皇・後花園天皇・後奈良天皇・正親町天皇・光格天皇なども写経され、「心経写経の本山」「写経の道場」と称される

 <千代の古道
 平安時代の貴族が北嵯峨に遊行のときに通った道
 都から大覚寺に通じる小道でもあった

 <嵐山花灯路
 大覚寺、大沢池のほとりに、愛宕古道街道灯しで使われた巨大堤灯が飾られる
 京都嵯峨芸術大学の手作り

 <大覚寺古墳群(だいかくじこふんぐん)>
 大覚寺の東南の台地にある、古墳時代後期の4つの古墳
 その一つの入道塚古墳は、開山の恒寂法親王(淳和天皇の皇子 常貞親王)の陵墓と推定される参考地となっている







【大覚寺へのアクセス】

 市バス 大覚寺 徒歩約1分
 京都バス 大覚寺 徒歩約1分
 JR山陰本線(嵯峨野線) 嵯峨嵐山駅 徒歩約20分


【京都検定 第4回3級】

【京都検定 第5回3級】

【京都検定 第6回3級】

【京都検定 第7回3級】

【京都検定 第9回3級】

【京都検定 第12回3級】

【京都検定 第1回2級】

【京都検定 第3回2級】

【京都検定 第9回2級】

【京都検定 第10回2級】

【京都検定 第11回2級】

【京都検定 第2回1級】

【京都検定 第6回1級】

【京都検定 第9回1級】

【京都検定 第12回1級】


[インデックス]


京都通メンバページ

写真:表示/非表示

[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク