地図情報
知恩院(ちおんいん)は、浄土宗の宗祖 法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院
法然上人が、初めて教えを説いた念仏の聖地
江戸時代以降に、徳川家康、徳川秀忠、徳川家光の3代の将軍により
現在のような大規模な伽藍(約73,000坪)が建立された
徳川将軍家から庶民まで広く信仰を集め、京都の人々からは親しみを込めて「知恩院さん(ちよいんさん)」と呼ばれている
桜の名所、紅葉の名所
現在の知恩院の境内は、江戸時代になって、浄土宗の教えに帰依した徳川家によって整えられたもので
大小100棟以上の建物からなる
境内、約73,000坪
三門や塔頭寺院のある下段、
本堂(御影堂)など中心伽藍のある中段、
勢至堂、法然廟などのある上段の3つに分かれている
上段は、開創当初の寺域であり、
中段、下段の大伽藍は、江戸時代になって徳川幕府の全面的な援助で新たに造営されたもの
<御影堂(みえいどう)(本堂)(国宝)>
宗祖 法然上人の御尊像(御影)が安置されている
「大殿(だいでん)」と称される
一度に3,000人が参拝できる大建築物
1639年(皇紀2299)寛永16年
徳川三代将軍 徳川家光により再建されたもの
間口44.8m、奥行34.5m、周囲に幅3mの大外縁がめぐらされている壮大な建築
外観は、保守的な和様を基調としつつ、内部には唐様(禅宗様)の要素が取り入れられている
近世の本格的かつ大規模な仏教建築の代表例
外縁と本殿を区切る大扉の落とし金には、河童、亀など水に関係する意匠となっている
屋根上には、二枚の「葺き残しの瓦」がある
<三門(国宝)>
三解脱門(空・無相・無作)の意味を持つ
1621年(皇紀2281)元和7年
徳川二代将軍 徳川秀忠の寄進によって建てられる
入母屋造、本瓦葺、五間三戸二階二重門、山廊付き
「五間三戸」は、正面柱間が5つで、うち中央4間が通路になっているもの
「二重門」は、2階建てで、1階、2階の両方に軒の張りだしがあるもの
高さ23.8m、横幅50m、1階桁行26.6m、屋根瓦約7万枚
現存する寺院の三門(山門)としては日本最大のもの
組物(軒の出を支える構造材)を密に並べるなど、細部の様式は禅宗様であり、禅寺の三門に似ている
日本三大門の一つ
仁和寺の「二王門(重要文化財)」、南禅寺の「三門(重要文化財)」とともに京都三大門
興正寺の本堂、日光の本廟とともに、日本三建築の一つとも称せられる
平成の大修理で、1621年(皇紀2281)元和7年の墨書が発見されている
上層部(楼上)内部は、仏堂となっている
須弥檀中央に釈迦牟尼仏像、その左右に須達長者と善財童子、脇壇に十六羅漢像が安置されている
天井や柱、壁などには、天女や飛龍が極彩色で描かれている
扁額「華頂山」は、霊元天皇御宸筆の勅額
<阿弥陀堂>
御影堂の西側に建つ
高さ2.7mもある本尊 阿弥陀如来坐像が安置される
扁額「大谷寺」は、後奈良天皇の宸筆の勅額
知恩院第二世 勢観房源智上人によって勢至堂の前に創建される
1710年(皇紀2370)宝永7年
現在の地に移築される
1910年(皇紀2570)明治43年に再建される
<法然上人御廟(ごびょう)(京都府指定文化財)>
勢至堂の背後、知恩院の一番東の奥にあり、法然上人の分骨が安置されている
知恩院で最も重要な根本聖地
宝形造、方三間、本瓦葺
周囲には唐門のある玉垣がめぐらされており、
「雲に龍」「桐に鳳凰」「梅に鶯」「雲に麒麟」「松に鶴」「桜に鳥」「牡丹に鳳凰」など桃山様式の華麗な彫刻が施されている
1613年(皇紀2273)慶長18年
常陸国土浦城主 松平伊豆守の寄進により再建される
1710年(皇紀2370)宝永7年
知恩院第43世 圓理上人が、参拝のために拝殿を建て増した
<拝殿(京都府指定文化財)>
御廟の手前にある法然上人の御廟を参拝するための建物
1710年(皇紀2370)宝永7年の再建
檜皮葺
毎月25日の法然上人の命日には、別時念仏会が行われる
<勢至堂(せいしどう)(旧御影堂)(重要文化財)>
境内東側の小高い場所にあり、法然上人の住房のあった終息の地
法然上人が死去されるまで、念仏の御教えを自ら広められた大谷禅房の故地であり、知恩院発祥の地
「本地堂知恩教院(ほんじどうちおんきょういん)」とも称される
当初は、本堂(御影堂)であったが、現在の御影堂が建立されて御尊像が移された
鎌倉時代の作の本尊 勢至菩薩坐像(重要文化財)が安置されている
勢至菩薩を本尊とするところはほとんどなく、法然の幼名が「勢至丸」でもあり
法然を勢至菩薩の生まれ変わりとして法然の本地仏として造立されたものといわれる
1530年(皇紀2190)享禄3年の再建
知恩院で最も古い建物
入母屋造、七間四面単層、本瓦葺、桁行21m、梁行20m
扁額「知恩教院」は、後奈良天皇の宸翰で、「知恩院」の名前の起源とされる
<濡髪大明神(ぬれがみだいみょうじん)>
勢至堂の奥の墓域にある
御影堂が建設されるときに、住まいを追われた白狐が、住持 應譽霊巌上人の雨中に法話を聞いて改心し、
知恩院を火災から守る誓いとして、上人より貸された傘を御影堂に返したのが「忘れ傘」といわれる
縁結びの神様として、良縁成就が祈願される
<大鐘楼(重要文化財)>
1678年(皇紀2338)延宝6年
知恩院第38世玄誉万無上人のときの建立
高さ約3.3m、口径約2.8m、厚さ約30cm、重さ約70tの日本最大級の銅鐘が吊るされている
東大寺、方広寺のものとともに日本三大名鐘の一つ
1636年(皇紀2296)寛永13年の知恩院第32世 雄誉霊巌上人のときに鋳造されたもの
当初、何度も鐘を吊る環が重さに耐えかねて壊れていたところ
刀匠 正宗・村正兄弟が、参詣したときにこの事を聞き、精魂込めて鋳造し大鐘を吊るすことができたといわれる
除夜の鐘は、親綱1人・子綱16人の17人で撞かれる
<大方丈(おおほうじょう)(重要文化財)>
洛中随一の名書院とされる
徳川将軍家の公務に用いられたもの
1641年(皇紀2301)寛永18年の建立
二条城の寛永行幸ののち、城内の殿舎を移したものといわれ、禅宗寺院の方丈とは異なり、豪壮な宮殿風のたたずまい
54畳敷の鶴の間、上・中・下段の間、松の間、梅の間、柳の間、鷺の間、菊の間、竹の間、武者隠しの部屋がある
それぞれ狩野派による金碧障壁画で飾られている
「鶴の間」奥の仏間には、快慶の作といわれる本尊 阿弥陀如来像が安置されている
<小方丈(こほうじょう)(重要文化財)>
大方丈の後方に建つ
徳川将軍が上洛されたときに宿泊されるところで、洛中随一の名書院とされる
1641年(皇紀2301)寛永18年の建立
二条城の寛永行幸ののち、城内の殿舎を移したものといわれ、禅宗寺院の方丈とは異なり、豪壮な宮殿風のたたずまい
正面22m、奥行き19m、入母屋造、6室からなる
各部屋が狩野派の水墨山水画で飾られ、淡彩で落ち着いた雰囲気を持つ
江戸時代初期の書院造の室内装飾の完成型といわれる
<方丈庭園(京都市の名勝)>
「心字池」と称される広い池があり、東山の裾を築山の代わりに使った雄大豪華な借景式回遊式庭園
方丈再建時に作られたといわれる
小堀遠州と縁のある僧 玉淵坊(ぎょくえんぼう)の作庭
<二十五菩薩の庭>
小方丈の東側の前庭
知恩院所有の国宝「阿弥陀如来二十五菩薩来迎図」を石と植木で表現した庭
石で阿弥陀如来と二十五菩薩を表し、サツキの低い植木で来迎雲が表現されている
<慈鎮坐禅石(じちんざぜんせき)>
「和尚石(かしょうせき)」とも称される
方丈庭園の池畔にある
大きさ1.3mほどの平石
天和年間(1681年〜1684年)
三門前から、京都所司代 稲葉丹後守により、現在の場所へ移されたといわれる
慈鎮は、慈円の諡号
慈円は、関白 藤原忠通の息子で、藤原兼実の弟、天台座主を4度も務め、歌人でもあった
<権現堂(ごんげんどう)>
正式には「権現様影堂」と称する
小方丈の奥に建つ小さな仏堂
知恩院と浄土門のために外護者となって現在の伽藍の基礎を築いた徳川家康・徳川秀忠・徳川家光の
三代の位牌と肖像画を祀る
1974年(皇紀2634)昭和49年
火災で焼失していたが、現在の建物が、浄土宗開宗800年を記念して再建される
茶室「葵庵」がある
<山亭>
大方丈前から石段を上った山腹にあり、京都市街を一望できる
1759年(皇紀2419)宝暦9年
勢至堂の客殿として、霊元天皇第10皇女 浄林院 宮吉子内親王の御殿を下賜されたもの
明治時代に大改修をされている
庭園は、江戸時代末期に造営された枯山水庭園
<影向石(ようごうせき)>
勢至堂の東北隅の崖下ある霊石
法然上人が入滅された時、賀茂大明神が降臨(影向)した石といわれる
<紫雲水(しうんすい)>
勢至堂の東南隅の崖下にある小池
古来より名水とされている
「山州名跡志」には、「勢至堂東傍にあり、法然上人入滅の時紫雲此水に移る」と記されており、
法然上人が入滅された時、聖衆が來迎し、紫雲水が水面に現れ芳香が漂ったといわれる
<唐門(重要文化財)>
大方丈玄関に通ずる門
1641年(皇紀2301)寛永18年の建立
桃山時代に流行した故事に基づく、
牡丹唐草、鯉魚に乗る老人、巻物を持ち鶴に乗る老人、松を配した細かな彫刻が施されている
<経蔵(重要文化財)>
御影堂の南東に立つ
唐様と和様を取り入れた建築様式
宝形造、裳階付(もこしつき)、本瓦葺
内部は、鮮やかな色彩で彩られている
天井や側壁は、狩野山楽らによる絵で飾られている
徳川二代将軍 徳川秀忠の寄進によって納められた宋版大蔵(一切)経約5600巻を安置する八角形の輪蔵がある
輪蔵を一回転させれば、大蔵経を読誦するのと同じ功徳が得られるといわれる
1621年(皇紀2281)元和7年の建立
1827年(皇紀2487)文政10年の修理
<男坂>
三門をくぐり、参道左側の急な石段
<女坂>
三門をくぐり、参道右側のゆるやかな石段
<集会堂(しゅえどう)(重要文化財)>
「衆会堂」とも称される
千畳敷といわれるほどの広いお堂
僧侶の修行の場として使用されてきた
1635年(皇紀2295)寛永12年の建立
本尊は、恵心僧都作といわれる阿弥陀仏
正面には、徳川家光、徳川家綱の絵像がある
1872年(皇紀2532)明治5年
京都博覧会の会場になる
<南門>
円山公園から三門の南へ向かう神宮道に立つ門
<古門>
東大路通から黒門へ向かう古門前通の、白川を渡ったところに立つ
<大庫裏(おおぐり)、小庫裏(こぐり)(重要文化財)>
<宝仏殿>
<霊塔>
<勅使門>
<手水舎>
<納骨堂>
<睡蓮池>
<友禅苑>
三門のすぐ南の京友禅の始祖 宮崎友禅斉の寓居跡
1954年(皇紀2614)昭和29年
宮崎友禅斉の生誕300年を記念して改修造園された回遊式庭園
東山の湧き水を引き入れた補陀落池庭園と枯山水庭園「鹿野園」とで構成されている
裏千家ゆかりの茶室「華麓庵」と、
知恩院第86世 中村康驍フ白寿を記念して移築された茶室「白壽庵」がある
補陀落池の中には、高村光雲作の聖観音菩薩像が立っている
宮崎友禅の銅像、友禅斎謝恩碑もある
<ムクロジ(京都市指定天然記念物)>
クロジ科のムクロジ
参道の旧桜の馬場北側にある
樹高20mの大木
江戸時代初期
ムクロジは、果皮が洗濯に、種子が念珠に用いられるなど、利用価値が高かかったため植栽されたといわれる
暖帯性で、京都市は分布北限に近く、これほどの大木になったものは貴重とされる
<紙本着色 法然上人行状絵図(四十八巻)(国宝)>
法然上人の伝記や、弟子たち列伝、天皇・公家・武家などの帰依者の事蹟などが記されている鎌倉時代の絵巻
法然上人の誕生から入寂までの出来事や、法語、消息、著述なども記されている
1307年(皇紀1967)徳治2年から
後伏見上皇の勅命で、比叡山功徳院の舜昌法印(知恩院九世)が10数年費やして制作されたといわれる
能書家の伏見天皇(青蓮宮尊円(しょうれんのみやそんえん)法親王)らの詞書(ことばがき)を添え、
絵師の土佐吉光(とさよしみつ)らによって描かれている
鎌倉時代後期の宮廷絵所絵師の画風が見られる
<阿弥陀二十五菩薩来迎図(国宝)>
鎌倉時代後期の仏画
高くそびえ立つ山岳を越えて、観音菩薩・勢至菩薩を先頭に阿弥陀如来や諸聖衆が、往生者のいる館に来迎する様子が描かれている
館の机上には法華経が置かれ、空中に夢幻的な宝楼閣や多数の化仏が表わされた「上品上生図」
速やかな来迎を願った鎌倉時代の人々の願望が表され、
速度感あふれる来迎雲が描かれ「早来迎(はやらいごう)」とも称される
桜や滝をあしらった彫りの深い山水が描かれている
<毘沙門天像(重要文化財)>
北方神の四天王である毘沙門天(多聞天)が、足下に邪鬼を踏み、四体の薬叉がとり囲む様子を描く
絵絹ではなく、綾に描かれた珍しい作
冠や宝塔、甲胃には、金銀箔が多用され、温雅な色合いで平安仏画風の優美さがある
鎌倉時代の作といわれる
<阿弥陀浄土図(重要文化財)>
阿弥陀三尊の立像の上に雲にのる仏菩薩や、下には蓮池が描かれている
池の中から伸びる蓮台に、ひざまずいて阿弥陀を拝礼する九人の九品往生も描かれている
池の周りには、孔雀や鶴などが描かれ、花鳥画のようでもある
<世界平和念仏>
2003年(皇紀2663)平成15年
浄土宗では、開祖 法然房源空の命日にちなみ、毎月25日を世界平和を願って念仏を唱える日と制定する
2006年(皇紀2666)平成18年1月25日
世界平和念仏の日制定3周年を記念して、御影堂(みえいどう)で法要が行われる
普段は年越しのときにしか鳴らされない釣り鐘が、僧侶17人がかりで18回突いて、
1回突くごとに「南無阿弥陀仏」の念仏が唱えられた
<東山花灯路>
3月上旬
東山山麓の、北は青蓮院から知恩院、円山公園、八坂神社を通って南は清水寺までの散策路約4.6kmに露地行灯が約2,400基設置される
知恩院では、三門(国宝)のライトアップが行われ黄金色に輝く
<京都博覧会>
京都の景気回復と啓蒙を目的とした博覧会
1872年(皇紀2532)明治5年3月
西本願寺、建仁寺、知恩院を会場として80日間の博覧会が開催される