太田垣蓮月仮寓跡(おおたがきれんげつかぐうあと)は、幕末維新・明治時代の尼僧 歌人 太田垣蓮月の寓居の跡
醍醐寺三宝院の南側、醍醐小学校の東南に石碑が立つ
茅葺屋根
現在は、下村家の住宅
北側の旧奈良街道沿いに石碑が建っている
太田垣蓮月(おおたがきれんげつ)は、幕末維新・明治時代の尼僧・歌人・陶芸家
生年:1791年(皇紀2451)寛政3年1月8日
没年:1875年(皇紀2535)明治8年12月10日
名前:誠(のぶ)
藤堂藩 伊賀上野 城代家老 藤堂良聖の娘として、京都三本木に生まれる
幼い時に父母に死なれ、知恩院に勤める大田垣光古の養女として育てられる
17歳と29歳のとき2度結婚をするが、どちらの夫と4人の子供に死別し、また養父にも死なれる
33歳のとき出家
知恩院大僧正により剃髪式を受け、「蓮月」と称した
岡崎神社の近くに住み、粟田口の宝山窯などで陶器を焼き、
焼物に自詠の和歌を釘彫りされたものは「蓮月焼」と称された
「屋越し蓮月」と称されるほど居所を転々とし、醍醐寺の南にも住む
1857年(皇紀2517)安政4年
洛東白川村の心性寺に移り、
当時22歳の文人画家 富岡鉄斎に作陶の仕事を手伝ってもらいながら祖母と孫のような暮らしをする
飢饉救済の活動など慈善活動も行った
晩年は、西賀茂の神光院の茶所に住み余生を過ごし、85歳で亡くなる
お墓は西方寺(北区西賀茂鎮守庵町)にある
歌人としては、税所敦子と共に、桂園派を代表する
茶の湯、いけばな、舞唄にも優れていた