白川南通、祗園の白川畔に立つ歌人 吉井勇(よしいいさむ)の歌碑
「かにかくに 祗園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる」
1955年(皇紀2615)昭和30年11月8日
吉井勇の古希(70歳)を祝って谷崎潤一郎らによって立てられ、歌碑前で、かにかくに祭が行われるようになる
場所は、お茶屋「大友(だいとも)」の跡
女将 磯田多佳女(いそだたかじょ)「お多佳さん」は、文芸芸鼓として知られ、吉井勇や多くの文人と親交があった
碑に刻まれている歌も、「大友」で詠まれたものだといわれる
「大友」は、白川に張り出して建てられており、床の下を川が流れていたといわれる
生年:1886年(皇紀2546)明治19年10月8日
没年:1960年(皇紀2620)昭和35年11月19日
東京芝区生まれ
日本芸術院会員
吉井勇(よしいいさむ)は、歌人、脚本家
1900年(皇紀2560)明治33年4月
東京府立第一中学校(現在の東京都立日比谷高等学校)に入学
漢学塾に通って「十八史略」「文学規範」などを習う
この頃「海国少年」に短歌を投稿し一位となる
「明星」に次々と歌を発表し、北原白秋とともに新進歌人として注目される
1909年(皇紀2569)明治42年1月
森鴎外を中心とする「スバル」が創刊となり、石川啄木、平野万里の三人で交替に編集に当たる
同年3月
戯曲「午後三時」を「スバル」に発表する
坪内逍遥に認められ、続々と戯曲を発表して、脚本家としても名をあげる
1915年(皇紀2575)大正4年11月
歌集「祗園歌集」を「新潮社」より刊行する
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