長岡宮跡(ながおかぐうあと)は、桓武天皇によって奈良から遷都された長岡京の大内裏跡
長岡京は、暗殺事件に関連し天災や疫病が続発し、造営途中に平安京に移された10年間だけの「幻の都」とも称される
長岡宮の大極殿跡は、日本で最初の史跡公園に指定されている
長岡京(ながおかきょう)は、山城国乙訓郡(現在の向日市、長岡京市、京都市西京区)の地にあった
桓武天皇は、父親の光仁天皇の代から皇統が天武系から天智系に変わったことにより、
既存の仏教勢力や貴族勢力と距離をおいて、政治を一新したかったといわれる
母親方の渡来人勢力が山城国を勢力圏としていたことも影響したといわれる
長岡京は、平城京、平安京と並ぶ京域を持った都だったとされる
造営途中ではあったものの、難波宮や多くの旧宮、平城京の建物が移築されていたといわれる
大極殿跡の近くには、内裏内郭築地跡や朝堂院西第四堂跡、築地跡などがある
発掘された木簡などの遺物は、向日市文化資料館に展示されている
<大極殿公園>
1965年(皇紀2625)昭和40年
公園として整備され、日本で最初の史跡公園に指定される
<長岡京大極殿遺址>
1895年(皇紀2555)明治28年
現在の地の北に石碑が立てられる
その後、発掘調査の結果から、現在の地の大極殿公園に移建された
<長岡宮宝幢跡(ほうどうあと)>
宝幢(ほうどう)は、古代中国伝来の儀式用旗飾り
長さ約9mの大柱の上に、青龍(せいりゅう)・朱雀(すざく)・白虎(びゃっこ)・玄武(げんぶ)の
四神の絵がはためき、鳥・日・月の華やかな飾り物が付けられる
宝幢は、天皇の権威を象徴するもの
即位式と、元旦に盛大に行われる「朝賀の儀式」でのみ、大極殿の前に7本の宝幢が建てられる
1997年(皇紀2657)平成9年
発掘調査で、宝幢を建てた柱の掘形が発見される
長さ約3m、幅約1.2m、深さ約0.8mの楕円形をしている
中央に大柱、両側に添柱の痕跡があった
柱堀形は3基あり、大極殿の前約100尺(29.6m)の位置に、東西方向に3m間隔で並んでいる